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第2話

          *


唇に触れる柔らかい感触。

まどろみの中にいた栗栖の意識は急激に覚醒していった。


目をあけると、視界のほとんどに肌色、ときどき黒が映っている。


自分は確か新入生をかばって、スポットライトに挟まれたはずだ。

しかし、栗栖にのしかかっているモノの感触は、スポットライトを構成する無機質な金属やガラスなどではなく、柔らかさと温かさをもっていた。


なかでも胸のあたりに感じる弾力は筆舌に尽くしがたい。 


試しに触れてみた。

ゴム鞠や餅を触ったときのような心地よさを与えてくれる。


「んあっ……よい。そなたも好き者のようだな」


目の前にあったモノがびくんと震えて、栗栖の顔、そして唇から離れる。


壊れた壁から差し込んでくる光が、その人物の面貌を浮かび上がらせる。

絹のように滑らかな黒髪、黒曜石のように鋭い輝きを湛えた瞳、高く尖った鼻に差し込まれた女性用下着、花弁のようにしっとりと濡れた唇。


栗栖の理想の女性像をそのまま具現化した美貌を、鼻から提げた物体ショーツで台無しにしている、20歳ほどの女性だった。


「…………」

「………………」


栗栖が相手の顔を認識できるということは、相手にとっても同じことがいえる。


体にのしかかったままの女性は、栗栖の顔を確認して、まばたきを2回。

きょとんとした表情を浮かべている。


栗栖と黒髪の女性。

このとき、ふたりは同じことを考えていた。


『こいつだれ?』


「………………」

「お、おおおおお、男だと!」


我に返ったのは、女性が先だった。

彼女は弾かれたように飛び退き、後ずさる。


「行方不明となった《魔女まじょ》の代わりに四天王の座に据えようと、この魔王カルナックが異世界より召喚したのは、年齢が10歳から18歳までの知力体力精神力に優れ、強い魔力を秘めた美少女だ! 決してそなたのように魔力炉を持っていない少年ではないぞ!」


漆黒のドレスを着た女性の、言葉の意味を考える。


「つまり俺を異世界に召喚したはいいけど、実は人ちがいでした、と?」


すごく分かりやすい。

だからと言って『はいそうですか』と納得はしないが。


大体にして本当にここが異世界だと言うなら、日本語で会話が成立している時点でおかしいではないか。


「いちばんあり得る展開としてはこんなもんか――俺はスポットライトに挟まれて病院送りにされた。そこに入院していた頭のおかしい女が精神病棟から抜け出してきて俺を襲ったあげく、わけのわからないことを口走っている」


完璧な推理だ。

もし彼女が毅然とした佇まいで、ここが異世界であると告げたなら信じただろう。


しかし、いくら自分好みの美女といえ、鼻穴に血で塗れた女性用ショーツを差しこんだ女が言うことを鵜呑みにできるはずもない。


「そんなわけで俺は自分の病室に戻る。あ、その前に学校へ連絡して、入学式がどうなったかを確認しないとな」


頭のおかしい女呼ばわりされたカルナックが気色ばむが、栗栖は無視して学生服のポケットからスマートフォンを取り出して操作する。

が、アンテナが一本もたってない。


圏外よりも故障の可能性を思いうかべた栗栖は、ためしにいくつかのアプリケーションを起動してみるが、通信を必要としないものは正常に稼働している。


つい先日、電子書籍サイトで購入したいかがわしい写真集――つまりエロ本のデジタル版も問題無く立ちあがった。


「そなた。その黒い板はなんだ?」


カルナックのなかでは腹立ちより好奇心が勝ったようだ。

興味津々に栗栖の掌を覗きこもうとしてくる。


「そなたじゃなく、俺の名前は栗栖黒須だ。つうか、スマートフォンを見たことがないのか?」


しかし本当に勿体ない。

彼女から漂うラベンダーのような香りは、年齢イコール彼女いない歴の童貞少年のリビドーを激しく刺激するし、ドレスの上からでも分かる豊満な体つきも実に美味しそうで魅力的だというのに、言動と行動があまりに残念すぎる。


