プロローグその1
「ようやく会えたわね!《黒曜姫》こと魔王カルナック!」
「《純潔の乙女》勇者コロナ・カスケードよ。待ちわびたぞ」
フリアード大陸最西端にそびえ立つ魔王城。
その最上階に位置する終焉の間では、二人の女性が対峙していた。
コロナと呼ばれた少女は仁王立ちになり、魔王を睨みつけている。
燃えるような赤毛を馬の尻尾のように後頭部で結わえ、大きな瞳は紅玉のように澄んだ輝きを湛えている。
低めながらも整った鼻と小さな口。俗な言い方をするなら美少女だ。
同年代の少女と比べ、やや小柄なコロナの体躯を包むのは白銀の甲冑。
鋭角的な形状で肌の大部分を覆い隠しながらも、彼女の小ぶりな胸のふくらみを無理やりに強調し、さらに頭部と太ももを露出させている意匠には、製作者のこだわりと下心がはっきりと見て取れる。
「魔王軍によって皆殺しにされたクラリオン村の人々の為にも、あたしは絶対にお前を許さない!」
「クラリオン村……はて?」
勇者の口上を受けて、視線を宙に彷徨わせているのは魔王カルナック。
見た目は20歳ほどの女性で、コロナが美少女ならこちらは美女と形容できるだろう。
《黒曜姫》という二つ名が示す通り、長く伸ばした艶やかな髪、切れ長の瞳、身につけているドレス、さらに腰かける玉座に至るまで黒で統一するほどの徹底ぶりである。
さらにカルナックの二つの胸は衣装の上からも分かるほどの大きさで、存在感を醸し出している。
玉座に座っているため分かりづらいが、背丈は女性としては長身で、成人男性の平均とほぼ同等だ。
「ときに勇者よ。余の物にならぬか?」
「ふざけないで! 絶対お断りよ!」
「余の物になれば三食昼寝つき。きちんと散歩もさせようではないか」
トゲの生えた黒い首輪を取り出すカルナック。
首輪からは鎖が伸びており、玉座の脚へと繋がれている。
さらに床には犬のエサを入れるような皿が置かれており、日本語で《ころな》と書かれていた。
「それだけではない。今なら世界の半分をそなたにくれてやろう」
「さっきから聞いてればいい加減にしろ、このバカ魔王が!」
今の今まで傍観者に徹していた少年が、憤りを隠そうともせず口を開いた。
「しかし《魔男》よ……」
「その二つ名で呼ぶなって何度言えば分かるんだよ! 間男みたいでイヤなんだよ! たまに勘違いした女性兵士が、『この寝取り野郎が!』って魔王様に向けるような蔑んだ視線を浴びせてくるんだぞ!」
魔王軍四天王の一人、《魔男》栗栖黒須。
大陸と同じ名を冠するフリアードという世界に紛れ込んだ異世界人の名前だ。
歳は17。中肉中背、短い黒髪に、学ランという名の異世界の装束。
数週間前、地球からフリアードに召喚された栗栖は、なし崩し的に魔王軍最高幹部に就任し、現在に至っている。
「とにかく、領土の分割問題というのは後々問題の火種になります。世界制覇を成し遂げていないうちから自分の物であるかのように振舞わないでください」
「だが魔王たる者、交渉するには世界の支配権をもちだすのが美学であろう?」
「そんな美学捨ててください! それに、今すべきことは勇者の処遇についてでしょうが! つうかコロナも力を封じられ、手首を縛られた状態で偉そうにカッコつけてんじゃねえ!」
「うるさいわよ! 人類の裏切り者が!」
魔王軍と激しい戦いを繰り広げてきたにも関わらず、傷ひとつない顔を真っ赤に染めるコロナ。
その手は栗栖の指摘が入ったとおり、黒い縄のような物体で縛られている。
現在の状況は、勇者と魔王の最終決戦などではない。
魔王と最高幹部四天王の全5名で構成される評議会で、捕らえた勇者の処遇を決議しようとしているところだ。
しかし、ここで問題が発生した。
栗栖を除く他の四天王が、ことごとく姿を見せていないのだ。
*
『悪りぃ。魔王領に領土侵犯してきた武装集団と交戦してっから評議会に遅れそうだ』
『馬車が混んでて遅刻しそうニャ』
『クリスさんや、ワシの飯はまだかいのう?』
評議会が開催される直前、彼女達からの連絡を受けた栗栖は猛り狂った。
その剣幕たるや、非才で無力な少年でありながら、自分より遥かに強大な力を持つ魔族の伝令係を震え上がらせたほどだ。
『おまえらもうちょっとやる気だせよ! マトモな理由は姐さんのだけじゃねえか! つうか耄碌ババアは理由にすらなってねえし!』
*
「だからペットとして飼うに一票。余は愛玩動物のように勇者を毎日愛でたい。綺麗な服で着飾らせたり一緒に湯浴みをしたり、あとは添い寝もしたいのだ。余はずっと妹が欲しかったのでな」
「妹と愛玩動物を一緒にしないでください。とにかく、出席が構成員の半数以下、つまり、俺と魔王様だけでは評議会が開催できませんよ」
「他の四天王から委任状を預かっている。問題なかろう」
馬車が混んでて遅れるつった駄猫、おまえ最初からサボる気マンマンじゃねえか!
