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光のもとでⅠ 第十二章 自分のモノサシ  作者: 葉野りるは
本編
17/80

17話

 以前、ツカサに言われてからかばんとポケットの両方に手ぬぐいを入れていた。

 手ぬぐいはハンカチよりも大きくて、ハンカチよりも水分を吸ってくれる。

 すぐにそれを取り出し目を押さえる。そしたら、目を押さえたまま離せなくなった。

 次から次へと涙が溢れてくるから。

 ……私、どうしてこんなに情緒不安定なんだろう。

 さっきまではすごく嬉しいってはしゃいでいたはずなのに……。

 最近はふとしたときに涙が止らなくなることがあって困る。

 たいていはバスタイムでひとり考えごとをしているとき。あとは、相馬先生とお話しているときにも。

 体調以外の部分――感情面のコントロールができない自分を情けないと思う。

 でも、今はひとりでいるわけじゃないからこのままいることはできない。

 自宅でひとり泣いているのとはわけが違う。

 きゅ、と唇に力をこめ、口元だけでも笑みを作れないかとがんばってみた。

「何度でもって言葉が――」

 がんばって普通に話そうと思うのに、突如しゃくりあげるそれが邪魔をする。

 でも、話さなくちゃ……。

 息継ぎをせずになら話せるかな。

「ここ最近、身近な人たちにたくさん言ってもらっている言葉で――」

「翠葉ちゃん、何かつらいことあった?」

「っ……!?」

 手ぬぐいから顔を上げたら、秋斗さんが切なそうな顔で私を見ていた。

「翠葉ちゃん、目を押さえているのに口元だけ口角を上げても『大丈夫』には見えない。そんな顔は笑っているようには見えないんだよ」

 そう言うと、秋斗さんは私の側まで移動した。

 かすかに香る香水に涙腺が刺激される。 

 頭を抱えられたまま、私は色んなことを話したと思う。テスト前にあった数々のことを。

 ツカサと話したこと、空太くんと話したこと、海斗くんと話したこと、桃華さんと話したこと、佐野くんと話したこと――。

 そのどれもが順番も何もかもがぐちゃぐちゃで、説明として人に伝えられる文章になっていない。

 わかっているのに口にするのを止められずにいた。

 秋斗さんは私が話している間、何度も何度も相槌を打ってくれた。

 言葉を挟むことなく、ずっと聞いていてくれた。

 本当は誰にも知られたくなくて、でも、ひとりに知られたらみんなに話さなくちゃ、と中途半端な覚悟でメールを送ったことも何もかも。

 思い出すだけでも心が痛くて仕方ない。

 もう解決したはずのことで、これからは前を向いて自分が努力するだけだとわかっているのに、記憶に残る痛みが痛くて仕方なかった。

 あのとき、ツカサが来てくれなかったら私はどうなっていたのだろう。海斗くんや桃華さんが来てくれなかったら――。

 心の中で浮き沈みするそれらを話すうちに、少しずつ落ち着きを取り戻した。

「私の心はまだ柔軟性には欠けていて、でも、大好きだから……みんなに大好きって伝えたいから、ひとつだけがんばることを決めたんです」

 気づけば握りしめていた白衣を離す。

 私の握力でしわになってしまった白い布を見ていると、

「ひとつ?」

「はい……。全然自信はないけれど、でも伝わったら嬉しいな……。みんなにちゃんと伝えたい」

 秋斗さんは紅葉祭の日はここにいるのだろうか。

 ずっと気になっていて訊けなかったこと。でも、今なら訊けるかもしれない。

「秋斗さん、紅葉祭の一日目はお仕事ですか?」

 立っている秋斗さんを見上げると、

「え? あぁ、ここいるけど……?」

 紅葉祭は土日――。

 通常なら秋斗さんは土日休みのはずだけれど、その日にここにいるというのはお仕事、ということだろうか……。

 お仕事の邪魔はしちゃいけない。そうは思うけど、聞きに来てほしい。

「あの――第二部のステージを見にきてほしいんですっ」

「え?」

「……あの、時間の都合がついたら……そしたら、見にきてほしいんです」

 たった一曲だけれど、桜林館とここを往復する時間と一曲分の時間をもらえないだろうか……。

 ライブステージの進行表は粗方出来上がっていて、何時何分というおおよその時間はわかっている。でも、こればかりは当日の流れでずれることがあるだろうから、その時間とは言い切れない。