「待たせたニャ。真龍の鱗をもらってきたニャ!」


そこに、第三者が扉を開けて部屋にはいってきた。


栗栖は声の主を確認した瞬間、黒くてカサカサと動く昆虫を見たときのような生理的嫌悪をおぼえた。


「人間……じゃないよな?」


赤銅に焼けたはちきれんばかりの肉体、服というにはあまりに粗末な毛皮で体のごく一部……局部のみを隠した亜人。


人ではなく亜人と形容したのは、その生き物には細長い尾がついており、短い銀髪をかき分けるように、猫耳が生えていたからだ。


「見てのとおり、にゃーはニンゲンじゃないニャ。魔族類猫人科、そこにいる魔王様の忠実な配下にして魔王軍四天王の一人、カッツェ・カルスベインニャ。むしろおまえこそ誰ニャ?」


カッツェは嘗め回すように、栗栖の頭からつま先まで視線を這わせる。


栗栖は自分より背の高いネコミミ人間の視線に怖気をおぼえながらも、これだけは我慢できない、と口を開く。


「おまえが人間じゃないということは分かった。地球に存在しない生き物がいる以上、ここが異世界だと認めよう。魔王とか四天王という単語についてもあえて触れない……だがな……」


栗栖は大きく息を吸い込む。


「普通ネコミミつったら、ネコミミ少女のことを指すんだよ! ネコミミおっさんって何なんだよ! 何がカッツェだ! どう見てもロドリゲスとかゴンザレスって感じのツラじゃねえか!」


人違いで異世界召喚とか、どうやったら元の世界に帰れるんだとか、なんで日本語が通じるんだとか、すべてがどうでもいい。

それほどまでに、ネコミミを生やした筋骨隆々の中年男性というものはインパクトがあった……無論、悪い意味で。


「そんなこと言われても、オスがいなければ繁殖できないニャ」


カッツェはもともと野太いであろう声を、無理にかん高く発声する。


まるでオカマが喋っているような錯覚を受け、栗栖は背中に冷たいものを感じた。

いや、オカマというよりゲイかもしれない。

先ほどから栗栖を見つめるカッツェの視線は、やたらねっとりとしていた。


「まあ、にゃーはオス同士で繁殖行為を行うことに抵抗はないんだがニャ」


…………。

 

やらないか?

ウホッ!


カッツェの局部を隠した腰布がひとりでにせりあがる。正面から向けられる彼の視線は、見えないはずの栗栖の肛門にロックオンされているようだ。


――ねえ? 今どんな気持ち? ねえねえ? 今どんな気持ち?


軽快にステップを踏むクマの幻覚が見える。

ケツの穴にツララを突っ込まれたような気持ちだよコンチクショウ。


栗栖は両手で尻を抑え一歩後ずさる。

カッツェは手をわきわきさせ一歩前へ出る。


「……そなたら、余を無視して話を進めるでない。寂しいであろう」


救いの女神の声がした。


今にも栗栖の貞操を奪おうとしているネコミミ筋肉ダルマは四天王。

存在を無視されて、拗ねた目つきをしている黒ずくめの美女は魔王。

二人の肩書きを考えれば、どちらが上かはすぐ分かる。


「魔王様、まだいたのかニャ? ほら、真龍の鱗をあげるから、さっさとどこかに行くニャ」


カッツェはカルナックに見向きもせず、暗緑色の小片を放り投げた。


「え? 魔王の扱いってこんな軽いの? おかしくない? 魔を統べる王と書いて魔王だよな? まるでダメな王様、略して魔王じゃないよな?」


カッツェの態度に栗栖は驚き、カルナックは飼い犬(猫)に手を噛まれたかのように愕然とする。


「もしかして……余は配下の者に慕われておらぬのか? 先ほどは女湯を覗いて下着を盗んだだけで近衛隊の少女たちに殺されかけたし、先日は魔王城すべての女性用トイレにある個室の壁を完全撤去しようと評議会で提案したら、猛反対されたし……」

