(2-11)第二章 雪の宝石を探して(2)
【瑠璃】
「あっついねー」
校舎を出たとたんに押し寄せてくる熱気に、私は思わずそう呟いていました。
夏場に入ってから愛用している空色のワンピースは、薄手な上に袖がなく、涼しい作りになっていますが、それを上回る暑さです。
空気自体がじっとりと熱を含んでいるように感じてしまいます。
普段なら気に入っている、肩に届くかどうかといった長さの髪も、勢いでバッサリと短く切ってしまいたくなります。
「あはは。瑠璃ちゃん、それ、今日だけでも、もう十回は言ってるよ?」
「え? ホント?」
朝美ちゃんの言葉に、私は驚いて聞き返してしまいました。
霧島朝美ちゃんは、玖郎くんや私が在席する五年一組のクラス委員長です。
見るからにクラスの委員長といった雰囲気で――具体的には、メガネとお下げ髪が良く似合う、頼りになって、頭も良くて、気遣いもできる、思わずお嫁さんにしたくなりそうな素敵な女の子です。
朝美ちゃんも、この暑さに汗をかいています。
それでも、私と違って、無意味な不平不満を言葉にしないところがさすがです。
暑い暑いと言ったところで涼しくはなりません。ともすると、余計に暑くなるだけです。そうとは分かっていても、ついつい『暑い』と言ってしまうのが人情です。それを一言も口にしないのは、さすがとしか言えません。
私も、見習わないといけません。
「あれ、留学生のみんなで集まってるみたいじゃない? 小泉もいるみたいだけど」
「え?」
朝美ちゃんの言葉に見ると、確かに校門を出たあたりで、茜と珊瑚くん、向日葵ちゃんと翔さん、玖郎くんと――あ、香苗さんも一緒です。
何でしょう。
〈魔法少女〉と〈騎士〉がほとんど集合している上、香苗さんもいるなんて、とっても珍しい組合せです。
「あ、瑠璃ちゃんだ。やっほー」
その香苗さんが私に気付いて、ニコニコ笑顔で手を振ってくれました。
香苗さんは高校の制服を着ています。クレープ屋さんや、コンビニや、ファミレスといったアルバイト先の服装でいる姿はよく見るのですが、セーラー服姿はかえって新鮮です。
「えーと、あのお姉さんも留学生仲間なんだ?」
あ、朝美ちゃんと香苗さんは初対面でしたか。
「ううん、香苗さんは、この街に来てからのお友達だよ。元は玖郎くんの知り合いで――ちゃんと紹介するね。行こう」
小学校関連なら無敵の情報通である朝美ちゃんと、ご町内で高校生のアルバイトができる場所には必ず出没する香苗さん。どこかに接点がありそうですが、初対面とは意外です。
「香苗さん、紹介しますね。こちら、玖郎くんと私のクラスの委員長の霧島朝美ちゃんです。私の、その、親友です」
うう。
なんというか、親友なんて紹介するのは、やっぱりちょっと照れ臭いです。
「はじめまして、霧島朝美です」
「うん、はじめまして。朝美ちゃん、で良いよね? 私は、天童香苗。よろしくね」
にこっ、と香苗さんが笑って自己紹介します。
相変わらず気さくな素敵お姉さんです。
「はい。香苗さんは、椎名高校ですね?」
「制服で分かった? そうだよ、椎名高等学校普通科の二年生。何しろ、女子高生はサイキョーだからね」
「最強は関係ないでしょう」
香苗さんの言葉に、即座に玖郎くんがツッコミをいれます。年齢差など関係のない鋭い一言です。さすがは玖郎くんです。
「ああん、お茶目な冗談なのにー」
あっ、何やら言いながら、香苗さんが玖郎くんに抱きつこうとしました。
「止めてください、暑苦しい」
さすがは玖郎くん。
女子高生のお姉さんにハグっとされかけたのに、顔色一つ変えずに、押し退けてしまいました。
「なるほど。状況はわかったよ。瑠璃ちゃん、新たなライバル登場ってことだね?」
「え? え?」
わわ。なんだか、朝美ちゃんの声が低いです。それに、普段見ない無表情が、何とも言えず怖いです。
メガネがキラーンと光っています。
「玖郎くん、ひどいよぉ。って、そんなことより、瑠璃ちゃん、それに朝美ちゃんも、夏休みに入ったら海に行こう! 海水浴!」
玖郎くんに押し退けられてもめげることなく、香苗さんが言いました。
と言うか、海ですか――!
