(2-14)第二章 雪の宝石を探して(5)
【瑠璃】
「お願いしたいこと、というのは――指輪を探していただきたいのです」
先程の客間まで戻ってくると、綾乃さんはそう切り出しました。
「さっき常盤さんが言った、『雪の宝石』ですか?」
私がそう言うと、綾乃さんは、困ったような、それでいて照れくさそうな表情になりました。
「その、お恥ずかしいのですが、『雪の宝石』というのは、わたくしが小さい頃にそう呼んでいたという話ですわ。真珠も知らない、子どもの頃の話ですから。――順番にお話しいたしますわね」
そう言って、綾乃さんは話し出しました。
「わたくしには、大好きな祖母がいました。両親が忙しい時など良く面倒を見てもらっていたので、私もとても懐いたのですわ。礼儀作法などには厳しい人でしたが、幼い私の話をいつまでも聞いてくれたり、ワガママを言って泣く私の傍でいつまでも微笑んでいてくれるような人でした」
「――いました、なんですね」
玖郎くんが、静かにそう言いました。
それはつまり――。
「その通りですわ。祖母が亡くなって、もう三年になります」
やはり、そういう事でしたか。
静かに語る綾乃さんは、もう手の届くことのない想い出を見つめる表情をしていましたから。
「実は、来週、祖母の三回忌を執り行うことになっております。そこで、祖母との記憶を思い返したりしていたのですが――忘れていたことを思い出したのです」
綾乃さんが忘れていたことというのは。
「それが、先程の真珠の指輪です。子どもの目にも、純白の真円が美しく見えたのでしょうね。『雪の宝石』だなどと言ってはしゃいで、祖母が付けていた指輪を、駄々をこねてもらってしまったのです」
小さい女の子にありがちな思い出話だと思います。
私にも、お母さんの指輪や首飾りを自分のものにしたいと駄々をこねた記憶があります。
微笑ましい、素敵な記憶だと思いますが。
「それを探して欲しい、と。つまり、綾乃さんは失くしてしまった訳ですね。その指輪を」
状況を吟味するように、玖郎くんがそう確認しました。
「そうなのですわ。しかも、そのことを忘れていた――失くしていたことすら、先日気付いたのです。十年近くなった今頃、です。全く情けないことですわ」
綾乃さんの表情は――。
「その真珠の指輪は、祖母にとっても大事なものだったのでしょう。『大切にしなさいね』と念を押した祖母と、『絶対に大切にする』と約束したのに。おばあちゃんと、約束したのに……」
――自分を責めているというよりも、どこか寂しそうなものに見えました。
「小泉さん、瑠璃さんも、力を貸して下さい。祖母の指輪を、一緒に探して欲しいのです。祖母の三回忌に、その指輪を付けて行きたいと思うのです。どうか、お願いいたします」
綾乃さんは、そう言って頭を下げました。
私は――。
「もちろん、お手伝いします。その、力になれるかどうか分かりませんが――」
真剣な表情の綾乃さんに、私は胸がきゅうっと苦しくなってしまいました。
力を貸したい。
絶対に。
想い出の指輪を探し出してあげたい。
「ふむ」
玖郎くんが息をついたので、私はそこで言いかけた言葉を切ってしまいました。
「いくつか確認させて下さい。この話、当然、滝沢さん達にも相談していますね?」
「はい、もちろん相談しましたわ。協力して家中を探してもらいました。特に――」
「――おばあさんの宝石がしまってある部屋を中心に、ですか?」
え?
綾乃さんのおばあさんの部屋ですか?
