第三話
巨大な「グレート・ファング・ボア」の死骸を引きずって村に帰還した俺たちを待っていたのは、賞賛の嵐……ではなく、水を打ったような静寂だった。
村の門を守る衛兵たちは、槍を握る手を震わせ、五歳の子供二人が血肉の滴る巨獣を平然と運んでくる光景を、悪夢でも見ているかのような目で見つめていた。
「お、おい……アレン、エリナ。それは……なんだ?」
「見ての通り、ボアだよ。森の入り口付近にいたから、夕飯のおかずにと思って」
俺の至極当然な回答に、衛兵は言葉を失った。
無理もない。この村の常識では、このクラスの魔物と遭遇すれば死を覚悟するのが普通だ。
それを五歳の幼児が「夕飯のおかず」と断じる。
その不条理こそが、俺が三年間かけて積み上げてきた「効率的肉体強化」の結果なのだが。
村の中心にあるロラン家の屋敷――とは名ばかりの、頑丈さだけが自慢の石造りの家へ戻ると、そこには父・ゼノスと、見慣れぬ豪奢な鎧に身を包んだ男がいた。
「帰ったか、アレン! 無事……って、なんだその獲物は!?」
父が椅子を蹴り飛ばさんばかりの勢いで立ち上がる。
だが、俺の視線はその隣に座る男に釘付けになった。
洗練された銀の甲冑。胸元には王国の象徴である双頭の鷲の紋章。
そして、その全身から溢れ出す「磨き上げられた」マナの奔流。
(……ほう。この村の住人とは次元が違うな。マナの出力密度が高い。おそらくは王都の正規騎士団、それも上位の指揮官クラスか)
俺が冷静に分析していると、その騎士はゆっくりと立ち上がり、鋭い眼光を俺とエリナに向けた。
「……信じがたい。辺境の騎士から『息子が異常な才能を持っている』と報告を受けていたが、まさかこれほどとは。五歳にしてその魔力量、そしてボアを一撃で屠る術式。君がアレン・ロランか?」
「いかにも。それで、王都の騎士様がこんな辺境に何の用ですか?」
俺が不遜とも取れる態度で問い返すと、父・ゼノスが慌てて「アレン、失礼だぞ!」と嗜めた。
だが、騎士はそれを手で制し、口元に薄い笑みを浮かべた。
「構わん。強者には相応の矜持があるものだ。私は王国騎士団第三大隊長、レナード・フォン・アルスハイム。陛下より拝命した特使として、君たち二人に通告に来た」
レナードと名乗った騎士は、懐から羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。そこには王室の魔力印が押された、重々しい「招待状」が記されていた。
「アレン・ロラン。そしてエリナ・ウォーカー。両名を、王立魔導騎士学園の『特待生候補』として指名する。数日後、君たちを迎えの馬車が来る。王都へ来い。その才能を国の礎とするために」
王立魔導騎士学園。
この国のエリートを養成する、最高峰の教育機関だ。
平民であれば一生をかけても入学の機会すら得られない場所だが、俺にとっては、その響きは「非効率な拘束」以外の何物でもなかった。
「……お断りします」
俺の即答に、部屋の空気が凍りついた。
父は絶句し、エリナは驚いたように俺の顔を覗き込み、レナードは目を細めた。
「ほう。理由を聞こうか。国の最高教育を受けられるという、一生に一度の好機だぞ?」
「教育、という言葉には語弊があります。俺が聞く限り、その学園で教えている魔法体系は、数千年前から進歩していない『古典魔術』ですよね? 詠唱の長さを競い、魔力の無駄遣いを美徳とするような。そんな場所に、俺の貴重な時間を割く価値があるとは思えません」
前世の科学者としての矜持が、言葉に棘を混ぜる。
この世界の魔法は、あまりにも「感情」や「イメージ」に頼りすぎている。
魔力を物質に変換する際のロス率。 術式展開までの待機時間。
それらを物理法則というフィルターで濾過せず、ただ「奇跡」として崇めている連中に、何を教わることがあるというのか。
「……ふふ、ははははは!」
レナードが突然、腹を抱えて笑い出した。
「面白い。ここまで傲岸不遜な幼児は初めてだ。だが、アレン君。君の言う『効率』とやらが、王都の積み上げてきた『伝統』を凌駕すると言うなら、それを証明してみせろ。言葉ではなく、力でな」
レナードが立ち上がり、腰の長剣を抜いた。
といっても、殺気はない。あくまで「検分」のための構えだ。
「私がこの場から一歩も動かず、君の攻撃を防ぎきってみせよう。もし私の防御を崩せたなら、君たちの学園入りについては、君が望む『特別な条件』を陛下に奏上すると約束しよう。だが、もし私の足元にも及ばぬなら、黙って馬車に乗ってもらう」
俺は隣に立つエリナを見た。
彼女は不安そうに俺の服の裾を握っていたが、俺が頷くと、意を決したように俺の前に一歩踏み出した。
