(1-03)序章 2番目の魔法少女(3)
【玖郎】
三人の少年達は、言葉もなく立ち尽くしていた。たった今、目の前で起こった出来事が信じられずに、ぽかんと口を開けてしまっている。
夜の闇の中だ、決してしっかり見えた訳ではない。
それでも、彼らは見た。
どこからともなく飛んできた水が、炎ごと秘密基地を包み込むように球状に広がったかと思うと――ぎゅっと縮まって、炎を包み消してしまったのだ。
一瞬で、消火してしまったのだ。
あの火事は夢だったのだろうかと疑いたくなるだろう。
それでも、目の前に、夢ではなかった証拠がある。今まだ、もうもうと白く立ち込める水蒸気だ。
それは、たった今、火と水の激しい攻防があったことを示すものだ。
その白煙の中、彼らの秘密基地はかろうじて原形を留めている。一部、焼け焦げたり燃え落ちたりしている部分もあり、今にも崩れそうな様子ではあるものの、ほとんど元の形のままだった。
そう。
まるで『魔法みたい』だった。
彼らも素直にそう感じたのだろう。常識に縛られた大人でなく、少年である彼らだからこそ浮かべることが出来た感想であり――それは、まさに正解だった。
しばらく唖然としていた彼らだったが――。
「……っ! そうだ、田中!」
それでも、佐藤はいち早く立ち向かうべき問題を思い出していた。
叫んで、同時に秘密基地へと駆け込もうとする。
「だめだよ、佐藤!」
それを、鈴木が羽交い絞めにして止める。
「消防署に社会見学に行った時に、わ、勉強したでしょ。消火してすぐの、水蒸気はとっても熱いんだ。ちょっ、暴れないで。大人でもしっかり防護服を着るのに――火傷しちゃうよ! それに、わわ、基地の壁とか崩れるかも。高橋も、ぎゃ、止めるの手伝って」
「う、うん。佐藤、落ち着いて」
鈴木と高橋が、佐藤を必死に押しとどめようとする。
しかし、佐藤は体が小さい上に、冷静さを失って暴れている。やがて、ちょっとした隙に、二人の静止を振り切ってしまう。
「あっ、佐藤!」
佐藤は秘密基地へと駆けだそうとして――。
その腕を、別の手に掴まれた。
僕の手だ。
まったく。
ぎりぎりのタイミングだ。
何度も走らせやがって。
でも――間に合った。
「なんだよ、離せ! 田中が――!」
掴まれた腕を振り回し、叫ぶ佐藤――瞬間、びしっ、という音が響く。
「ぎゃっ!」
声とともに、佐藤は地面にしりもちをつく。痛む額を反射的に両手で押さえながら、涙目で顔を上げ、そして佐藤は見た。
そこにいたのは彼の知らない少年――つまり、僕だった。
背の高さから考えると、デコボコ三人組と同じくらいの年齢だと分かるだろう。背丈に全く合っていないブカブカの黒いウィンドブレーカーを着ている。その上着のフードを、今は思いっきり引き下ろして目深に被っているために、顔や表情は彼らからは分からないはずだ。
そんな僕の伸ばした右腕の先で、人差し指がピン、と伸びている。
僕が、佐藤に向けてデコピンを――びしっ、と音が響くような強さで――放ったのだ。
「お前があそこに飛び込んでも、要救助者の人数が増えるだけだ」
僕は、静かな口調を心がけてそう言った。
そして、ちょうどそのタイミングで。
「私が行きます」
僕の突然の登場に呆気にとられていた三人組は、僕と同様に、その声を聞いた。涼やかに凛と響く、神社の神楽鈴を想像させるような、少女の声だ。
その時には、その声の主はしりもちをついたままの佐藤の横を走り抜けていた。
たった一瞬であっても、綺麗な青色の髪と、青色系統で統一された衣装が印象に残る――瑠璃だった。
