(1-05)第一章 天才少年(2)
「て、天才少年、ですか?」
予想外に飛び出して来た単語を、私はそのまま繰り返してしまいました。
「この四月に、テストがあったんだ」
朝美ちゃんが説明を始めました。
「全国の子ども達が受けるテストで、クイズとか、パズルとか、算数の計算とか、間違い探しとか、そういう問題を細かく時間を計ってたくさんやったの。記憶力とか知能指数とか頭の回転の速さとか、とにかくそういう『考える力』みたいなものが分かるんだって」
朝美ちゃんはペラペラと調子良く続けます。
「小学五年生が、平均的な小学五年生くらいの考える力だと百点なんだって。ちなみに、私は百十七点。どんなに頭が良くても百四十点くらいだって言ってたかな。そのテストで、小泉は何点だったと思う?」
普通だと百点というのは珍しいので、パッと点数のイメージがわきません。
それでも、話の流れからすると、小泉くんの点数が相当良かったと予想できます。
テスト自体の最高点が百四十点というなら……勘ですが、百三十点くらいでしょうか。
「えっと、満点だったの? 百四十点?」
直感をやや上方修正して答えました。と言っても、これが最高点ですから、それ以上に良いということはないはずです。
しかし、その答えに、朝美ちゃんは首を横に振りました。
「あのね、点数が計算できなかったんだって。テストで計測できる範囲に、小泉がいなかったって説明があったみたい。小泉の考える力が、そのテストでは点数がつけられないほど高かったんだって」
「――」
それは、すごいことではないでしょうか。
私は、すぐには返す言葉を見つけられませんでした。
「いつも難しい本読んでるし、学校のテストは百点ばっかり。頭良いんだろうなぁ、って思ってたけどね。そう言えば、さっきの金谷先生みたいに、他の先生達からも時々頼みごとされてるみたい」
「先生達から? 頼みごと?」
大人が、子どもに頼みごとですか?
それも、私にはちょっと想像できないことです。
「さっきも話題になったけど、金谷先生って、若いから雑用を押し付けられちゃうのね。その一つに、臨時の時間割作りがあるんだって」
朝美ちゃんは、得意気に続けました。
「先生が急にお休みしちゃった時とか、台風で学校が休みになった時とか、時間割を調節する必要があるんだって。これまで授業した時間とか、授業がどれだけ進んだかとかを気にしながら、その一週間だけ使う新しい時間割を作るの。でも、一人の先生が三クラスで同時に授業はできないし、給食のすぐ後にカエルの解剖できないし、体育とか二時間連続の授業もあるし、結構考えるのが大変みたい」
確かにそれは大変でしょう。
時間割の組み合わせなんて、単純に考えても相当な数になるはずです。しかも、その中から条件に合った一番良いものを考えないといけない。ちょっと想像するだけで頭が痛くなりそうな仕事です。
「それをね、小泉って、条件のメモと三クラスの時間割を見て『ふむ』って考えるだけで一番良い時間割が分かっちゃうんだって」
「それは……すごいね」
思わず呟いていました。
それが本当だとしたら……。
彼に――その小泉くんに、『アレ』を頼むのはどうでしょうか。
私の頭に、そんな直感とも呼べるような考えが浮かびました。
「他の先生も似た感じかな。ちょっと考えるのが面倒だな、っていう仕事を小泉に頼んじゃうみたい。そう言えば、六年生の生徒会長もクラブの予算の話とかを小泉に相談していたみたいだし。ね、ちょっと頼りになりそうな気がするでしょ」
朝美ちゃんの追加情報に、私は素直に頷きます。
「うん。確かに、そうだね」
「それからね。……これはあくまでウワサ話なんだけどね」
なぜか小声になって顔をよせてくる朝美ちゃん。
私も、釣られて神妙な顔になってしまいます。
「さっきのテストの結果がすごすぎて、アメリカだかイギリスだか、どこかの国でやってる天才ばっかり集めて特殊授業をやってる学校から、うちに来て勉強しませんかって誘いの話があったらしいよ」
そんな人がいるなら――と私は思いました。
話をしてみる価値はあります。
もし、小泉くんがアレを引き受けてくれるとすれば――私は、あの子に勝てるかもしれません。
「すごい人なんだ、ね。……というか、朝美ちゃんのウワサ話を集める力もとってもすごいね」
これも、私の素直な感想です。
「あはは。私のは全然すごくないって」
ぱたぱたと手を振って、朝美ちゃんは謙遜してみせます。
いいえ、十分すごいと思います。
「ま、でも、瑠璃ちゃんに気になる男子ができたらこっそり教えてね。そいつの好きな食べ物とか好みのタイプとか、ぱぱっと調べちゃうから」
一旦冗談めかしてから、朝美ちゃんは何かを思い出したように渋い顔になりました。
「――あ、そうか、そうだなぁ。小泉は……。頼りにはなるんだろうけど、うーん、あんまりおススメできないかな」
「え? なぜですか?」
朝美ちゃんは苦笑まじりに、素直に伝えて良いものか迷うような表情で言いました。
「まだ面識もない転校生に、こういうこと言うのは好きじゃないんだけど。うーん、小泉、ちょっと性格に問題があるんだよね――」
【玖郎】
「――小泉くん? 少しお話できる?」
その声に、僕は読みかけの本から視線を上げた。
