申
「寒い。」
つい呟いた言葉が白い煙に変わっていく。
昔はこの季節でも派手なシャツ一枚で平気なもんだったが、
俺も年をとったか・・・
俺はボロボロのダウンに首を埋め
いつもの帰り道である錆びれた商店街を急いでいた。
見慣れた商店街も数日前からここぞとばかりに赤や黄色で着飾っている。
商店街のお色直しも3度目ともなると見慣れたともんだ。
この景色を初めて見た時でさえも、ユキがなんか古臭い、見たような景色だと言っていたことに妙に納得してしまったことを覚えている。
俺達がこの街に来たのも丁度この季節だった。
転々と住む場所を変え、やっとこの場所で落ち着くことが出来るように
なってもう3年になる。
ユキの手を取り逃亡を始めてから数えればもう5年・・・決して短くはない時間だ。
最初の2年間が嘘のように、この3年間は、ユキが時折爆発することを除いて平和だった。
何もない穏やかな日々。
誰もが望む平凡な日常。もちろん俺もその一人。
ユキと二人で、この穏やかな日々を生きていくことを夢見てしまう。
ユキにとっては地獄でしかない日々。
そう、他でもない俺がその地獄にユキを落とした。
「恵の凄さに一番最初に気が付いたのは私なんだよ。」
「恵は私を殺したいんだって、あの恵が私を・・・」
「恵は本当に凄いの、私のやっていたことなんて猿真似に過ぎない、恵は本物。」
「ねぇ、なんで猿って字には足りないとか稚拙とか愚かって意味があるんだろう。人間の方がよっぽど愚かで稚拙だよね。」
「恵、悔しがっているだろうな、殺したくて仕方がない私が
まだ生きてるんだもん。」
「ひょっとして恵自身が殺しに来たりして。」
「早く来ないかなぁ・・・」
ユキは逃亡の日々が始まってから今まで同じことを言い続けている。
俺はその度、気を付けなきゃなとか、今日は追っての目は無かったとか
今日は怪しい視線を感じたから出かける時は注意しろと言ってきた。
最初は本当だった、ユキは確かに命を狙われていた。
だが今ではもうユキを俺達を誰一人を追ってはいない
追ってくれてはいない
そりゃそうだ、俺達を追っていた組自体がもう無い。
このことを風の噂で聞いた時、俺は素直に喜べなかった。
だから聞かなかったことにした。
事実から目を背け、ユキには何も言わない。
そう決めた。
そもそもあの姉御が誰かを殺したいと思うほど執着するとは思えない。
それはユキが一番分かっている筈だ。
始めからただの遊びで、気まぐれで暇つぶし
その姉御すら、今生きているのかもわからない。
例え俺が黙っていようが、どれだけ嘘を付こうが
続く日常が真実を語る。
それでも続く愚かで稚拙な猿芝居、ユキが認めるまで終わらない夢。
「メリークリスマ~ス、チキンいかがですか~、メリークリスマ~ス、チキンいかがすか~。」
落ちる思考に間延びした声が聞こえてきた。
「チキンか・・・」
ケーキだけでは寂しいか、今日ぐらい贅沢してもいいだろう。
「すみません、チキン1つ下さい。」
俺はコンビニの店前で気だるげにしている店員にそう伝えた。
「ありがとうございま~す。1点で800円です。」
そう言われたので特に考えることも無く千円札を差し出した。
店員はお金を受け取るでもなく、チキンを袋に詰めるでもなく突っ立っていた。
こいつどうした?
時折利用している店なのでこの店員は良く知っている。
こういう癖があるのも知っているが今は早く帰りたい。
声を出そうと息を吸った時、
コンビニ店内から、小太りの中年が滑りだして来た。
そのおっさんは、その勢いのまま
当時でも見たことない程、見事な土下座をした。
あまりの見事さに、見入ってしまった。
息を吐きだす間も無く。
その小太りが会計を済ませチキンを包み、おまけまで包んでいる。
別に怒っちゃいないんだが・・・
まさか土下座している相手に圧倒される日が来るとはな。
思わぬ事態だったが今日ぐらいといいかと浮かれている自分がいる
考えれば去年まではケーキすら無かったクリスマスだった
だが今年は大きなチキンとポテトのおまけまでついてる
大層豪華になったもんだ。
馬鹿みたいに袋を抱えた俺を見たらユキは笑うだろうか
ケーキやチキンを喜んでくれるだろうか・・・
足取りが自然と速くなる
俺はガキか、そう思いはしたが
足取りはそのままに商店街を抜けて行った。
「ただいま。」
返事は無い。いつもことだ
ユキは分厚い赤の半纏姿で炬燵に足を入れ窓の外を見ていた。
朝、俺が出かけた時のまんまの姿だ。
俺はユキの目の前に両手に持った袋をドサッと落とす。
ユキはそれでも窓から目を離すことは無かった。
「ユキ、今日はクリスマスだろ、ケーキを買って来たんだ。」
返事は無い。
「チキンもある、今日ぐらい豪勢に行こうと思って。」
返事は無い。
予想していた筈だ、こうなると分かっていた筈だ。
覚悟はしていたのにな・・・
「そうだ、チキンを買った時、面白いことがあってな、
近くにコンビニあるだろ・・・」
ピンポーン
チャイムが鳴る。
誰だ、こんな時に
新聞の勧誘かなんかか?
運の悪い奴だ、俺に八つ当たりされるんだからな。
怒鳴る気で玄関のドアを開ける。
「すみません、箸を付け忘れまして。お届けに上がりました。」
そこには先程のコンビニの店員が居た。
余りの間の抜けた声と顔に気勢を削がれる。
「お前、箸って、チキンに・・・・」
その瞬間男が懐に飛び込んできた。
男を受け止める形になり、次に感じたのは衝撃と熱さだった。
男を蹴飛ばしたが、胸には深々とナイフが刺さっていた。
飛びそうな意識の中、一番に思ったことは
ユキを逃がさなくてはということだった。
口から溢れる血に構わず、部屋に戻った。
ユキは逃げるでもなく、慌てるでもなく。
まともに声も出せない俺をじっと見据えていた。
血だらけの俺を見てユキは、幸せそうに笑った。
それはずっと見たかった笑顔だ。
ああ、やはり君は美しい