(2-10)第二章 雪の宝石を探して(1)
【玖郎】
季節は夏。
夏休みを目前に控えた、晴天の授業後である。
僕たち小学五年生が学校から帰る時間帯は、一日の中でも特に気温が高い。
青空を仰げば熱を持った日差しが降り注ぎ、遠くには入道雲がわき上がってる。
暑い。
少しでも油断すれば、思考の大半がその一単語に塗りつぶされそうだ。
そうでなくても、耳から入ってくる音の大半は、夏を主張して止まないセミの大合唱だ。一斉に鳴き競うセミの声で世界中が埋め尽くされている――そんな妄想めいた考えが頭をよぎってしまうほどに、暑い。
「うん、賛成っ! みんなで行こうよ、海」
セミの声を突き破って、そんな声が凛と響いて、僕の耳まで届いた。
あの声は――茜、か。
僕は、暑さで散漫になりかけていた意識を、瞬時に集中状態へと移行させた。
僕が視線を上げた先にいたのは、隣のクラスの灯火・バーミリオン・茜だった。
茜は、『火』の〈魔法少女〉であり――瑠璃と僕が共に戦う王位継承試験における最大のライバルである。
夏場の小学生らしい、タンクトップとスパッツという姿がよく似合っている。背中まで届く黒髪を、いつものリンゴの髪飾りで一つにまとめている。その前髪と赤いランドセルが、彼女の動きに合わせて元気に跳ねている。
そんな様子が、この暑さを物ともしない彼女の元気を表しているようだ。
椎名小学校の校門を出てすぐの場所で――つまりは僕の進行方向だが――立ち話をしているようだ。
「遊びに行きたいなら勝手に行けよ。俺は、そんな暇があるならタス――いや、とにかく、他にやることがあるからな」
〈仕事〉、と言いかけて慌てて誤魔化したのは、灯火・バーミリオン・珊瑚だ。
珊瑚は、茜の〈騎士〉であり、彼自信も魔法の国――地平世界の王子である。
珊瑚は椎名小学校の六年生で、一学年先輩である。背が高くて、手足も長く、いかにもスポーツタイプといった雰囲気を持っている。短く逆立った黒髪は、茜のものと同じく光の当り方によっては赤く燃え上がるように見える。
ふむ。
時間を無駄にせず〈仕事〉に取り組むべきだという珊瑚の意見は堅実で、僕の個人的な価値判断基準に近い意見だ。そのような正統派で王道とも言える判断力は、珊瑚の強みの一つである。
〈騎士〉として敵に回すなら、それなりの覚悟と準備を持って挑む必要がある――と、評価している。
とは言え、一般人の前で〈仕事〉と口走りかけるなど、不注意極まりない面もあるのだが。
そう、一般人と言うのは――。
「えー、そう言わずにみんなで行こうよ。夏だよ、夏休みだよ? となれば、海! 珊瑚くんも一緒に行こうよ」
ふむ。
珍しい組合せだ。
立ち話をしていたのは、茜、珊瑚と――香苗だったのだ。
「せっかく留学生のみんなと遊びに行きたいと思ったのに、珊瑚くんがいないと、お姉さんは悲しいよ」
天童香苗。近所に住んでいる高校生で、やたらと色々な場所でアルバイトをしている。年下の子ども達の相手をするのが好きらしく、ことあるごとに一緒に遊びたがる、気さくな女子高生だ。
背中に届きそうな黒髪を後ろでまとめ、今日は彼女が通う高校の制服に身を包んでいる。年相応なので当然だが、クレープ屋のピンクのユニフォームや、ファミレスの制服よりも似合っている。
さて。
そろそろ声をかけるべきだろう。
僕は、三人が話していることに気がついてから、隠れて盗み聞きをしていた訳ではない。
そのまま帰宅するべく歩き続けていたので、すぐに距離が近付いてしまうのも無理のない話だ。
さすがに全員と顔見知りのこのメンバーに、声もかけずに通過するという選択肢はない。
「あ、小泉くん。やっほー!」
そう思った矢先、香苗が僕に気づいたらしい。ぶんぶんと手を振りながら声をかけてきた。
「こんにちは。珍しい組合せですね。香苗さんは、茜や珊瑚先輩と顔見知りでしたか」
僕の言葉に、香苗は胸を張って見せる。
「私、あちこちでバイトしてるから、自然とね。話してみたら、瑠璃ちゃんと同じ留学生だって言うから」
なるほど。
確かに、このパワフルな女子高生の労働密度と、彼女自身の性格を考慮すれば、不自然ではないのかもしれない。
「そうそう。それでね、夏休みに入ったら、留学生の子達を誘って海に――出井浜海岸に海水浴に行きたいなと思い付いちゃったんだよ。小泉くんも一緒に行くよね?」