無視して読書を続けても良かったが、凛と響く声に思わず目を上げてしまった。印象だけで表現するなら、神社の神楽鈴のような――涼やかに響く、良く通る声だ。
声の主は、今日転校してきたばかりの女子生徒だった。落ち着いた印象になるように選んだと思われる服装に、真新しい水色のランドセル。少し急いで来たのか、肩まで届くくらいの黒髪が跳ねて、風に吹かれて揺れている。
話ができるかと尋ねる一言から会話を始めたところから、年齢に似合わない落ち着きを感じる。それとも、これが育ちの良さというものだろうか。
しかし、その黒色の瞳に浮かぶのは、真剣な色だった。
なるほど。
僕に話がある、という部分は間違いなさそうだ。
一日の授業は全て終わっている。クラブ活動でもなければ、校舎にとどまる小学生はほとんどいない。何か話があったとしても、明日にしようと思うのが普通だ。それをわざわざこの場所――図書室の裏手にあるベンチまで来て、声をかけたのだ。
この時間、この場所に、僕がいることを知っていた。
そして、話をするのに都合よく――この場所にはほとんど人が来ない。
だからこそ、この時間、この場所か。
転校初日でそれだけの情報を集めるとは――いや、そうか、委員長か。霧島朝美のウワサ収集能力だけは認めざるを得ない。まったく恐るべきクラス委員長だ。
「転校生――清水・セルリアン・瑠璃、か。僕に何か用か?」
僕の言葉に、彼女は驚いたようだった。
それから嬉しそうに笑顔を見せる。
察するに、僕が彼女のフルネームを覚えているとは思わなかった、といったところだろう。
「名前、憶えてくれてたんだ。ちょっとびっくりしたよ。ありがとう。――あ、呼び方、瑠璃で良いからね。朝美ちゃんもそう呼んでくれるし」
その言葉に、僕は頷いて見せた。
「僕のことは委員長に聞いたんだな。とすると、用件は何か頼みごとか。彼女に頼めなくて僕に頼むこと、か」
「うん……」
僕の言葉に、彼女――瑠璃は頷く。
頼みごと、か。
瑠璃を見ると、唇を引き結んでいる。
僕に頼んでしまって大丈夫だろうか、話してしまって大丈夫だろうか、そんな胸中の思案が予想できる表情だ。
それでも瑠璃は、僕の目をまっすぐに――彼女に限らず、他では見たこともないような真剣な眼差しで――見つめてくる。
その真剣な瞳の光を見て。
僕は――は、と小さく息をついた。
それから、座っていたベンチの中心から左へと移動する。
「え?」
「長くなるんだろ? 落ち着いて話せ」
そう言って、隣に座るように促した。
何がそんなに意外だったのか、瑠璃は目を真ん丸にして驚いていた。
いや、そうか。
無理からぬことかもしれない。
恐らく、瑠璃が僕について持っている印象は三つだろう。
一つ目は、僕がクラスになじんでいないこと。転校生を質問する輪に混ざっていなかったり、昼休みに教室にいなかったり、クラスメートと僕の態度だったり、それこそ一日あれば十分に理解できるはずだ。
二つ目は、僕が天才少年だということ。先生からの頼みごとや、この前のテストの結果の話など、きっと委員長から事前に聞いているだろう。だからこその頼みごとのはずだ。
三つ目は、これも委員長から聞いているだろう――僕の性格の問題点だ。人と距離を取りたがる、と。
もちろん、これは僕自身が意識してそうしていることだ。
クラスでよそよそしい態度をとることも、頼みごとに対してきっちりと報酬を要求することも、そう――知らない生徒と関わりを持たないように、道でぶつかってしまった謝罪の途中で、デコピンを返したりすることも。
その三つの印象と、僕が親切にベンチを進めるという行動のギャップに、戸惑っているというところなのだろう。
「うん。ありがとう」
一瞬の間こそあったものの、笑顔と一緒にそう言って、瑠璃は僕の隣に座った。
ん?
その笑顔に、何かを納得したような表情が混ざるのを感じた。しかし、何を?
「お願いしたいことがあるの」
僕の思考が結論を出さないうちに、彼女が本題を切り出した。
何が、彼女に決心させたのだろう?
「いいえ。お願いしたいことがあります」
瑠璃は、ぷるぷると首を振って、言い直した。先程感じた『育ちが良い』という印象が正解かもしれない。
瑠璃が、すっ、と息を吸った。
まっすぐに僕の目を見て、言葉を紡ぐ。
「私の〈騎士〉になって下さい。私が次の女王になるために、力を貸して下さい」
僕は、目をそらさずに真っ直ぐと瑠璃を見返し、その言葉を受け取った。
その言葉だけで予想できる頼みごとの内容が、十数パターン頭に浮かんだが、すべて意識的に切り捨てることにする。
「詳細を説明してくれるんだよな? それとも、僕が知らないだけで、最近の小学生は片思いの告白にそんなフレーズを使うのか? だとしたら、失恋するから心の準備をしておけよ」
冗談交じりの返答に、瑠璃は微笑んだ。
その表情に、僕は見抜かれた、と感じた。
僕の真意は最初の一言だ。頭から否定もしないし、冗談だと笑いもしない。ただ説明を求める。
そんな意図に、瑠璃は気づいた。
本当にそうだとしたら、面白くない――けれど、この上なく面白い。
「片思いの告白じゃないよ。きっと信じられないと思うけど、聞いて」
続く瑠璃の言葉は、さすがに僕も予想していなかった。
「私は、魔法の国からこの世界に来たの」