「その通りです。さすが小泉さんですわ」
「ちょっとちょっと。話について行けないんだけど。小泉は、どうして宝物室を調べたって分かったの?」
常盤さんも目を丸くしています。
玖郎くんは、頷いて言葉を返します。
「子どもが祖母の指輪をねだる、それ自体は珍しい話ではありません。微笑ましいエピソードと言えるでしょう。ただし、子どものワガママで高価な指輪は渡せません――武者小路家の大奥様の指輪ともなれば、なおさらでしょう。綾乃さんが気づかないうちに、大人が回収したと考えるのが自然です」
「なるほど。そういうことかぁ」
常盤さんは納得したようです。
「当時のことを知っている人――ご両親や古参の使用人の方に話は聞きましたか?」
続く玖郎くんの質問に、綾乃さんは頷きました。
「古い使用人に聞いたところ、祖母は『宝石なんて物は、大事にしてくれる人のところにあるのが一番だ』と言っていたらしく、渡してしまっても良いと思っていたらしいのです。だから、私に大切にするように念押ししていたのでしょう。結局のところ、指輪を回収したかどうかは、誰も知りませんでした」
それは。
もしも、価値のある指輪を、言葉通りに孫に譲ってしまうのだとしたら、とても大らかな人だったのでしょう。
ああ。
分かりました。
約束を破ってしまって、大切にできなかったことが、綾乃さんがどうしても指輪を探したい理由なのでしょう。
「――ふむ。最後に一点、綾乃さんの部屋――古いおもちゃ箱の中は調べましたか?」
「あ、なるほど。綾乃さんが今も持っている、ということですね?」
私も、その可能性が高い気がします。
綾乃さんの持ち物の中から見つかれば、忘れてしまってはいたものの、おばあさんとの約束を守っていたことになります。
だから――。
ああ、そうですね。
これは、私の願望です。
そうであって欲しい、と、その可能性が高い、というところは分けて考えないといけませんね。
「もちろん、私がしっかり探しましたわ。それでも、小さい頃遊んだ懐かしいもの達の中に、『雪の宝石』と呼んでいた、真っ白な指輪はありませんでした」
そうでしたか。
あと考えられるのは――。
「ふむ。では、探してみましょう」
玖郎くんは、そう言って座っていたソファーから立ち上がりました。
「綾乃さん、常盤さん、それに瑠璃も。行きましょう、おそらく指輪は、綾乃さんの部屋――おもちゃ箱の中にあります」
ええ?
どうして?
しかも、今、綾乃さん本人が探して、見つからなかったと――。
「それから、滝沢さん。四人分の手袋を用意してもらえますか?」
玖郎くんが、音もなく壁際に立つ滝沢さんに、そうお願いしました。
「かしこまりました。それにしても、さすが小泉様、その年齢で真珠の扱いまでご存じとは驚きました」
了解を示し頭を下げながら、滝沢さんは満足そうに微笑んでそう言いました。
すぐに届けると言い残して下がった滝沢さんを追うように、私達は応接室を後にしました。
綾乃さんの案内で、目的地へと歩きます。
「ね、手袋って、どういう意味だったの?」
常盤さんが、きょとんとした表情で言いました。
うーん、常盤さんは、あまり興味がない内容でしょうか。知っていてもおかしくないと思いますが。
「真珠は水分や汗に弱く、直接触れると傷んでしまうと聞いたことがあります。綾乃さんのおばあさんが実際に身に着けているような品ですから、僕達が汚してしまわないよういという配慮です。――間違っていませんよね、綾乃さん?」
宝石になど絶対に興味がなさそうな玖郎くんですが、知識として知っていたようです。
さすがは玖郎くんです。
「ええ、真珠の扱いについては、そう言いますわね。お恥ずかしい話ですが、私も幼い頃はそんな注意も知らずに汚れた手で触ってしまっていたでしょうね」
そう応えて、歩きながらも遠くを見るような表情を見せる常盤さん。
「……今も知らなくて悪かったね」
「ふふ。常盤さんは、女王様になろうという人ですから、少しずつ覚えなくてはいけないですわね」
常盤さんが少しむくれていたのに気づいて、綾乃さんがその頬を笑ってつつきました。
この二人も、向日葵ちゃんと翔さんのペアとは違った仲の良さを見せつけてくれるのです。
いいなぁ。
私も、もう少し玖郎くんと――。
私が玖郎くんに視線を向けると。
どうしたのでしょう。
何やら、険しい表情をしています。
「――つまり――まあ、今日のところは――」
何事か呟きました。
何でしょう?
