第四話
特使レナードの馬車に同乗し、王都アステリアへと向かう旅路。
通常、辺境から王都までの道のりは二週間を要し、粗悪なサスペンションの馬車は旅人の体力を容赦なく削り取る。
しかし、俺たちが乗る馬車の中は、まるで高級ホテルのラウンジのように快適で、静まり返っていた。
「……信じられん。馬車特有の揺れが、完全に消えている」
向かいの席に座るレナードが、窓の外を流れる景色と、手元のティーカップを交互に見比べながら愕然と呟いた。カップの中の紅茶は、水面すら揺らしていない。
「簡単な力学ですよ、レナードさん。馬車の車軸と車体の間に、風魔法を応用した『空気バネ(エアサスペンション)』と、土魔法の摩擦係数を利用した『減衰器』の術式を組み込んだだけです。
路面から伝わる振動の周波数を計算し、逆位相の魔力波を当てて相殺しているんですよ」
「……逆位相、周波数。君の使う言葉は、相変わらず宮廷の賢者すら理解できない響きを持っているな」
レナードは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
五歳の子供が、王室御用達の魔導具である馬車を、乗車して数分で勝手に「改造」してしまったのだ。
彼の胃痛は察するに余りあるが、俺としては非効率な振動でエリナの体を疲れさせるわけにはいかなかった。
「アレン、この本に書いてある『熱力学第二法則』っていうのは、つまり魔法で火を出したあと、その熱を完全に元の魔力に戻すことはできないってこと?」
隣に座るエリナが、俺が前世の記憶を頼りに書き記した手製のノートを指差し、真剣な瞳で尋ねてくる。
「その通りだ、エリナ。エントロピーは常に増大する。だからこそ、俺たちは魔法を使う時、最初から『無駄な熱』や『無駄な光』を出さないように、術式を極限まで最適化しなきゃいけないんだ。王都の魔法使いたちは、派手な爆発を起こすことばかりに夢中になっているけれど、あれはエネルギーの浪費に過ぎない」
「そっか……。じゃあ、私がさっきのボアに使った魔法は、まだまだ無駄があったんだね。もっと頑張らなきゃ!」
エリナがえへへ、と笑いながら俺の肩に頭をこてんと預けてくる。
金色の髪から、石鹸と太陽の匂いがした。 この世界において、魔法とは「感覚」と「血筋」の産物だ。
だが、俺はエリナに、魔法を「物理現象のインターフェース」として教えている。
彼女の恐ろしいところは、五歳にしてその現代科学の概念をスポンジのように吸収し、自身の莫大な魔力で完璧に再現してしまうことだ。
俺がノートの次のページをめくってやると、エリナは食い入るように数式を見つめ始めた。
その横顔は、既に一人の完成された研究者であり、同時に最強の戦士のそれだった。
*
数日後。俺たちの視界に、ついに巨大な防壁に囲まれた都市――王都アステリアの威容が現れた。
「おお……見えてきたぞ。あれが王都であり、大陸最大の魔導結界だ」
レナードが誇らしげに窓の外を指差す。
確かに、都市全体を覆うように、半透明の巨大な魔力のドームが展開されているのが俺の「魔力探知」にもはっきりと視認できた。
外敵や魔物の侵入を防ぐための、国家レベルの巨大術式だ。
だが………
「……ひどいな、これは」
俺は思わず、溜息とともにそんな言葉を漏らしていた。
「ひどいとはなんだ、アレン君! あれは初代国王から代々受け継がれ、数百人の宮廷魔導師が二十四時間体制で維持している、我が国の誇る絶対防壁だぞ!」
「だから『ひどい』と言っているんです。レナードさん、あの結界の魔力流動を見てください。まるで穴の空いたバケツで水を運んでいるようなものです」
俺は窓枠に肘をつき、冷徹な視線で王都の結界を分析した。
「結界の表面張力が不均一すぎます。北側からの偏西風による大気圧の変動を全く計算に入れていないため、強風が当たる面で無駄な魔力反発が起きて、エネルギーが熱として外へ逃げている。さらに、数百人がバラバラの波長で魔力を注ぎ込んでいるせいで、結界内部で魔力の干渉が発生し、維持効率を著しく下げています」
「……な、なにを言っているのか半分もわからんが……」
「平たく言えば、今の魔力消費量の『百分の一』の出力で、同じ強度の結界は作れるということです。……あの無駄な労力を農業や工業の動力に回せば、この国は五年で今の十倍豊かになりますよ」
俺の容赦ない評価に、レナードは完全に沈黙した。
彼も薄々は気づいているのだろう。この国が「伝統」という名の停滞に陥っていることに。
馬車が王都の正門に到着した。
入市審査のための長い列ができている。
門の脇には、巨大な水晶玉のような魔導具が設置されており、衛兵が一人ひとりの魔力波長をスキャンして身元を確認していた。
「我々は特使の馬車だ。顔パスで通れるが、一応、学園の規則で君たちもあの『魔力測定器』を通す必要がある。あれで個人の魔力総量を測り、学園での初期クラスを決定するんだ」
レナードの案内に従い、俺とエリナは馬車を降りた。
周囲の平民や商人たちが、豪華な馬車から降りてきた五歳の子供二人を見てざわめいている。
「エリナ、先に行っておいで。ただし、魔力は『出力制限』をかけたままにするんだ。全開にしたら、あんな旧式の魔導具は一瞬でオーバーフローを起こす」
「うん、わかった。二パーセントくらいにしておくね」
エリナがトテトテと歩み寄り、衛兵に促されるまま、水晶玉に小さな手を触れた。
その瞬間だった。
――ピィィィィィィンッ!!