ふむ。
海、か。
とすると――。
「そうですね。僕も夏休みにこれと言った予定はありません。参加しましょう」
「ホント? やったあ!」
喜びを全身で表すかのように、香苗は飛び跳ねてみせる。まるで向日葵がするような仕種だ。
「なんだ、小泉まで参加か。てっきり『くだらない。そんな児戯に興じる時間は僕の人生にはない』とか言うと思ったのに」
不満そうに珊瑚が言う。
ふん。
留学生メンバーで海に行く、その真の価値に気付けないようでは、まだまだ浅慮だな。
「えー、小泉くんはそんなキャラクターじゃないよ」
「僕としては珊瑚先輩が存外に小難しい表現を知っていて驚きました。児戯とか」
「うんうん。小泉くんも参加だし、珊瑚も行こうよ、海」
「海かぁ。浮き輪がないと、向日葵、溺れちゃうかなぁ」
「なんだ、泳ぎに自信がないなら俺が教えるぞ?」
珊瑚の言葉に、わいわいと声が返される。
むしろ――。
「向日葵、翔さんも、さも最初からこの場に居たかのように会話に入らないで下さい」
たった今合流して、自然に発言したのは、『土』の〈魔法少女〉と〈騎士〉――土地・ライムライト・向日葵と、飯島翔だった。
向日葵は、僕や瑠璃、茜よりも一学年下の小学四年生だ。
頭の両側でまとめた髪が、彼女の動きに合わせてふわふわと跳ねている。その髪は、夏の日の光の下で、一瞬だけ、咲き誇る花を思わせる黄色に見えた。
彼女も、暑さをものともしない元気を持ち合わせているようだ。
一方の翔は、美術大学に通う学生だ。背が高く、前髪が伸びた様子など、いかにもそれらしく良く似合っている。脱色して明るくした長めの髪を、男性にしては珍しく後ろで縛っている。
その翔が、パタパタと手を振って僕に言った。
「固いこと言うな、小泉少年。夏休みに海に行こうって相談だろ? 当然一緒に行くぜっ!」
にかっ、と翔が笑顔を見せた。
「向日葵も行く! 海、初めてなんだ。香苗ちゃんが考えてくれたの?」
「そうだよ。あとは、瑠璃ちゃんと常盤ちゃん達に声を掛ければ全員集合だよ!」
なるほど。
わざわざ紹介するまでもなく向日葵や翔、さらには常盤や綾乃とも面識がありそうだ。
あの二人の性格や行動判断を考慮すると、重要な先約でもない限り断ることはないだろう。
とすると、残る条件は、珊瑚の説得だ。
珊瑚の性格を考えると、海に連れて行くには――。
――そうだな。
「珊瑚先輩、海に行く件について相談があります。翔さんも良いですか?」
「なんだよ、改まって」
「お、小泉少年からお呼びとは珍しいな」
僕は、珊瑚と翔に声をかけると女性メンバーから離れた場所で頭を寄せあった。
「単刀直入に本題に入ります。珊瑚先輩――」
さすがの僕でも、これから切り出そうとしている内容が内容なだけに、自然にひそひそと小声になる。
「海と言えば水着です。茜の水着姿はどうでしょう?」
僕の言葉にぽかんと間を開けて、次の瞬間の珊瑚の顔色の変化はなかなか劇的だった。
「ななな、み、みみっ、って、小泉、おまっ――」
「小学校高学年にもなれば、自然な興味でしょう。僕の分析では、茜は――残念ながら瑠璃も同様ですが――『健康で良いね』というところでしょう」
「こっ、おまっ、なんて無礼な――」
「――翔さんはどう思います?」
顔を赤くしながらも何か言おうとする珊瑚を遮って、僕は翔に話を振った。
「そういうことか。そうだな、やはり、茜ちゃんも瑠璃ちゃんも『今後に期待』だな。採点対象にもならない」
「ななっ、かけっ――」
ふ。
翔はどうやら、僕の意図を正確に察してくれたようだ。翔の口許に、にやりと浮かぶ悪い笑みは、僕の笑いに似ている。
条件はほとんど整った。
後は――。
「となると、やはり常盤さんと綾乃さんの中学生ペアですか? 僕の分析では、おそらく綾乃さんは、ああ見えて意外に――」
「気づいていたか。さすが小泉少年だな。だが、綾乃ちゃんの性格を考えると、水着のチョイスが大人しくなる可能性が高い。やはり注目は、発起人の香苗ちゃんだろう。元気印の高校生だからな。どうだ? 珊瑚も海に行く価値が分かってきたか?」
「い、いや、俺は――」
あと、一息、か。
「香苗さんは期待大です。しかし、僕の切り札は別にあります」
「何? メンバーは全員話題に出たはずだが?」