と、そこで私の視線に気付いたのか、玖郎くんと目が合いました。
玖郎くんが一つ頷いて見せてくれました。
うう。
何かのアイコンタクトがあったような気がしたのですが、私には通じませんでした。
「さ、こちらですわ。私の部屋ではありませんが、小さい頃に使った物や古い服など、この部屋にまとめてありますわ」
さすが豪邸のお嬢様です。おもちゃ箱ではなく、おもちゃ部屋でした。
「手分けして探しましょう。綾乃さん、僕が探しても問題ない辺りを教えて下さい」
さすがは玖郎くん、幼い子どもの頃の持ち物を探すという目的でも、女性に対する気遣いができます。
と、ぼーっとしていても仕方がありません。
滝沢さんが届けてくれた手袋を、それぞれが両手に着けました。
これで準備完了です。
指輪を見つけたいと思うのは私も同じです。頑張って探しますよ。
四人はしばらく無言で手を動かしました。
やがて、指輪を探す手を止めずに、常盤さんが口を開きました。
「小泉、瑠璃も、さっきは悪かったね。変につっかかったりして。……まあ、正直に言うと――年下のアンタ達に良いように負けちゃうってのは、最年長の〈魔法少女〉として結構悔しいんだよね。はは」
「そんな――」
私は、フォローの言葉を口にしようとして、けれども言葉が出ませんでした。
負けてしまう――どうしても茜に勝てない悔しさは、私も痛いほどわかります。
そして、茜に慰めてほしいとは、思わないのです。
「僕達は気にしていません。次期女王を決める厳しい競争の最中です。常盤さんが気にする必要もありません」
玖郎くんはそう言いました。
話題を変える意図もあったのでしょう、玖郎くんは、続けて質問を返しました。
「先程の〈試練〉の最期に、実力差が開いたことが『覚悟の差』だと言いましたね。――常盤さんは、なぜ女王になりたいのですか?」
そう言えば。
常盤さんと、落ち着いてそんな話をしたことはなかったかもしれません。
「それ、私も、聞きたいです」
私の言葉に、常盤さんは手を動かし続けたまま、応えてくれました。
「私は、瑠璃や向日葵みたいに、地平世界をこうしたい、って理想はないんだ。――正確には、なかった、かな」
常盤さんは続けました。
「王位継承試験が始まってすぐ――この地球世界に来てすぐの頃は悩んだよ。私は何のために戦っているんだろう、ってね。でも、最初に茜と競争型の〈試練〉を戦ったあと、ボロボロに負けた後、思ったんだ。茜の言う、『今の地平世界よりもっと、みんなが笑顔で暮らせる世界を作りたい』って願いは、なかなか良いんじゃないか、ってね」
茜の理想は、確かに素敵なものです。
具体的な何かはありませんが、間違いなく目指すべき方向を向いています。
「みんなが笑顔に暮らすためには、どうすれば良いんだろう、ってガラにもなく考えてね。今ではちょっとアイディアがあるんだ」
常盤さんは言いました。
「地平世界を、近代化したいと思うんだ。この地球世界の日本みたいにね。ライフラインを整えて、もっと便利に暮らせる世界にしたいんだ」
「それは素敵です!」
私は、思わず言ってしまいました。
物が行きわたり豊かになれば、情報が行きわたり物事を知れば、人の暮らしは良くなります。今のような身分の差も、それによって苦しい思いをする人も、どんどん少なくなるはずなのです。
常盤さんの『理由』は、私や茜や向日葵ちゃんのように、熱くて若い理想だけがあるものではく、しっかりとした基盤のあるものです。
私は――。
いいえ。
やはり、それでも、私は負けたくありません。
私は、私の願いをかなえるために――。
「でもね。私の願いは、実は、女王にならなくても取り組めることなんだ。ちょっと前に、そのことに気付いちゃったんだよね。だから、『覚悟の差』ってこと」
どうしても女王になりたいと思うか。
女王の下で働けば良いと思うか。
それが、覚悟の差、ですか。