 どうやったら時間を割いてもらえるだろうか、と考えていたら、

「うん、楽しみにしてるね」

 頭上に声が降ってきた。

 その顔を見て、思うよりも先に身体がカッとなる。

「たくさん泣いてしまってごめんなさいっ」

 すごく恥ずかしい……どうしよう――。

 いっぱい泣いて意味のわからない言葉を並べて、自分のどろどろした感情を吐き散らして――。

 でも、「ごめんなさい」だけじゃないの……。「ありがとう」も伝えたい。

 そう思ったとき、またふわりと優しい香がした。

 秋斗さんの香水の香り。最近は自室に入るたびに一噴きしている香水。

 香水だけれど、ルームコロンみたいな使い方をしていた。

 この香りだけは覚えていた。

 秋斗さんのことは何ひとつ覚えていなかったのに、これだけは覚えていた。

 だからか、私の中では記憶に纏わるひとつの支えになっていた。

「お話……聞いてくれてありがとうございました」

「……ねぇ、翠葉ちゃん。俺は何か役に立てた?」

「え……?」

「前々から感じてはいたんだけど、翠葉ちゃんは自分にできることがとても少ないって思い込んでいるみたいだけど、そんなことはないんだよ」

 秋斗さん……?

「俺にハーブティーの淹れ方を教えてくれたのは翠葉ちゃんで、俺に人を好きになるっていう気持ちを教えてくれたのも翠葉ちゃんだ。心の底から『ありがとう』って口にできるようになったのも君に出逢ってからだと思う」

 秋斗さんの物言いがストレートなのはいつものことだけれど、感情をむき出しにしたあとの私の心には、いつもよりダイレクトに言葉が届く。

 瞬きするのも忘れていたと思う。

「そんな翠葉ちゃんに俺が何をできるのか……。俺だって翠葉ちゃんと変わらない。常に暗中模索。俺は社会だとか会社に貢献をすることよりも、大切な人にどんなことができるのか、ってことのほうが大ごとみたい」

 大切な人に、どんなことができるのか……?

「あのっ……あの、お話を聞いてもらえて少しすっきりして、心の中にあるモヤモヤ吐き出してみっともないところを見せてしまったけど――でも、あの、助けてもらえた気がします。落ち着くまで側にいてもらえたこと、とても嬉しかったし、感謝しています」

 口にしていることよりも、ほかのことが気になって仕方ない。

 秋斗さん、本当……? 私と同じことを考えてるの?

 大切な人たちに何ができるのか――。

「良かった……」

 秋斗さんは息を吐き出すように口にした。

「つらいことがあったり何かあったとき、話せる相手として思い出してもらえたらもっと嬉しいと思う」

 でも、秋斗さんはつらいとき、何かあったときに私を思い出したりしますか……?

 九歳も年下でなんの頼りにもならない私を……。

「……頼ってほしいと思うよ。でもね、それは翠葉ちゃんが何を考えているのか、何を思っているのかが知りたいってことで、一方的に寄りかかってほしいって言ってるわけじゃないんだ」

 ……違うの?

