(1-07)第一章 天才少年(4)
「そういう意味で、私が持っているのは――この『私』くらいだよ」
正直、驚いた。
ここで、その言葉が出るとは。
深呼吸をしてからその言葉を口にしたということは、ただの思いつきや、勢いでで言った訳ではないのだろう。
瑠璃にはそれほどの覚悟がある、ということか。
僕は正直この時点で、彼女が話す『魔法』は、全て嘘偽りなく真実だろうと思った。
けれど、それと、頼みごとを聞くかどうかは別だ。
「それは良いね。それじゃあ――」
彼女には覚悟がある。
それは分かった。
だから、僕が確かめることはあと一つ。
その覚悟の強さだ。
僕は言う。
「瑠璃、きみをもらおう」
「えっ――?」
瑠璃の驚きの声や表情の変化は全部無視して続ける。
「結婚しよう。もちろん、すぐには法律が許さないから、まずは僕の彼女になってもらう。当然、結婚を前提にした付き合いだ。これから数年かけて、瑠璃を僕好みの女性に育てる。瑠璃だって僕を好きに変えれば良い――」
「待って、待って。あの、それは無理です」
瑠璃があわあわと手を振って拒否の言葉を口にする。
「私、これでも一応、王女ですから、勝手に決められません。お母さんにも相談しないといけませんし、お父さんはきっと怒っちゃいますし……。それに、領民のみんなもすごくびっくりしますし、国内の権力バランスだって」
そうか、無理か。
瞬間的に、すっ、と熱が退くのを感じた。
それなら――。
――この話は、なしだ。
「無理、か。――その条件だったら、魔法少女ごっこに付き合っても良いって思ったのに」
僕は、瑠璃の言葉を遮って言った。
意識して、冗談だと分かるように、笑顔で。
彼女は、ベンチから立ち上がった。僕の正面に立つと、僕の瞳をまっすぐに見てくる。
瑠璃の瞳には、失望の色がある。
絶望の、色があった。
「ごっこ……。――付き合っても、良い……って」
茫然と、瑠璃が呟いた。
そう。
僕が意図したように――。
彼女は理解したことだろう。
「この話はここまでだ。細かい設定まで良く考えてあったし、作り話にしてはなかなか面白かった」
僕の言葉に、瑠璃はみるみる顔色をなくしていく。
「それにしても、何のためにそんな話をしたのか疑問だな。まさか本当に、契約だとか言って僕とキスがしたかっただけ、とか?」
まったく、我ながら。
笑顔で。
随分と酷い事を口にする。
自分のことながら、そう思わずにはいられない。
これが僕の『性格的問題』というやつだ。
僕は、瑠璃にさえ――僕を信じて決意し、覚悟の上で全てを話してくれた、魔法の国から来た女の子にさえ――心を開くつもりがないのだから。
「信じて、もらえてなかったんだ……」
瑠璃の口から言葉がこぼれた。
「信じてくれて、なかったんですね……」
そして、大粒の涙がこぼれ出す。
僕がしたことと言えば――肩をすくめて見せただけ。
「最後に一つ、聞いても良いか?」
僕は、たった一つ残った――残しておいた疑問を投げかける。
「なぜ僕に頼もうと思ったんだ? 委員長に、天才少年だと聞いたからか? 自分の利益になると思ったから?」
瑠璃は、首を横に振った。
涙の粒が、宙に舞った。
「似ていると思ったんです」
瑠璃の答えは――。
「最初は、朝美ちゃんから話を聞いて、その天才少年が――小泉くんが、私の〈騎士〉になってくれたら、あの子に勝てるかもしれないと思ったからです。でも実際に話してみて、似ていると感じたんです。私と、小泉くんが、似ていると思いました」
――完全に僕の予想外のものだった。
だから――。
「優しくしたいのに、それを許してもらえない私と、本当は優しいのに、それを自分に許していない小泉くんが――」
――僕の思考が止まった。
「――似ていると思いました。あなたとなら――」
瑠璃は、涙を流して、叫ぶように言葉にする。
「――一緒に、優しくできる世界を作って行けると思ったんです!」
僕は、言葉を返せなかった。
瑠璃と、僕が、似ている、と。
本当は優しいのに、それを自分に許していない、と。
優しくできる世界を作る、と。
瑠璃の言葉が、僕の内側に反響している。
やがて。
「……ごめんね、時間をとらせちゃって。聞いてくれてありがとう。でも、もう、こんな変な話は、しないから。忘れて――」
そう言って、瑠璃は僕に背を向けた。
行ってしまう。
なんだよ。
なんなんだよ、それは。
なんで――僕は、こんな気持ちになってしまうんだろう。
【瑠璃】
「おーい、瑠璃ちゃーん」
校門を出ようとしたところで、名前を呼ばれました。
顔を上げると、校門の陰から顔を出して、朝美ちゃんが元気一杯に手を振っています。
小泉くんがいる図書室の裏に向かうため、一緒に帰ろうという彼女の誘いを断って、先に帰ってもらったはずです。それなのに、面倒見の良い彼女は、私が来るまで待っていてくれたようです。
「待っててくれたの? ありがとう」
私は、そう言って朝美ちゃんに駆け寄りました。
「瑠璃ちゃん、泣いてた?」
私の顔を一目見るなり、朝美ちゃんは真剣な顔で、真っ直ぐ言葉を投げてきました。
