第4話
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栗栖はローシャに案内され、横に30人は並べるほど幅広の廊下を歩いていた。
すれ違う者たちはすべて亜人。
頭に角を生やしている者もいれば、肌の色が青や緑の者もいる。
尾を生やしている者もいれば、人間の膝丈ぐらいしか身長のない者もいる。
彼女らはローシャの後ろを歩いている栗栖を遠巻きに眺めては、ひそひそと仲間同士で会話をしていた。
気のせいだろうか、向けられる視線には恐れと尊敬の念が込められているように感じる。
『魔王様が地球という世界から招いたあの人間、とんでもないアーツを使うらしいぞ』
『魔導書を使って魔王様を操り、カッツェ様を倒したらしいわ』
『魔王様より強いの? もうあたし達、魔王様の性的いやがらせに悩まされずに済むの?』
……とんでもない誤解をされている。
栗栖は足を止めて否定しようとするが、前を歩くローシャに促されて断念した。
そのまま廊下を歩いて階段を上ると、周囲の雰囲気が変化した。
石造りの通路という見た目は変わらないのだが、肌に感じる空気がどこか重苦しい。
先ほどまで頻繁にすれ違っていた亜人たちも、この階では姿を全く見かけない。
静まり返った廊下に栗栖とローシャ、二人分の足音だけが反響する。
「今さらな気がするが、ここは地球とは別の世界なんだよな?」
ただ歩くだけに飽きた栗栖は、壁に貼られた『関係者以外立ち入り禁止』の張り紙を一瞥しながら、何となしに尋ねてみた。
「はい。ここはフリアードという世界。さらに言えばフリアード大陸の最西に位置する魔王城です」
おたがい正面を向いて話をしていたときは気付かなかったが、ローシャはお尻から文字通りのポニーテール(馬の尻尾)を生やしていた。
上はショートカット、下はポニーテールというメイド少女の後ろ姿……もっと言えば左右に揺れる尻尾を見ながら栗栖は質問を続ける。
「地球と別の世界ということは、文化や歴史も当然ちがうよな? なんで地球の――それも日本語が通じるんだ?」
召喚されたときに魔法的な力が働いて、この世界の言葉を自動的に日本語へと翻訳しているのだろうか?
「私が話しているのはフリアードの共通語です。単語の意味や文法が、クリス様が扱う日本語とやらとたまたま似ているだけにすぎません」
「そんなたまたまがあるか! やっぱここ日本だろ? ネコミミとか馬の尻尾とか精巧に作って、みんなで俺を騙してるんだろ?」
「冗談で魔王様のような奇行に走る女性が、クリス様の世界にはいらっしゃるのですか?」
妙に説得力があった。
「魔王様が召喚のアーツを使用する際、条件をいくつか設定したそうです。その中には『言語形態がフリアードと似通っているもの』という項目があったのでしょう」
その他の召喚条件として、年齢が10歳から18歳までの美少女、というフザけた項目が設定されていたことを、ローシャは知っているのだろうか?
「世界というのは、ここフリアードやクリス様の地球を始め、一生かかっても数え切れないほどあると言います。中には、同じような言葉を使う世界があってもおかしくないでしょう」
その確率を数字で表すには、ゼロをいくつ並べればいいのか。
「しかし、異世界か」
ローシャに尋ねたところ、地球でいう中世ヨーロッパ風の世界観、剣と魔法っぽい力……アーツだかが幅を利かせている世界であることが分かった。
「だいじなことを聞いておきたいんだが、この世界の人間ってどういう扱いなんだ?」
フリアードに来てからまだ人間を見ていない。
カルナックはパッと見人間そのものだが、それでも意識すれば『違う』ということがいまなら分かる。
感覚的なことなので上手く言えないが、画面を見なくても消音したテレビがついているのが分かるというか、何というか。
とにかくそんな感じだ。
ただ、昨日のカッツェや先ほどすれ違った魔族の兵士は『人間』という単語を理解して使っていたので、この世界にも人間がいることは間違いない。
「もっと具体的に言えば、魔王様や魔族って、その……」
人間たちを支配したりオモチャのように殺したり、エサのように食べたりするのか? とはさすがに聞きづらい。
しかし、ローシャは栗栖の言わんとすることを察して答えを返してくる。
「フリアード大陸は中央を境に、そこから西が魔族に支配されています。当然その中には人間も含まれます」
「じゃ、じゃあ、西側で暮らしている人間って奴隷扱いされてるのか?」
廊下に響かせている栗栖の靴音のリズムが乱れた。
「いえ、魔族と人間で待遇や扱いに差はありません」
「そうか」
心なしホッとした。
「魔王領に住む人間にとって魔族――魔王様の治世は多少の不満もあるでしょうが、それなりに平和的で満足しているはずです。人間たちの魔王様に対する支持率は50パーセントですね」
日本の政治家たちの支持率と比べてみれば、それなりの数字といえる。
「ちなみに、魔族の魔王様に対する支持率は10パーセントです」
「人間を支配するより先にやることあるだろうが! まず自分の足元を固めろよ、魔族の王様!」
「仕方ありません。人間は男女比が半々ですが、魔族は女性が9に対して、男性が1ですから」
「え? ちょっとまて。魔王様を支持しているのは男だけみたいな言い方になってるんだけど! 魔族の男女比率がおかしいことより、そっちの方が気になるんだけど!」
とは言え、あの魔王ならそれが十分にありえると思えてしまうのがイヤすぎる。
