卯
どこで間違ったんだろう。
アパートのドアをドンドン叩きながら叫んでいる男の声を聴きながらそう思っていた。
私は常に一番だった、ずっと、ずっとだ
全部、あの女のせいだ。
高校で出会ったあの女、
私は、その女、恵を初めて見たとき綺麗だと思った。
女としての特徴をふんだんに含んだ体、
おっとりとした顔立ちから漂う色香。
私には無いものだ・・・負ける?私が?
それから、ずっと恵を見ていた、
恵は綺麗になるための我慢も努力もしていなかった。
私が、常温の水飲み、サラダを食べているときに、
恵は、カフェオレとメロンパンを食べていた。
私が負ける訳がない、私は別に努力をアピールしている訳じゃない。
こんなもの努力の内にはいらない
裏では、皆が想像できない努力を重ねている。
だから私は一番なんだ
小、中、高と私はずっと
学校だけじゃない、街を歩いても私が主役だし
されたナンパ、貰った名刺なんて数えきれない
気まぐれでやった読者モデルの仕事でも私より可愛い子なんて見なかった。
始めて少ししかたってないからまだだけど、高2になる前には表紙には私が載ってる
女優のスカウトだってあった、演技などしたこと無いし、
別に自信も無いが私ぐらい可愛ければ問題ない。
気にする必要なんてない、私と恵ではステージが違う。
どうせ家ではもっと自堕落な生活をしているのだろう、
今はまだ若いから、ギリギリその体系なんだ、一歩間違えればただのデブだ。
なのにだ、私が独占するはずの視線はたびたび恵に奪われた。
羨望、憧憬、情欲、嫉妬の視線すら私のだ、奪うんじゃない。
あんなふざけた眼鏡をかけ、私は知りません、関係ありませんという態度に腹立つ。
なにより、私が恵を目で追ってしまっていることに一番腹が立つ。
もううんざり、勝負をしよう、私とあなたのどっちが上か決めよう。
そうしなければ私の気が収まらない。
まずそのダサい眼鏡を取ってみなさいよ、それでも私が勝つから。
そう思って声をかけた。この私からだ。
その結果は最悪だった、恵は私に興味なんてない。
うさぎさんみたいだと言われた、兎のようだと言われたのが初めてな訳じゃないのに
腹が立った、悔しかった。
泣きそうになって、必死に我慢して立ち去った。
その日の夜
私はなかなか寝付くことが出来なかった
どうしても昼間の事が頭から離れない
やっとうつらうつらしたところに
恵の声が聴こえてきた。
「うさぎさん。
貴女は一人では生きていけないのでしょう?寂しくて死んでしまうのでしょう?
貴女は弱い人間。私と貴女は違うのよ。」
慌てて飛び起きた私は、その日もう眠ることが出来なかった。
次の日から徹底的に恵を虐めてやった、
私が何かする必要はない、周りが勝手にやってくれる。
私が辛いと、恵に虐められたと言うだけで。
これで分かったか、私の方が凄い。
恵がごめんなさいと謝るなら許してあげよう。
周りが勝手にやったことだけど、私のせいだと謝って、取り巻きに入れてあげよう。
これで私の勝ち。
そうでしょう、だから早く謝りに来なさいよ。
恵はいつまでも謝りに来なかった、あんなにいじめられているのに
笑顔が消えることがなく、取り巻きにも虐めを辞めたいと言うものが出だした。
それどころか恵を救おうとする者まで現れた。
いつの間にか、視線の中心は恵になっていた。
その後の三年間、恵への注視が無くなることは無かった。
終わってみれば間抜け話で恵に注目を集めたのはほかならぬ私だった。
私がせっせとおぜん立てしたから彼女は気づかれてしまったんだ。
もしかしたら、私が恵に執着しなければ恵は普通のどこにでもいる
女子の一人だったかもしれない。
その事実に気が付いてしまった時、私の体から一切の力が抜けっていった。
何をしていたのだろう、何がしたかったのだろう。
せっかく推薦で入った、都内有数の大学は行くこと無く辞めてしまった。
モデルの仕事もめっきり無くなった、まるで私など最初から居なかったようだった。
家で過ごす時間が増え、毎日、カフェオレとメロンパンを食べている。
もうずっと同じことを考えている。
「死んじゃおっかな・・・・」
ラインの軽い着信音で現実に戻る。
待ち受けには、律義な取り巻きからの恵がキャバで働いているらしいという報告だった。
その一文は私に驚くほど力を与えてくれた。
目の前の食べ残した、カフェオレとメロンパンを全て捨て、
サラダチキンと常温の水にした、軽めの運動とストレッチ、半身浴で体を整えた。
三か月後、私は私史上でもっとも綺麗だと思える私になった。
その足で、恵が働いているというキャバクラに行った、
もちろん即採用だった。
入って分かったことだが、恵はこの店で№1だったこと、すでに歌舞伎町の高級店に移っていることだった。
恵に入店を悟られたくなくて、探りを入れなかったのが災いとなったが、
この店で恵の人となりや、実績、私に出会うまでの出来事、そして私に出会ってからの話を聞くこが
出来た。
恵に勝ちたい、そして謝りたい、本当に支離滅裂、めちゃくちゃだがその思いが私を真っすぐにした。
まずはこの店で№1になろう。そして恵が移ったという高級店でちゃんと恵と向き合う。
私は、恵から逃げない。
そう固く誓って、私はそれを実現した。
恵ほど早くはなかったが一年頑張ってお店で№1になった、
それから一月程で、恵の働く店に移れることになった。
聞いた話だと、恵は既にママになっているという、大ママではないが既に二番手