 秋斗さんは何を伝えようとしてくれているのだろう……。

「ただ、君と話す時間が欲しくて、君の声が聞きたくて、俺は君が話す内容がなんであってもかまわないみたいなんだよね。こう言うとひどく聞こえるかもしれないけれど、それが今みたいに君が泣いてしまうような内容であっても、さっき入ってきたばかりの嬉しいっていう内容であっても、俺にはなんの差もないんだ」

 秋斗さんに言われた言葉がぐるぐると頭に回りだして、なんだかわからないことになってきた。

 そんな私を見るに見かねてか、「つまりね」と話を一度切ってくれる。

「俺には君が必要ってこと。会話の内容がどうとかそういうことじゃなくて、君と過ごす時間が必要。君という存在が必要なだけで、会話にいたっては内容がなんであってもかまわない。どんな些細なことでも天気の話でも『特別』に思える」

 とても簡潔に、いつもと変わらず真っ直ぐな言葉で想いを伝えてくれる。

「翠葉ちゃんが、好きだよ。君がいないと俺はすごく不安になるんだよね。それは君の体調が心配とかそういうことじゃなくて、俺の心が不安定になる。……意味、わかる?」

 少し背をかがめて訊かれた途端、顔に火がついた。

 顔どころではない。身体までもが熱かった。

「必要」という言葉がくるくると心の中で回っていて、少し気づくのに時間がかかったの。

「好き」と言われたことに。

 気づいたら、頭を縦に振ることしかできなかった。

 まるでバカのひとつ覚えみたいにずっと上げ下げしていた。

「良かった、わかってもらえて」

 その言葉に顔を上げると、甘い笑顔の秋斗さんがいて、ドキドキ鳴っている心臓が一瞬リズムを変えた。

「わ、わわっ――」

 もうやだ、何を口走っているんだろうっ。

 でも、だって、心臓がドドドド、ってすごい駆け足を始めるから。

「あのっ、心臓がうるさくて――どうしよう……」

 両手で胸を押さえるけれど、意味がないことくらい知っている。

 状況判断状況整理っ――。

 うろたえる私に、

「全力で逃げちゃいたい?」

 尋ねてくるのは秋斗さんしかいない。

「っ……そこまでではっ――」

 思っていない、と言いたいのに言葉が続けられなかった。

 私がドキドキしだすと、秋斗さんはいつも嬉しそうに笑う。その笑顔すら心臓に悪いというのに……。

「じゃ、横になって休めばいいと思うよ?」

「あ……」

 その提案、大賛成――。

「そうしますっ――」

 秋斗さんと真逆にあるソファで早くお布団をかぶってしまいたい。

 スツールに座ったまま急いで回れ右。

 立ち上がり歩きだそうとしたそのとき、左肩を掴まれ秋斗さんの胸に逆戻り。

 ポスン――背中が秋斗さんの胸に着地すると、ふわり、とまた香水が香った。

 私がつけても再現できない香り――人の体温が作り出す香り。

「その前にこれは全部飲もうね?」

 気づけば目の前に飲みかけのカップを差し出されていて、私は秋斗さんの右手に触れないようにそれを支える。

 常温よりも少しだけあたたかいラベンダーティー。

 気持ちを落ち着けるのにはちょうどいいお茶と温度のはずなのに、その役割を全然果たしてくれない。

 一気飲みしたらお茶が気管に入ってしまって少し咽た。

 咳が止ってすぐ、「では寝ます」と宣言したら、カタカナ表記みたいなカチコチの声と平坦すぎるイントネーションだった。

 秋斗さんのクスクス笑いが聞こえてくる前にソファへ退避。

 自分の姿が秋斗さんの目に入っていることすら恥ずかしく思える。

 横になると、すぐにお布団を頭からかぶった。

 秋斗さんに言われた言葉を全部覚えておきたいけれど、なんだか無理そう。

 ふたつの言葉がくるくる回っているの。

「大切な人にどんなことができるのか」という一文と、「必要」という言葉が――ずっとくるくるくるくる回ってる。

 私の気持ちがもっと落ち着いたら、またこの話をしたい。

 秋斗さんも私と同じことを考えているんですか……?

 そう、尋ねてみたい。

 そのとき、秋斗さんには答えが見つかっているだろうか。私には答えが見つかっているだろうか。

 そんなことを考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。

 どこまでが起きていたときに考えていたことなのかわからない。それくらい曖昧な記憶だった。

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