「……アレン。私も、手伝うよ」
「ああ。二人で行こう。エリナ、俺の『計算』に合わせてくれ」
「うん!」
俺はエリナの手を握った。
その瞬間、二人だけの「魔力リンク」が確立される。
俺が演算器となり、エリナの莫大な魔力をハッキングし、最適化された術式へと流し込む。
俺たちはまだ五歳だ。
だが、その体内にあるのは、前世の知性と、今世の天賦の才が融合した「特異点」。
「……行きます」
俺は、先ほどのボアに使った「断熱圧縮」をさらに進化させた術式を脳内で描いた。
今度はただの圧縮ではない。
マナを「超振動」させ、空気中の分子に激しい運動エネルギーを与える。
さらに、その熱量を一点に集中させるための「磁場障壁」を構築する。
(対象の周囲に、摂氏三〇〇〇度のプラズマ層を形成。……いや、それでは殺してしまうな。出力を一〇パーセントに。代わりに、衝撃波の指向性を極限まで絞れ)
俺の脳内を、数千行にも及ぶ計算コードが駆け抜ける。
通常、この世界の魔法使いは、このプロセスを「詠唱」という音声マクロで代行する。
だが、俺はそれを直接、バイナリデータのように魔力回路へ流し込む。
キィィィィィィン――。
大気が悲鳴を上げた。
レナードの顔から余裕が消え、即座に全身へ魔力障壁を展開するのが見えた。
「【指向性衝撃波・最適化展開】」
俺が指先をレナードへ向けた。
発動。 目に見える炎も雷もない。
ただ、レナードの正面にある「空間」そのものが、透明なハンマーと化して叩きつけられた。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃波が室内の空気を跳ね飛ばし、窓ガラスがガタガタと震える。
レナードは――。
その場に踏みとどまってはいた。
だが、彼の銀色の甲冑には深い亀裂が走り、その足元は、石造りの床を二〇センチほど削りながら後ろへ滑っていた。
「……ぐ、お……っ!?」
レナードの額に、冷や汗が流れる。
彼は信じられないといった様子で、自分のひび割れた甲冑と、そして無造作に立っている俺たちを見つめた。
「詠唱なしで……これほどの質量を、物理エネルギーとしてぶつけてきたというのか? 魔法の属性抵抗が全く機能しなかった。これは、魔術ではない……世界の法則そのものを使った、暴力か」
俺は小さく息を吐き、魔力の供給を断った。
エリナが少しふらついたので、その肩を支える。
「一歩、動きましたね。……いや、三メートルほど下がりましたか」
「……ああ。私の負けだ。完敗だよ」
レナードは剣を鞘に収め、深く溜息をついた。
だが、その瞳には、敗北の悔しさよりも、さらに深い「好奇心」が燃え上がっていた。
「わかった、アレン・ロラン。君の条件を聞こう。このまま君たちを辺境に埋もれさせるのは、国家にとっての損失だ。君が何を望もうと、私はそれを陛下へ届ける義務がある」
俺はエリナの手をしっかりと握り、レナードの目を真っ直ぐに見据えた。
「条件は三つです。 一つ、学園での『既存の魔法授業』への出席義務をすべて免除すること。俺たちの訓練は、俺たち自身の理論で行います。 二つ、学園内に俺たちの専用の『独立した研究棟』を与えること。 三つ……これが最も重要ですが」
俺は一度言葉を切り、隣で俺を信じ切った目で見つめる幼馴染を引き寄せた。
「俺とエリナ、二人を常に同じクラス、同じ寮の部屋に配置すること。俺たちは二人で一つの『力』です。片時も離れるつもりはありません」
最後の一文には、五歳の子供とは思えないほどの、重く、執着に満ちた意志を込めた。
この世界で、俺が守るべきものはただ一つ。
俺の理論を体現し、俺の隣で笑ってくれる、この一途な少女だけだ。
国王と同等の権力? 最強の称号? そんなものは、彼女と二人で歩む道についてくる「付随物」に過ぎない。
「……二人を同室、か。学園始まって以来のスキャンダルになりそうだが、君たちの実力を見せつけられれば、誰も文句は言えんか」
レナードは苦笑しながら、再び羊皮紙に何やら書き込みを始めた。
「いいだろう。その条件、私が陛下に直談判しよう。……ようこそ、魔導都市へ。非効率を嫌う幼き賢者と、その比翼の剣士よ。君たちが王都の常識をどう破壊してくれるのか、今から楽しみでならない」
こうして、俺たちの無双ロードは、辺境の小さな庭から、王国の中枢へとその舞台を移すことになった。
馬車が来るまでの数日間、俺はエリナと共に、さらなる「効率化」の特訓を加速させた。
王都へ行けば、必ず俺たちの力を利用しようとする輩や、その才能に嫉妬する連中が現れるだろう。
そんな雑音を、一瞬で黙らせるだけの圧倒的な「正解」を。
俺たちは、二人で作り上げていくのだ。