「行きたいです!」
反射的に答える私に、香苗さんが笑って頷いてくれます。
「え、私も行っても良いんですか?」
遠慮がちに尋ねる朝美ちゃんに、香苗さんが笑って頷きました。
「もちろんだよ。私も留学生じゃないけど、『その仲間たち』ってことで。朝美ちゃんも行こう?」
「そうですね。じゃあ、私も混ぜて下さい」
と、そこで。
「――そう言うことでしたら」
唐突に、新しい声が響きました。
気付くと、長い黒い車が、私達の横にほとんど音も立てずに停車したところでした。
声は、その車の窓からかけられたのです。
「わたくしと常盤さんも参加させていただきますわ。つきましては、移動手段と場所を提供させて下さいませ」
声の主は、綾乃さんでした。
車から、その綾乃さんと常盤さんが降りてきます。
「や。全員集合とは珍しいね」
手を上げて気軽な様子でそう言ったのは、常盤さん――風見・ビリジアン・常盤、『風』の〈魔法少女〉です。
常盤さんは、髪を高い位置で一つにまとめて、涼しげに首に触れないようにしています。今日は、中学の帰りに直接こちらに来たのでしょう、綾乃さんと同じ中学指定の半袖シャツと青いチェックのスカートといった姿です。
中学二年生で、茜や私、それに向日葵ちゃんよりも年上のお姉さんなのです。体つきが私達と違って、すらりと長く、格好良いのです。
「話は聞かせていただきましたわ。香苗さん、素敵な発案をありがとうございます」
そう言って柔らかく微笑むのは、綾乃さん――武者小路綾乃さんです。苗字からは厳つい印象を受けますが、地平世界の王女である私から見ても、まさにお嬢様、という人なのです。
風の〈騎士〉で、常盤さんと同じ中学校の二年生です。とっても綺麗な黒髪を背中まで伸ばしていて、いつでも優しく、柔らかく笑いかけてくれる素敵なお姉さんです。
「どういたしましてだよ。それに車を用意してもらえるなら、とっても助かっちゃう。でも、えーと、場所って言うのは?」
それです。
香苗さんと同じく、私もそこが気になりました。
「出井浜海岸には、武者小路家の別荘があるのです。さすがに海の家まで完備とは行かないのですが、別荘のプライベートビーチで良ければ、落ち着いた雰囲気の海水浴などいかがでしょう?」
『おおおっ!』
思わず、みんなの口から感嘆のため息が漏れました。
さすがは超がつくようなお嬢様です。地元で有名な海水浴場のある海岸に、プライベートビーチ付きの別荘を持っているのです。
にっこり微笑む綾乃さんに、海水浴参加メンバーの拍手が沸き起こりました。
これで、メンバーと行き先は決定ですね。
「さて、本題本題。海水浴の相談をするために、わざわざ椎名小学校の前を通った訳じゃないからね。小泉に瑠璃、この後、時間ある?」
海水浴の話が一段落した頃、常盤さんがそう言いました。
「用件は僕たちでしたか。問題ありませんよ? どうしました?」
その受け答えを聞く限り、玖郎くんは、常盤さんと綾乃さんが、別の用件で小学校まで来ていたことに考え至っていたようです。
確かに、常盤さんたちの帰宅ルートから考えると、椎名小学校は遠回りです。
タイミング良く海水浴の話題だったので気になりませんでしたが、わざわざ来た理由があると考えるのは当然とも言えます。
「少し前に、椎名総合病院まで綾乃のリムジンで迎えに行ったことがあっただろ? あの時の借りを返してもらうよ?」
あ、向日葵ちゃんと一緒に〈仕事〉をした時のことです。