「そこまでやっておきながら慕って欲しいって、アンタどんだけツラの皮厚いんだよ!」


「浴場やトイレ、さらに更衣室が、女性用のほかに魔王用と用意されているので、てっきり魔族の皆は余のことを大好きだと思っておったのに」

「それちがう! 女の子たちがあんたと一緒に入りたくないだけだから!」


「魔王様は後先考えず、欲望のおもむくまま行動するのが欠点なんだニャ」

「テメェもギラつくほどの欲望を丸出しにしてるだろ!」

「召喚は失敗するし、配下からはぞんざいに扱われるし、もう死にたくなってきた」


魔王様、ネガティブ入っちゃったよ!


「……どうせ死ぬなら隙間無く美少女で埋めつくされたプールにタキシードを着て飛び込み、もみくちゃにされて圧死したいものだな」


この世界にプールやタキシードがあるのか。


「落ち着け。 そんなんだから部下がついてこないんだろうが!」


あとそれ、死因じゃなくて死ぬ前にやりたい事だから!


「それでは余は失礼するぞ。魔王領に住んでいるすべての美少女に対して、魔王の名において緊急招集をかけ、プールを満杯にせねばならぬ」

「たぶん誰ひとりとして集まらないと思うぞ……ってそうじゃなく、助けてくれよ!」


栗栖は、ネズミをいたぶる猫のように少しずつ近づいてくるカッツェから視線を外さずカルナックに懇願する。


「儚げな少女からのお願いなら余も腰をあげるのだが、男からの頼みでは気が乗らぬ」


キサマ、手違いだろうがなんだろうが、別の世界まで人を呼びだしておきながらその言い草はなんだ?

というか、どんだけ美少女が好きなんだよ……ん? 美少女好き?


閃いた。


「魔王様、この部屋から立ち去るのはお待ちください。俺を助けてくれたら、異世界の美少女の裸を見せてあげます」


のろのろとした動きで出口へ向かうカルナックの背中に呼びかける。


「なんじゃと!」


速攻で食いついてきた。


カルナックは体から黒いオーラを噴出させると、今まさに栗栖に飛びかかろうとしていたカッツェに体当たりを仕掛ける。


不意をつかれ、魔王の力で壁に叩きつけられたカッツェはそのまま失神した。


「さあ、早く、早く余に見せるのだ!」


スキップをしながら栗栖の前までやってきたカルナックは、何を考えているのかドレスと下着を脱ぎ捨て、その場に正座した。


ワクワクテカテカという擬音が聞こえてきそうな全裸待機。


自分好みの女性が一糸まとわぬ姿をしていても興奮しないのは、あまりに異常すぎるシチュエーションで感覚が麻痺しているせいだろう。


繰り返すがカルナックの容姿は、栗栖の理想をそのまま具現化したような姿なのだ。

彼女と普通の出会いを果たしたのなら栗栖の胸は高鳴ったろうし、本来なら会話をしているだけで舞い上がったに違いない。


栗栖はそのことを残念に思いつつもスマートフォンを操作し、電子書籍を起動し、先ほど確認したエロ本のデータを呼び出した。


「ふおおおおお、こ、これはすごい!」


カルナックの鼻に差し込まれた女性用下着が、みるみるうちに赤く染まる。


人違いで異世界に喚び出され、全裸で四つん這いとなっている女性魔王にエロ本のデジタルデータを見せているという現状を考えて、栗栖はため息を漏らした。


俺、なにしてるんだろうな?


「そこの男、何者です!? いますぐ魔王様から離れなさい!」

「え?」


焦りと怒りをともなった誰何の声。

突如聞こえてきた声に顔を上げた栗栖は、そこで再び意識を失った。


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