(2-18)第三章 予定にない嵐(3)
「さあ、準備はよろしいですかの?」
ジャッジメントの声が、〈試練〉の開始を予感させる。
その声を合図にしたように。
〈魔法少女〉達が、それぞれの〈開門〉で変身する。
炎を思わせる茜の赤。炎は時として優しく、ある時は容赦なく対象を燃やし尽くすほどに激しい。
風に揺れる木立のような常盤の緑。目に見えぬ風は、草木を揺するだけでなく、あらゆるものを根こそぎにする突風となることもある。
土の豊穣さを表すような向日葵の黄色。頑健たる大地は全ての立脚点であり、何人も地を踏みしめずして生きてはいけない。
そして。
瑠璃の青。降り注いだ雨が流れを作り、やがて海へと帰っていく壮大な円環。あらゆるものを受け止め、あらゆるものを意に介さない、この星に遍在する水の色。
なるほど。
圧巻の一言だ。
それぞれの願いを胸に、決意を握りしめて、四人の〈魔法少女〉が砂浜に並び立った。
「四人揃うと、一段と素敵ですわね」
「だな。人物画は得意じゃないが、この子たちの〈試練〉の前の表情を見ると、筆がほしくなる」
綾乃と翔が、それぞれ呟いた。
二人も、僕と同様に、この光景に感じるものがあったのだろう。
そして、珊瑚は。
「――」
無言で唇を噛んでいた。
想像するに、自分もあそこに並び立って戦いたいのかもしれない。
魔法の国――地平世界の王子でありながら、彼の戦場は〈魔法少女〉達とは別の場所だ。
それは仕方ないこととはいえ、本当は――。
〈騎士〉達は、苛烈な競争を始めようという〈魔法少女〉達を、今回に限って言えば、砂浜から送り出すことしかできないのだ。
「ジャッ爺、いつでも良いよ」
〈魔法少女〉達を代表するように、茜が言った。
常盤が重心を低く移動させ、向日葵が魔法に備えて息を吸った。
瑠璃が、小さく頷く――。
「それでは――」
いよいよ。
ジャッジメントの声が、〈試練〉の開始を宣言する。
「――始め!」
――瞬間。
【瑠璃】
――瞬間、視界が白く染まりました。
私にとっては、見慣れたホワイトアウトでした。
水の体積を瞬間的に肥大させ、拡散させることで発生する濃霧――私の魔法、〈生成〉で発生させることのできる、初手として使い慣れた、白い霧です。
けれど――。
確かに、玖郎くんの指示による最初の一手は、濃霧により視界を奪うことでした。
茜と常盤さんと向日葵ちゃんを、チームとして同時に相手にする、この〈試練〉において、必要な一手です。
けれど――。
私は――。
――私は、まだ何もしていませんっ!
突如、発生した濃霧。
自然現象ではありえない、瞬間的な変化。
視界の遮断。
それでも、私はまだ魔法を使っていません。
混乱して、思考を放棄したいと叫ぶ自分の気持ちを押さえつけます。
でないと――。
茜も、常盤さんも、向日葵ちゃんも――。
珊瑚くんも、綾乃さんも、翔さんも――玖郎くんでさえも、『私の魔法だと思っている』はずなのです。
これが異常だと気づけるのは、私だけ。
この異常事態に、私がすべきことは――。
【玖郎】
この霧は――異常だ。
『不意打ちで』視界が遮断されるという状況は、物理的に――例え魔法を使った戦闘のただ中においてさえ――異常だった。
瑠璃に指示した初手は、おなじみの〈操作〉による霧の発生だ。
状況の混乱と、スタートダッシュ、そして最初の戦場を海の上にする意図を持って、瑠璃にはそう指示をしてある。
だから霧は良い。
――だが。
『瞬間的に』視界が奪われるのはおかしい。
海辺における〈試練〉の最大の利点は、無尽蔵にある海水――水だ。
当然、瑠璃が霧を発生させる場合、海水を利用する。
とすれば――霧による視界の白濁は『段階的に認識されるはず』である。霧は、視界の前方からこちらに来るのだから。