栗栖は額に青筋を浮かべるものの、よくよく考えれば、一番顔を見たくない獣人族の長が欠席確定という僥倖に思い至り、落ち着きを取り戻す。
「それで、委任状であいつらは何と書いてきたのですか?」
「全員が『勇者は魔王様のペットにすべし』とのことだ」
「…………」
「………………」
ブチブチと、栗栖のなかで何かが千切れる音がする。
無言でカルナックを睨みつける栗栖。
目を逸らす《黒曜姫》。
「あ・い・つ・ら・は・何・と?」
再度の問い詰めに、俯いたままの魔王は、観念したかのように肩をがっくりと落とす。
「『カルナ様に任せるとロクなことにならねえからな。クリスに一任するぜ』
『にゃーは魔王様の案だけは却下だニャー』
『カルナさんや、ワシのメガネはどこかいのう?』
とのことだ……」
「信頼されてますね、魔王様」
「……王立学院服……競泳用水着……ゴシックロリータ……絆創膏……余のコロナちゃん着せ替え人形計画が……」
「待て、最後のはなんだ?」
異世界でゴスロリや絆創膏という単語自体は今さらだからスルーしてもいいが……。
ここフリアードにおいては、日本語で会話が為されているほか、様々な単語や意味が栗栖のいた地球に酷似していた。
「まあ、魔王様も含めて『即刻処刑すべし』『考えうる苦痛と屈辱を与え、生き地獄を味あわせるべし』などという意見がないのは僥倖ですね」
もしそのような意見をだすような連中なら、栗栖はとっくの昔に魔王軍を見限っていただろう。
「ふざけないで! 生き恥を晒すくらいなら名誉ある死を選ぶわ! 殺すならさっさと殺しなさいよ!」
栗栖とカルナックのやりとりをじっと聞いていたコロナは肩を震わせ、怒気をあらわにする。
「さすがは勇者。虜囚の辱めよりも名誉ある死を望むか」
カルナックは「リアライズ」と呟き、虚空から漆黒の大鎌を作り出した。
「え? あの……本気? 本当の本気であたしを殺す気? 考え直すなら今のうちよ」
「見目麗しいそなたを斬って捨てるのは心が痛む。しかし、勇者としての矜持を尊重するならば、魔王である余が直接手にかけねばなるまい」
カルナックは玉座から立ち上がり、大鎌を持った腕をだらりと下げる。
ただそれだけの動作、というより無造作であるにも関わらず、空気が震え、濃密な闇が沸いて出た。
「ね、ねえちょっと。クリス! 何ぼけっと突っ立ってんのよ! 勇者が殺されそうなのよ! 人類の希望が潰えようとしてるのよ? あんたも人間なら正義の使命に目覚め、体を張ってでもあたしを助けなさいよ!」
しかし栗栖は動かない。
そう、身体能力的には無力な一般人として動けないのではなく、動かないのだ。
人間と魔王軍四天王の一員という間で揺れているわけでなければ、コロナを見捨てようとしているわけでもない。
単純に、カルナックという女性を信頼しているからだ。
魔王だからとか勇者だからとかは関係ない。
ただ単純に。
美少女好きの変態魔王がコロナという美少女を殺すことは絶対に有り得ないと、これまでの短い付き合いで十分に分かっているからだ。
「いやあああああああ!」
カルナックが大鎌を勢いよく振り上げ、コロナがぎゅっと身をすくませる。
しかし、カルナックは大鎌を振りおろしはせず、
「うむ、頭が痒いの」
そのまま鋭利な先端で、自らの頭を器用に掻きはじめた。
「…………」
「…………」
場に微妙な空気が流れる。
「うっ……ひっく……うわあああああん」
からかわれたという屈辱、束の間の安堵感、再び訪れるであろう死への恐怖。
様々な感情が一瞬のうちにコロナの胸中をよぎり、彼女は緊張の糸をぷつりと切らし、その場にへたり込んで泣き出してしまった。
「さすがは魔王様。肩書きに恥じない外道っぷりですね」
いかに勇者と言えど、ガチ泣きする女の子を前にすれば、罪悪感がムクムクと沸き上がってしまう。
自分が傍観したことにも責任の一端があると感じた栗栖は即座に保身に走り、カルナック一人を悪者に仕立て上げた。
「ま……ままま……《魔男》よ、余は、余はどうすればいいのだ!?」
魔を統べる王にして、フリアードでは最強に近い生命体であるカルナックも、さすがに泣き出した勇者をあやす術など知るはずがない。
頭を抱えて玉座の前を右往左往するばかりだ。
「もうやだ~! 怖いよ~。勇者やめる~。助けておか~さ~ん!」
壁が見えないほど広い終焉の間に、コロナの泣き声に混じって、ちょろちょろという、水の流れる音が響き渡る。
水源はコロナの紅い瞳、そして下半身からだった。
逆三角の形状で股間を覆う股当てと、太ももの付け根の間から、黄色い液体が染み出るように溢れ、鼻につく刺激臭を漂わせながら大理石で造られた床を濡らしてゆく。
「ふぁう……やだ……み、見るなあ!」
「うぐっ! な、なんだ。この可愛い生き物は!?」
命令口調とは裏腹に懇願するようなコロナの上目遣いを受け、カルナックは噴水のような勢いで鼻血を流した。
「恐怖のあまり失禁する勇者と、それを見て萌え転がる魔王ってどうなんだよ……」
栗栖は掃除用具を取りに行くため、嘆息しながら終焉の間を後にした。