翔さんのバイクで帰った向日葵ちゃんとは違って、玖郎くんと私には、帰るための移動手段がありませんでした。そこで、仕方なく綾乃さんを頼ったのでした。
「常盤さん、そういう表現は感心いたしませんわ」
やんわりと常盤さんをたしなめて、綾乃さんは私と玖郎くんをそれぞれ見つめて、言いました。
「小泉さん、それに瑠璃さん、お願いしたいことがあるのです。お力を貸して頂けませんか?」
【玖郎】
何度見ても、ある種の感慨が沸き上がるのを止めることができない。
豪邸。
その一言に尽きる。
武者小路家のリムジンが徐行気味に走るこの道すら、しばらく前から私道である。つまりは武者小路家の敷地内だということだ。
そんな冗談みたいな事実が、綾乃の家の規模を示している。
向こうに見える建物自体は、古びた赤レンガを基調とした一昔前を思わせる作りの物だ。
聞くところによると、明治時代終盤の建物で、当時最先端だった西洋建築技術を取り込んだ、歴史的価値すらあるような家らしい。
B市の景観保護地区に建物が丸ごと指定されているため、ちょっとした改修作業にも市への届出が必要らしい。
この国の歴史に裏表から関わり、政治、経済、そして産業に、強い影響力を持つ武者小路家の本拠地がここ、と言うわけだ。
綾乃のようなお嬢様が育つのも納得という雰囲気を、感じずにはいられない。
「? どうしました? わたくしの顔に、何か付いていますか?」
僕の視線を感じたのか、綾乃が言いながら小首を傾げて見せる。
「いや。頼み事の説明はまだかと思っただけだ」
椎名総合病院まで迎えに来てもらった借りがある。
僕と瑠璃は、詳しい事情も聞かないうちに、綾乃のリムジンに乗り込んだのだ。
じっと見つめていた言い訳というタイミングになってしまったが、説明があっても良い頃だと思っていたのは事実である。
「少し込み入った内容になるので、落ち着いてから話したいと思いますわ。さ、着きましたわ」
僕達は、綾乃にうながされるままリムジンを降り、武者小路家に上がると客間に通された。
古風な外見とは違い、客間を含めた館内の内装は新しく、インテリアは趣味の良いものでまとめられている。
そんな趣味の良さをうかがわせる応接用のソファに腰掛け、制服を着替えてくると言う綾乃を待った。
「どうぞ、冷たい紅茶です」
す、と目の前にコップが差し出された。
綾乃専属の運転手兼ボディーガードの滝沢さんだ。
今日もズボンタイプの黒いスーツに、サングラス、右耳に目立たないイヤホンを装着した仕事姿だ。あごのラインで切り揃えられた髪が、彼女の動きに合わせて行儀良く揺れる。
車を停めに行ったと思ったら、気付くと冷えた飲み物を差し出している。忍者のような動きをする人だ。
「ありがとうこざいます。いただきます」
礼を言ってグラスに口をつける。
「くはー。冷たくて美味しいー」
思わず声を上げる常盤の気持ちも分かる。
確かによく冷えていて美味しい。体の中から涼しくなる気がした。
汗で失われた水分が体に染み渡るような気がするほどだ。
「小泉様、お嬢様が戻るまでの時間で、一つ相談してもよろしいてしょうか?」
お嬢様、というのは綾乃のことである。
「? なんです?」
それにしても、滝沢さんから相談事とは珍しい。
この状況で想定される内容が、頭の中を無数によぎるが、予断を避けるため、あえて思考を中断する。
「先程決まった出井浜海岸行きですが、さすがの私も、海でこの仕事着はおかしいですよね?」
滝沢さんの言葉で、僕の思考は急激に加速する。
その話題は――。
つまり――。
「やはり、私も水着になるべきだと思われますか?」