そうですね。
女の子同士ですから、わかってしまいますよね。気持ちを落ち着かせてから顔を洗ったり、最低限はちゃんとしたつもりでしたが。
「ん。ちょっと……」
言いよどむわたしに、朝美ちゃんは笑顔で言います。
「もしかして――転校早々、小泉に告白してフラれた、とか?」
小泉くんがどこにいるのか教えてくれたのは朝美ちゃんです。彼に会っていたことも、当然知っています。だから、自然とそういう発想になるのでしょう。
「あはは、違うよ。……でも、近い、かも」
否定はしましたが、冗談めかした朝美ちゃんの言葉は、実は正解と言っても良いかもしれません。
自分が〈魔法少女〉であることを含めて全てを打ち明けたのに、結局のところ小泉くんは〈騎士〉にはなってくれなかったのですから。
その言葉がきっかけになったのでしょうか。
私は小泉くんから言われた言葉を思い出してしまいました。
まさか、〈騎士〉になる報酬として、私が欲しい――結婚しよう、と言われるなんて。
私は、その条件に、はい、と応えられませんでした。
だから、小泉くんは、私の話をなかったことにしてしまいました。
それくらいのことは、私にも分かりました。
私の覚悟が、その強さが、足りなかったのです。
でも。
それでも。
たとえ、魔法の国のお姫様でなかったとしても。
突然あんなことを言われて、即答できる小学五年生なんていません……。
「え。もしかして、逆? 好きだとか言われたの?」
朝美ちゃんが驚いたようにそう言いました。
もしかしたら、私は頬を赤くしてしまっていたのかもしれません。
細かい状況はともかく、ほとんど初対面とはいえ同い年の男の子から、あんなセリフを言われると言うのは、女の子なら誰でも憧れるところです。無理もありません、と私は自分を弁護してあげたいです。
「まさか。そんなこと、言われてないよ。あはは」
誤魔化して笑いました。
好きだ、とは言われませんでした。けれど、それどころではなかったのです。
彼に言われたのは――『結婚しよう』『僕の彼女になってもらおう』『結婚を前提にしたお付き合い』『僕好みの女性に育てる』『瑠璃が僕を変えても良い』――だったのですから。
「そっか。いくらなんでも、それはないよね。まあ、とにかく――」
軽い調子でそう言うと、朝美ちゃんは歩き出しました。私も、横にならんで歩きます。
「――何か困った事があるなら、私が助けになるよ」
私は、驚いて朝美ちゃんの横顔を見つめてしまいました。
「私、さ。……瑠璃ちゃんのこと気に入ったんだ」
朝美ちゃんは前を向いたまま、少し照れた様子で続けました。
「私ってこんな性格だから――まあ、クラス委員長には向いてるんだろうけど、ハッキリ物言うし、ちょっとした失敗をからかったりしちゃうし、今みたいに泣いてる子がいたら見て見ぬふりなんてできないし。つまり――あんまり仲が良い友達がいないんだよね」
それは――。
ええ。
私も感じていました。
嫌われている訳でも、仲が良くない訳でもありません。それでも、朝美ちゃんには、本当に仲が良いと言える友達はいないのではないでしょうか。
それは多分、朝美ちゃんが、クラスメート達と比べて色々なことを考えているからです。
朝美ちゃんは、『良い・悪い』や『好き・嫌い』に対する自分の基準をしっかり持っています。ダメなことはダメだと言えます。冗談にできるラインをしっかり持っています。だからこそ、クラスの中で、ほんの少しだけ浮いてしまうのでしょう。
小泉くんが自分で壁を作っていると言うなら、朝美ちゃんは逆に周りに壁を作られてしまうタイプだと思います。小泉くんのように突き抜けていれば違うのかもしれませんが、朝美ちゃんのように『少し優秀』というのは、本人にとっては辛いことかもしれません。
「瑠璃ちゃんは、そんな性格の私が、そのままでいても気にしてないって感じだからさ。転校生だから、っていうのもあるかもしれないけど。つまり、その――」
言いよどんで、朝美ちゃんは私を見ました。足を止めて、言います。
「仲良くなりたいんだ。私は、瑠璃ちゃんと――親友に、なりたいと思うんだ」
その言葉は、ゆっくりと私の胸に降りてきました。
嬉しいです。
心からそう思いました。
私にも、同じ思いを持っていたのです。
〈女王候補〉であること、領主であるお母さんの娘であること。そんな私の外側じゃなくて、私を見て欲しい、と。そのままの私を見て欲しいと思っていたのは、私も一緒だったのです。
「とっても、嬉しいよ。うん。私も、朝美ちゃんと親友になりたい」
きちんと言葉に出して伝えます。
その時の朝美ちゃんの笑顔は、これからどんなに時間が経っても、絶対忘れません。
これから地球世界で過ごす日々の中でも、とっても大切な思い出の一つになります。
そう思いました。
そして。
――決めました。
朝美ちゃんに、全てを話そうと思います。
「朝美ちゃん」
彼女に、私の〈騎士〉になってくれるようお願いしてみましょう。
「私ね、実は――」
その瞬間でした。