今起こったような、まるで霧が『背後から』襲いかかって来たかのような、瞬間的な白濁は、おかしいのだ。
これは――。
この状況は――。
「――っ」
他の〈魔法少女〉も、〈騎士〉もこれが異常だとは気づいていないだろう。
〈試練〉の開始と同時に霧で視界を奪う戦略は、瑠璃と僕が何度も披露した、定番の戦略だ。
だから、異常だと気づかない。
唯一、不幸中の幸いがあるとすれば――。
瑠璃は、この状況が異常だと気づいている。
だが――。
この状況が、僕が想定している、『アレ』だとして――。
瑠璃が、この状況に、ただ混乱しているだけだとしたら――。
間に合わない――。
「瑠璃っ! 防御! 全員を守れ!」
一欠片の望みをかけて、僕は、叫ぶ――。
【瑠璃】
「〈操作〉っ!」
何か良くないことが起こっている――その予感にまかせて、私は波の音が聞こえる海水を持ち上げました。
玖郎くんと特訓した、防御の魔法を使います。
もしも私の取り越し苦労なら、〈試練〉に出遅れた分を取り戻せば良いのです。
でも、もしもそうでないのだとしたら――。
茜達は、この霧が私のものだと思うでしょうから、走り出していてもおかしくありません。可能な限り範囲を広くとって、海水を半球上に展開します。幸い、普段とは違って、ここには水が無限にあります。
これくらいなら――。
「瑠璃っ! 防御! 全員を守れ!」
ぞわり、と背筋が冷たくなりました。
玖郎くんが、力の限り叫んでいます。
やはりこの状況は、緊急事態――。
でも。
もしも、玖郎くんが、こんなにも必死に声をあげるなら、防御の魔法だけでは――。
「半球防御、氷結!」
――っ。
それですっ!
「〈操作〉っ!」
――パシン!
私は、魔法の叫びとともに、両手を打ち鳴らしました。
玖郎くんと、特訓した、氷結の魔法――。
水を構成する小さな小さな水の分子を、全て隙間なく整列させる。縦横無尽に飛び回っているそれらから、エネルギーを全て奪うのです。
極度の集中と、微細な想像力が必要な、〈操作〉。
私の感覚では、一瞬で実現できるものではありませんでした。
それでも、玖郎くんとの特訓を通して、自分の叫び声と手を叩き合わせる音をトリガーに、反射的に凍らせることができるようになったのです。
だから――。
キシッ、と音をたてて、半球上に展開された防御の海水は、凍りつきました。
そして。
一瞬にも満たない、わずかな時間差の後――。
【玖郎】
重たい音が響いた。
連続していくつも。
かなりの重量を持つ何かを、その質量にまかせてコンクリートにでも叩きつけたような――。
音源は、上方――文字通り頭上の方向だ。
何が起きているのか推測する時間を待たずして、急速に視界が正常に戻り始めた。
ふむ。
瑠璃は、僕の指示に驚くべき即応性を見せた。
氷結の指示に対して、ほとんど時差なく対応していた。
まず間違いなく、霧の異常発生に気づいた瑠璃は、事前に水の防御を展開していたのだろう。
ともかく、その氷のドームが発生したことにより、周囲の温度が低下したのだろう。元々、湿度が高くない状況で、不自然に発生した霧だ。この周囲環境の変化で、消えてしまうようだ。
戻った視界に入ったのは、〈魔法少女〉全員と〈騎士〉を内側に守る巨大な半球――氷のドームだ。
まさに魔法の一言に尽きる唐突さで、しかし間違いなくここに存在している。
そして。
上方――。
先程、重たい音を響かせた方を、半ば勘に任せて見上げると――。
巨大な杭が、氷の防御に突き刺さっていた。
その数、九。
鋭利な先端を、氷のドームの内側へと貫通させた状態でなんとか止まっている。
鈍色の光沢が、重量のある金属であることを示している。一本あたりのサイズは、二メートル程度か。氷の屈折率を考慮しても、大人の背丈よりも大きい。そして、大人が両手で輪を作ったほどの太さを持っている。
