序章
Ⅰ
暖かな風が、私の頬をゆっくりと撫でる。
何故だか、懐かしい思いに駆られる。
東京都、新宿。そこは、私が生まれ育った国の中でも、一番輝き、賑わっている街。小さな村に住んでいた幼いころの私は、地上波で見るその光景に憧れ、大学進学のタイミングで上京してきた。
そこは、憧れていた奇麗な街であり、同時に甘い環境で育った自分への鞭でもあった。田舎だから許されることがあったと、その時初めて気が付いた。
そんなこともあり、気付けば私はもう社会人。立派な大手企業に就職し、昇格も目と鼻の先である。
充実した毎日。それは、若かりし頃に抱いた憧憬でもあるのだろうと思う。
スクランブル交差点の信号が青に変わると、人の雪崩は対岸に向かって一気に流れる。私は、その流れに身を委ね、ゆっくりと前進する。
再び、暖かい風が吹く。そして、思い出した。
この懐かしさの理由を。
刹那、視界がゆっくりと黒く染まる気がした。
人々の罵詈雑言が、それ以上に怖い何かが、私の頬を逆撫でする。鳥肌が止まらない。
どうして、どうしてどうしてどうしてどうして。なんで、こんなに……!
気が付けば、私は横断歩道を渡り切っていた。
もうすっかり暖かくなっているはずなのに、冷汗がとまらない。
駄目だ。思い出してはダメだ。本能が、私にそう告げる。
あの村は、たしかに過ごしやすかった。田んぼだらけで、スーパーすら車で20分で、風邪なんて罹ろうものなら、隣町の大きな病院が最寄りだったけど、そんな不便ささえも日常で、雰囲気や空気は、明らかに東京よりも良い。しかも、村民同士の繋がりだって……。
そこまで思い出し、私は考えるのをやめる。もう、これ以上は思い出したくない。
私は、再びゆっくりと足を動かした。
Ⅱ
「祟り、ねぇ。」
取調室で、俺は大きなため息を吐く。
目の前にいるのは、十数年前、とある事件の容疑者として挙がった人間だった。
とある事件、というのは、言わずもがな、村民虐殺事件である。
2010年某日、『鳳が咲』という村で、村民100人が死亡、34人が重体を負うという大規模なガス漏れがあった。
そのガスは、山麓の鳳が咲どころか、日本では絶対に採集が不可能な家庭用ガスであり、後にとあるガス会社が出している製品と同一の成分であるという結果が出、ガスの噴出は災害ではなく人工的なものであるという結果が出た。
しかし、十年も迷走していたのには理由があった。
それは、明らかにガスの量がおかしかったこと、にも拘らず、一切として容疑者が見つからなかったことだ。使用されたガスの量は、おおよそ一般的に売られているガス数千本に値する。そして、そこまで購入すれば犯人が絞れそうだが、その村や、村周辺でガスを大量に購入していた人間が誰一人としていなかった。
そしてそれから十年、今我々は、ようやく容疑者の絞り込みに成功し、取り調べを行っていた。
彼の名は、篠宮タケル。年齢は27歳。つまり、もし彼が犯人なら、17歳という若さで人を殺めたことになる。警察という立場として、非常に遺憾である。
しかし、こいつがどうも訳が分からないことを言う。
「だから、タケルくん。君が10年前、ガスを買いだめていたのは分かっている。それに、某日にアリバイが無かったことも分かっている。さあ、その日、君は何をしていた?」
「……花火、見てました。」
「しかし、その日は祭りでもなんでもなかっただろう。第一、春だからどこも……。」
「たしかに、その日は花火を見てました。みんなで屋台を巡って、綿菓子や……。」
「だから、そんな夏祭りみたいなことを春先にするわけがないだろう。第一、鳳が咲にそんな風習も祭りもないことは分かってるんだ。」
「……いえ、風習ならありました。」
「……は?」
「みんな、隠してるだけです。鳳が咲の風習を。歴史を。宗教を。」
「……何を言ってるんだ?何度も言わせるんじゃない。君はナントカサマの祟りだとかなんとか抜かしていたが、そんな記録は一切……。」
「記録なんて、燃やせば済む話でしょう。」
「さっきから君は何を言っているんだ?私が知りたいのは、君が村民虐殺の犯人か否か。そして、犯人でないなら、アリバイは実際あるのか。それだけだ。」
「……僕は、やっていません。それは、絶対、オウカイオオミカミの祟りです。」
「……では、その日は一体、本当に何をしてた?5年前かあら集めていたガスは……。」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!絶対に、絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対に絶対にオウカイ様の祟りだ!呪いだ!逆襲だ!」
「!」
タケル氏は、その後も何かが宿ったかのように同じ言葉を連呼し続けた。非常に気味が悪かった。何か薬物をしているのではと、本気で疑った。
しかし同時に、彼の言葉がオーバードーズの副作用であるとは、考えずらいと考える自分もいた。
彼が何度も口にした、「オウカイオオミカミ」というのは、何なのか?調査したとき、その記録が出なかったのは、いったいなぜなのか?タケル氏の言うとおり、村民による隠蔽であったとしたら、それの目的は……?
いや、馬鹿馬鹿しい。警察はそんなに簡単に欺ける存在ではない。第一、祟りなんてものが本当にあるはずがない。信じていては、警察なんて務まらない。
俺は部下を呼び、タケル氏が犯人である線で引き続き調査を進めること、同時に薬物乱用の疑いがあることを伝え、取調室から出た。
Ⅲ
【某日記サイトのスレ『塚又ダイスケの日常for2020』より引用。】
オウカイオオミカミ。それは、古くから鳳が咲で祀られる桜と戦の神。
鳳が咲では、古くから桜は死んだ兵士の血の色となっているという伝説があった。そして、戦で死んだ者は鳳が咲の御神木である大きな桜に宿るオウカイオオミカミの元に還り、新たな桜として輪廻を行うという奇妙な言い伝えもあった。
そこで、毎年春には、オウカイノ政という行事が毎年行われていた。それは、遥か昔に戦死し、桜となって蘇った先祖を弔う儀式でもあり、盛大な花火が近くの湖で打ち上げられていた。
しかし、オウカイノ政には、奇妙な風習があった。
それは、毎年御神木の桜の枝を一本折り、その枝に代表者が血液を滴らせたのち、新たな桜並木として植える、というものだ。滴らせる量が猪口一杯という量であったため、貧血の危険性は少なかったものの、大動脈を誤って切断し、死亡したケースは少なくないという。
一体なぜ、そのような風習があったかは分からない。しかし、2010年以降、オウカイノ政はパタリとなくなり、オウカイオオミカミの伝説も薄れていき、今、それを知る人間は限りなく少ない。
俺は、15年ほど前に鳳が咲に住んでおり、10年前にその地を去った。
その、翌日だろうか?鳳が咲で事件が起こったのは。
今思うと、それを含める全てが、奇妙なことであると実感する。逆に、何故鳳が咲に住んでいたころは、異常に気付けなかったのだろうと疑問に思う。
いや、正確には――――(以後、文字化けにより解読困難。現在、日記サイトのサービス終了によりデータは完全削除された。)
Ⅳ
これは、俺の楽しい青春の一ページに過ぎない、他愛ない物語。
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