「ちなみに、大陸東部は完全な人間の支配地です」
「じゃあ、魔族と人間は大陸の中央を挟んで戦争状態にあるのか?」
「いいえ、現在は相互不干渉です。とは言え、時折人間側から干渉……と言うよりちょっかいを出されてきていますが」
ローシャ曰く。
数百年ほど昔は大陸ほぼ全土が人間領で、魔族は最西にひっそりと暮らしているだけだった。
あるとき、魔族を根絶やしにしようと画策した人間の王が戦争を仕掛けてきたが、魔族はこれを圧倒的な戦力をもって撃退。
少数でありながら防衛戦において大勝した魔族がそのまま攻勢に出ることを怖れた人間側は、慌てて停戦を申し込んだ。
そして当時の魔王と人間の王との間で停戦協定が結ばれたものの、戦いの口火を切ったことと圧倒的不利な戦況であったことから、人間側は不利な条約を結ばざるを得なかった。
その条約において魔族は領土を得、そこに住んでいた人間ごと支配に置いた。
「――そういったことが数百年の間に3回あり、その都度魔族は支配領土を広げて現在に至っているのです」
「人間側は一方的に仕掛けては負けて土地を奪われ、それでも懲りずに戦争を挑んで来たってことか」
そこにどういった思惑があったのかは知らないが、栗栖にしてみればギャンブルで身を滅ぼす典型的なパターンにしか思えない。
負けてムキになってリベンジを挑み、さらに負けを重ねるという悪循環。
「むしろ魔族がそこまでされておきながら、よく人間を滅ぼそうとしなかったな」
「そこは種族による考え方や価値観の違いでしょう。人間のクリス様ならそう思うでしょうが、魔族にしてみれば……と、目的地に到着しました」
どうやら話はここで一度中断らしい。
ローシャは巨大な鉄扉の前に立つと、ノックをせずに両手で押しあけ、そのまま室内へと入る。
次いで栗栖も中へと足を踏み入れ、言葉を失った。
とにかく広い。
その広さたるや、対面の壁が見えないほどだ。
学校のグラウンド……いや、その数倍はゆうにある。
さらに床や柱はすべて研磨された黒曜石で作られており、柱に取り付けられた燭台から零れる光を跳ね返している。
物珍しそうにきょろきょろする栗栖を促し、ローシャはまっすぐ進む。
歩を進めるにつれ、豆粒ほどにしか見えなかった人影が、しだいに大きくなる。
やがて『それら』を明確に見て捕らえたとき、栗栖の足はぴたりと止まった。
「クリス様、色々と言いたいことはあるでしょうが、魔王様と四天王の御前です」
「アア、ウン、ソウダネ」
ポニーテール(馬の尻尾)を生やした案内役のメイドに対して、機械的に返事をする。
ローシャはそのまま歩きつづけ、円卓の上座で装飾の凝った黒い玉座に腰かけているカルナックの背後に控え立った。
栗栖も後につづき、魔王の前まで歩み寄って一礼をする。
「待っておったぞ、クリスよ」
黒いドレスを着て、鼻になにも詰め物をしていないカルナックが微笑む。
高貴な者のみが作ることのできる、優雅さと気品を兼ね備えた笑顔だった。
これがデフォルトなら『なんでもするから、お傍におかせてください』とお願いするのだが、彼女の人となりは昨日イヤというほど思い知らされた。
いまの栗栖は口が裂けても、そのような寝言をほざく気はない。
「生憎だが、そなた専用のイスはまだ完成しておらぬのだ。かといって立たせておくわけにもゆかぬ。よって、今日のところは他の四天王の膝の上に座らせてもらうがよい」
よって、の前までは理解できた。
「ちなみに、余の膝に座りたいという希望は却下だ。ここは美少女専用だからな。そういうわけでローシャよ。そなたもメイド長兼近衛隊長として余の膝……」
「お断りします」
カルナックが言い終わる前に、ローシャは無表情のまま即答した。
「遠慮することはない。余とそなたの仲であろう? 魔王と近衛隊長といえば一心同……」
「却下です。それとクリス様。魔王様がおっしゃるとおり、どなたかお好きな四天王の膝上にお座りください」
魔王様のセクハラ発言をスルーするのは一向に構わないが、こちらに飛び火させないでほしい。
「クリスよ、異世界より来訪したそなたは知ら……」
「黙りやがってください」
少なくとも今の発言はセクハラじゃなく、こちらに対して普通に語りかけていたような気がする。
ローシャは涙目になったカルナックの背後から、抑揚のない声で淡々と続ける。
「地球よりお越しになられたクリス様は存じないでしょうが、フリアードにおいて『相手の膝のうえに座る』という行為はとても神聖なものなのです」
「どういうことだ?」
やはり異世界。言葉は通じても文化、風習の違いというのはあるのだろう。
そういえば昔のアニメでは、地球では降伏の証である白旗が、とある宇宙の星では『相手を地上から一人残らず殲滅する』という最大級の宣戦布告の意味をもっていた。
「うむ、それはだな……」
「相手の膝の上に座るということは、相手に対して無防備な背中をさらけだすことです。つまり相手を信頼し、自分のすべてを委ねるという意味があるのですよ」
ローシャがまたもや割り込み、カルナック泣きだした。
「私が手本をお見せします」
滝のように涙を流し続けるカルナックの上に、ローシャが音も無く座る。
ぴたりと泣くのを止め、至福の表情を浮かべるカルナック。
ローシャは鉄面皮をそのままに、頬だけをかすかに紅潮させた。
ツンデレか? それともアメとムチか?
「さあ、クリス様もどうぞ」
『立ってるから気にするな』とは言えない空気になった。
栗栖は仕方なしに、四天王らしき3人(?)に視線を走らせた。