――防御が間に合わず、九本の杭の直撃を受けていたら。
怪我では済まない凶悪さだ。
洒落になっていない。
他の〈魔法少女〉と〈騎士〉は――怪我などはないようだが、突如あらわれた氷のドームとそれに突き刺さった、冗談では済まされない巨大な杭を前に、上を見上げて固まってしまっている。
「全員、集まってください! 異常事態です!」
僕の叫びに、〈魔法少女〉達が〈騎士〉のもとへと戻ってくる。
呆然自失で動けないかと思ったが、全員が僕の言葉に反応した。
その辺りは、評価して良いだろう。
それにしても。
この状況は――。
想定していなかった訳ではない。だが、このタイミングとは――。
「玖郎くん……」
瑠璃の声は固く、顔色も青ざめている。
心配いらないと言ってやりたいが、それは恐らく――事実と異なる。
「瑠璃。気を緩めるな。防御を解くぞ」
集合した僕たちの直上には、例の杭はない。
そのことを再確認した上で、僕は瑠璃に指示した。
氷は一瞬で水に戻り、水は瑠璃の魔法で海に戻った。
同時に、支えるものがなくなった金属性の巨大な杭が、砂浜に落下した。
重たい音を連続して響かせ、杭は砂浜に突き刺さる。
九本の杭は、何本かは砂浜に弾かれて倒れ、何本かは中途半端に斜めに砂浜に突き刺さった。
その中の一本――真っ直ぐに砂浜に突き刺さった一本の杭に――。
人影が飛び乗った。
気軽に宙を舞い、足音も軽く、杭の上に立つ。
背中まで届く黒髪をバサリとかき上げて、僕たちを順に見渡した。
「あらら、よく防御したわね。不意打ちは完璧! と思ったんだけど。失敗失敗――」
笑みを混ぜて、攻撃の実行者であることを語ったその人影は――。
瑠璃や茜――つまりは僕達と同年代程度に見える、少女だった。
背中まで届く黒色の髪。
全身を覆う黒色の衣装は、〈魔法少女〉達の衣装と同じ気配を感じた。
もちろん、リボンやフリルのついた〈魔法少女〉達の衣装そのものではない。黒色の長袖シャツに、同じく黒色のロングスカートは革製品を思わせる質感で、可愛らしいという印象は皆無だ。リボンの代わりとばかりに各所に着けられた金属の鎖や、彼女自身の首や手首に身に着けた金属の輪のせいで、パンクやメタルのライブでも始めるかのように予感させる。
心臓を守るためだろう、左胸は硬質に圧縮した皮製だと思われる鎧を装着している。同じ材質で、両の肩を守っている。
中世の軽鎧を女性用にアレンジすればこうなるだろうか。あるいは、剣と魔法が活躍するファンタジー世界を舞台としたマンガやアニメに登場する、戦う女神のようなデザインだろうか。
方向性こそ違うものの、その非現実的な雰囲気が、瑠璃達〈魔法少女〉と類似している。
そして、何より目を引くのは、顔の上半分を覆う、黒色の金属性の仮面だ。
表情を消す仮面と、笑みを浮かべる口許が、こちらの不安をあおる。
「まさか――」
常盤の呟きが、聞こえた。
呆然と、思わずと言った様子で呟かれたのは――。
「予定にない、嵐――」
ふむ。
なるほど。嵐、か。
予定にない嵐。
僕は、自分が笑顔を浮かべていることを認識する。
そうだな。
まずは否定から始めよう。
いや、と。
むしろ予定通りだ。
より正確に表現するなら、こんなこともあろうかと思っていた、か。
「あなたは誰? どうしてこんなことをするの?」
茜が、鋭く声をあげた。
対して、黒ずくめの少女は――。
「始めまして、小さなお姫さま達。私はクロミ。〈魔法少女〉――と名乗るのはちょっと正確じゃないから、そうね――〈闇の魔法少女〉とでも名乗っておきましょうか」
余裕のある笑みを口許に浮かべて、その少女――〈闇の魔法少女〉クロミは、そう応えた。
「目的は、この王位継承試験を邪魔することかしら」