恵さえその気なら新しい店のママになることも話に出ているらしい。
恵にはそれだけ太い客が沢山いるということだ。
不思議と悔しさより嬉しさが勝っていた。
明日は恵が居る店に初出勤だ、
先ずは謝らなきゃ、高校でのこと、そしてこうして追っかけるようなことを
していること。
恵は許してくれるだろうか、やっぱり怒るだろうか、そりゃ怒るか、虫が良すぎる。
あきれられたらどうしよう。
怖いなぁ、でもそこから始まるんだ。ちゃんと謝って、許してくれなくてもいい
もう一度恵と向き合っていつかは肩を並べたい。
出勤日は緊張で飲んでもないのに吐き気が酷かった。
オープンよりもかなり早く来てしまった。
幸いなことにボーイがいたので、店内の施設や間取りを聞いて心を落ち着けた。
以前勤めていた、お店とは比べ物にならないくらい広く、充実しており
装飾一つ一つに品があり美しかった。
恵はこの店でママやってるんだ。
そうこうしているうちに恵が出勤してきた。
大丈夫、何度もシミュレーションしてきた。
入ってきた恵を見た瞬間、言葉を失った。
綺麗だった。あの頃の何十倍、いや何百倍も、
あの頃、野暮ったさはかけらもなく、あか抜けて自信に満ちた表情。
匂立つような色気はこの店に満ち、狭く感じさせた。
煌びやかだった、店の装飾もまるで色が無くなっていくかのように目に入らなくなる。
あの頃から、色気はあった。
今は、品格すら携えた、一種の芸術作品。
キャバ嬢を花や宝石に例えることはあるが、それだけでは言葉が足りない気がした。
だめだ、飲まれている場合じゃない、声をかけなくては。
「ひさつ・・・」
「初めまして、一ノ瀬 穂希です。これから短い間だけど宜しくね。」
「あの・・・」
「あ!もちろん知ってるわよ!あなためぐちゃんでしょ!
昔私が働いてた所の№1だったんですって、凄いじゃない!」
「実は私も№1だったんだよ!凄いでしょ!」
「知ってます。色々と聞いたから・・・」
「そうなんだぁ、皆おしゃべりだなぁ、
あ!そうそう移店大変だったでしょう、ごめんなさいね。私が寿退社することになって
代わりの務まる子を探してたのよ。でもめぐちゃんが来てくれて良かった。
安心して任せらせるね。うんうん」
その後のことはあまり覚えていない、移店祝いで来てくれてた私の客から
心配のメールが沢山届いていたが、全部無視した。
程なくして、恵は辞めていった。結婚相手はどこぞのヤクザの爺。
あんな爺のどこがいいんだろうか
恵は最後まで私をユキとは呼んでくれなかった。
恵はわざと私に気が付かなかった訳じゃない。それだったらどれだけ良かったか。
本当に覚えていない、そもそも私を認識していない。
高校の頃、あの頃から、私はその他大勢の一人。
そこからの私の人生はキャバ嬢のテンプレートだ。
ホストに嵌って馬鹿みたいに飲んで、借金作って、
風俗でも返しきれず、どれ程あるのか見当もつかない。
そして、現在
皮肉なことに、今、ドアの前で叫んでいるのは恵の所の下っ端だ。
しかし、五月蠅いなぁ、もう開けてやるか。
どうせ金はない。殴ってこられたとして、顔に傷でもついたら困るのはあいつらだ。
そう諦観してみても怖いものは怖かった、震えながらドアのカギを外す。
勢いよくドアが開かれる。
「逃げよう!!!」
開かれたドアの勢いと大きな声で体が委縮してしまい反応に遅れた。
水をかぶったように濡れた男には見覚えがある。
辰と呼ばれていたはずだ、恵の所の下っ端では体格が良く
あまり声を張り上げている所は見たことがない。
それに私を殴ったことも無かった。
委縮してしまった私に対して、言葉を詰まらせた辰だったが、
割れそうなガラス細工に触れるかのような丁寧さで再度
「怖がらせてすまない、ここから逃げよう」と言った。
その姿がありに不釣り合いで先ほど感じていた怖さが無くなった。
少し戻った冷静さが思考をさせる。
逃げよう?どこに、何から?そもそも私を追い詰めているのは目の前にいる辰だ。
「どういうこと、意味が分からない。」
自然と言葉が出ていたらしい、それに辰が答える。
「隠している暇がないから、率直に言うがお前を殺せと上から命令がでた
だが俺はお前に死んでほしくない、だから俺と逃げてくれ頼む!」
大男が私の前で頭を下げていた、高校でも経験したことのない
ことに困惑する。でも嘘を言っているように思えなかった。
「私を殺す意味なんてある?」
素直に思った、殺すより風俗ではめていたほうが、金になるだろうと他人事のように思う。
「お前を殺すってのは姉さんの指示なんだ、今は子分に時間を作らせてる
幸い、俺は組の信頼も厚い、逃走資金も用意した、だから今なら絶対に上手くいく
今だけでいい俺を信じてくれ。必ず何とかしてみせる。」
後半は聞いていなかった、恵が私を殺そうとしている?
私を恵が?
「そっかぁ、恵は私を殺そうと思うぐらい憎んでいるんだね。」
「あぁ、だから・・・」
だめだ、どうしても笑いをこらえられない、だってさぁ、あの恵がさぁ
私のことをずっとずっと憎んでたんだよ、私のことずっとずっと思って、見てくれていたんだよ。
嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しい
え?何?逃げよう?
うん、逃げよう、きっと悔しいよね、信頼した部下に裏切られて、
私に盗られて悔しいよね。
逃げ続けよう、私は兎、貴女の前をピョンピョン飛び跳ねるの。