水晶玉が、直視できないほどの眩い白光を放ち始めた。
内部に刻まれた術式回路が、エリナの「質が高すぎる」魔力に耐えきれず、異常発熱を起こしているのだ。たった二パーセントの出力にもかかわらず。
「な、なんだ!? 測定器が熱暴走を起こしているぞ!」
「離れろ! 爆発するぞ!!」
衛兵たちが恐慌状態に陥り、逃げ惑う。
エリナは驚いたように手を離したが、暴走を始めた魔導具は止まらない。周囲の空気が急速に膨張し、爆発の臨界点に達しようとしていた。
「アレン!」
「問題ない」
俺は焦ることもなく、瞬時に水晶玉の前に移動した。
爆発の原理は単純だ。行き場を失った熱エネルギーが、物質の耐久限界を超えることで発生する。
ならば、その熱を「仕事」に変換して逃がしてやればいい。
俺は水晶玉に手を触れると同時に、脳内で熱力学の数式を展開した。
(ペルティエ効果の術式的再現。水晶内部の熱エネルギーを、強制的に電気エネルギーへと変換。生じた電力は、地表へのアースラインを構築して放電する)
「【熱電変換・強制放電】」
バチィィィィンッ!!
水晶玉から溢れそうになっていた熱と光が、俺の手を通じ、一筋の青白い稲妻となって地面へと叩きつけられた。
石畳が黒く焦げ、紫煙が立ち上る。
直後、水晶玉は嘘のように静まり返り、元の透明な輝きを取り戻した。
静寂。
逃げ惑っていた衛兵たちも、門に並んでいた人々も、そしてレナードも、口を半開きにして俺を見つめている。
「……ふぅ。魔力伝導率の悪い粗悪な水晶に、無理やり術式を詰め込むからこうなる。レナードさん、王都の魔導具技師は、熱放射の計算もできないんですか?」
俺が呆れたように振り返ると、エリナがパタパタと駆け寄ってきて、俺の首に抱きついた。
「アレン、すごい! 今の、一瞬で熱を電気に変えたんだよね!?」
「ああ。少し回路の構築を急いだけど、無事に済んでよかったよ。エリナに怪我がなくて何よりだ」
俺がエリナの頭を撫でていると、衛兵の小隊長らしき男が、震える足で近づいてきた。
「き、君は……今、何をやったんだ? あの魔導具は、宮廷の第一級技師が作った、絶対に暴走しないはずの国宝級の代物だぞ……!」
「絶対なんてものは、科学にも魔法にも存在しませんよ」
俺は冷たく言い放った。
「存在するのは、計算通りの結果と、計算外の事象だけです。あなた方の計算が、うちのエリナの才能に追いついていなかった。それだけのことです」
五歳の子供が放つ、絶対的な自信と理の力。
小隊長はそれ以上何も言えず、ただ道を空けることしかできなかった。
王都アステリア。
魔法の最先端を自称するこの都市は、俺の目から見れば、非効率と欠陥だらけの「巨大なポンコツ」に過ぎなかった。
だが、だからこそやり甲斐がある。
このポンコツを、俺の理論で一から組み直し、エリナと穏やかに暮らせる最強の箱庭に作り変えてやる。
「さあ、行こうかレナードさん。学園の入学手続きが待っているんでしょう?」
俺の言葉に、特使の騎士は深い溜息をつき、天を仰いだ。
「……ああ。今なら確信できる。君たち二人は、数年以内にこの国の根幹をひっくり返すぞ……」
予言めいたその言葉は、のちに全くの事実として歴史に刻まれることになる。
俺たちの王都生活は、既存の常識を文字通り「分解」することから始まったのだった。
今日の更新はこれで終わりです。
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