「小泉の切り札……だ、誰なんだ?」
思わず珊瑚もつい話に引き込まれている。身を乗り出して続きを知りたがっている。
ふふ。
まさに僕の狙い通りだ。
「綾乃さんの運転手兼ボディーガードの滝沢さんです。普段は綾乃さんの影となり、サポートに回っている滝沢さんですが、海ともなれば水着でしょう。大人の女性な上に、仕事柄トレーニングを欠かさず、スタイルも良い。いつもサングラスで隠していますが、芸能人と言っても通りそうな美人であることは確認済みです。極めつけに普段着ているスーツの胸元は、いつもキツそうです」
『おおっ!』
珊瑚と翔の声がそろった。
男とは、かくも愚かな生き物、と言うわけだ。
「さっきから、何の話? 向日葵も混ぜて?」
「わっ!」
突然声をかけられて、珊瑚が驚いて声を上げた。
ふ。
この程度の話題で、周囲への注意が疎かになるとは、まだまだだな。
「あ。そうか、うん。ごめんな、向日葵」
何かに思い至ったようで、翔が向日葵に謝った。
ああ、〈騎士〉として仕える姫なのに、水着談議で話題にも上がらなかったからな。極めつけに『メンバーは全員話題には出たはずだ』とか言っていたし。
「うん?」
訳がわからず、向日葵は首を傾げているが、まあ、こちらは問題ないだろう。
そう、重要なのは――。
「どうです? 行く気になりましたか、海?」
僕は珊瑚に向かって確認した。
「いや、まあ、楽しそうだってことは分かった。けど、今の話題で説得されるのは、その……」
そう言うと思った。
プライドが許さないのだろう。気持ちは分からないでもない。
そう。
これで、全ての条件が整った。
あとは思考通りに、実行するだけだ。
「はぁ」
僕は、芝居かかった仕種だと承知しながら、ため息をついてみせる。
「な、なんだよ」
「水着の話題で説得されて下さいよ。隠された本音は、ずっと恥ずかしいですよ?」
「?」
僕の前置きに、珊瑚は頭の上に疑問符を浮かべた。
「珊瑚先輩は――もちろん他の〈魔法少女〉達もそうですけど――王位継承試験が終わったら、地平世界に帰ることになりますよね?」
僕は、そこから言葉を始める。
「王位継承試験の結果によっては、珊瑚先輩は魔法の国で要職に就くはずです。瑠璃たちもそうです。二度とこの世界――地球世界に来ることはできない可能性も低くありません」
「……あ、ああ。そうだな」
僕の話す内容が、突然、真面目な話題になったので戸惑いつつも、珊瑚は同意を示して頷いた。
「だから――せっかくこの世界の、椎名市にいるんですから、楽しいことを体験したり、綺麗な風景を見たり、素敵な想い出を作って下さい。多分、王位継承試験をわざわざ地球世界でやるのは、色々な人生経験を積む目的もあると思います。試験の課題を乗り越えるだけではない、為政者として、人としての成長です」
僕は続けた。
「海水浴、良いじゃないですか。行きましょうよ、想い出を作りに。出井浜海岸は、なかなかに綺麗な、良いところですよ」
僕は、珊瑚から視線を外すように空を見上げて、そう言いきった。
これは。
想像以上に――演技のはずなのに、滅茶苦茶照れ臭い。
「ああ、たしかに恥ずかしいな、ソレ」
珊瑚が、照れ隠しにガリガリと頭をかいた。
「分かったよ、行くよ、海。言っとくけどな!」
大声になって、珊瑚は僕に人差し指を突きつけた。
「滝沢さんに、間違いなく水着で来るように言っておけよ! 期待しているからな!」
それだけ叫んで、珊瑚は茜達のところに戻って行った。
ふん。
それこそ、照れ隠し以外の何者でもないな。
そう。
僕の胸中を語るなら。
珊瑚の経験など、どうでも良い。彼がどんな風景を見ようが、想い出があろうがなかろうが全く関係ない。
滝沢さんの水着姿ですら、無価値だ。
それでも、僕の目的のためには、珊瑚も含めた王位継承試験参加者全員で海に行く必要がある。
そのための、水着談議。
そのための、隠した本心と偽った思いやり。
まあ、手持ちの材料、自前の演技力と、翔の多少の援護射撃を全て使って、この程度だろう――この程度で、十分に珊瑚を説得できる。
事実、珊瑚は香苗に参加の意を表明したところだ。
「お見事」
翔が、言葉とともに拳を上げて見せたので――。
「ふん。ちょろいですよ」
僕も、自分の拳をそれにぶつけたのだった。