「――小屋の倒壊と、高温の水蒸気に気をつけろ。薄く、隙間なく、自分の身体の周りに〈操作〉だ」
瑠璃の行動は予想済みだ。
驚くことに、あの燃えていた小屋の中には、田中という名の――おそらく彼らの友人だろう――少年が残っていたらしい。
事態は一刻を争うと言って良い。
田中を助けないといけない。
絶対に助けたい。
だから。
だからこそ。
瑠璃本人が、小屋へと飛び込むと予想できたのだ。
僕はその言葉とともに、先程キャンプ場で補給しておいたペットボトルを、ウィンドブレーカーの内側から取り出して――蓋をあけると中身の水を空中にぶちまけた。
そして。
三人の少年が声もなく見守る中――。
水は、地面に落ちることなく空中に留まった。瑠璃を追いかけるように宙を飛び、彼女の体の周りを覆うような位置に展開される。
「テレビの、魔法少女みたいだ……」
高橋が茫然とつぶやいた。
想像するに、彼は日曜日に放送している、女の子向けのアニメを見たことがあったのだろう。魔法を操る女の子が、友達を助けたり、悪者をやっつけたりと活躍する番組だ。恐らく、毎週欠かさず見ている特撮ヒーロー物の番組の後に、幼い妹にでもつきあって見ているのだろう。
だから、自然とそんな単語が口をついたのだと思う。
そう。
特徴的な髪の色と、そのカラーに合わせた可愛らしい衣装。まるで魔法だと主張するように、物理法則を無視して宙を舞う水。そのどれもが、僕を含めた少年達に、そんな印象を与えていて――そして、それは実のところ、これ以上ないほどに『正解』だった。
瑠璃を見送り――。
わずかの間、静寂が満ちる。
いや。
――ダメだ、まずいっ!
ガラガラと音を立てて秘密基地が、彼らが必死に建設した――たった今、瑠璃が飛びこんだ――その小屋が、音を立てて崩れた。
全ての壁が内側に向けて倒れ、くしゃりと潰れるように倒壊してしまう。
瑠璃が飛び込んだことが、引き金になってしまったのだろうか。
「っ――!」
さすがの僕も息を呑んだ。
水蒸気と砂ぼこりが一気に吹き上がる。
わずかに残った火の粉が、夜闇の中に赤く線を描く。
ガラガラとその場に騒音を響かせ、倒壊する。
そして。
それから、わずかな物音さえも消えてしまう。
沈黙。
静寂。
何も聞こえない。
何も、動かない。
もうもうと立ち込めた煙が、少しの時間を要しながらも風に吹き散らされて、視界が戻る。
そこには、一つの小さな人影があった。
夜闇の中でも分かる。青色の魔法少女――瑠璃だ。
倒壊の直前に脱出できていたのだ。
「は――」
良かった。
無事だった。
僕は、そう安堵のため息をつきかけ――思い至る。
あそこに立つ人影は、瑠璃一人だ。
彼らが田中と呼んでいた少年が、まだ中にいたはず。
火は秘密基地の壁を中心に燃えていたから、火傷はともかく生きているはずだ。彼はどうした? 一緒に脱出できなかったのか? 助けられなかったのか? 瑠璃は、間に合わなかったのか?
僕が青ざめながらそう考えるうちに、瑠璃がゆらりと歩き出した。
一歩一歩よろめくように、こちらへと歩いてくる。
まるで苦しい何かに必死に耐えるように俯いている。小さな肩は、あふれてくる感情を必死に抑え込もうとして――それでも震えているのが僕の位置からでも分かった。
やがて。
僕と三人組が見守る中。
僕の彼らの目の前まで辿り着くと――両手を前に突き出した。
彼女の表情は、泣き笑いの表情だった。笑顔なのに、その両の瞳から静かに涙があふれて流れている。
やはり、助けられなかったのか――?
僕がそう思うのと同時、瑠璃の両手の中で何かが動いた。
「ワン!」
そこにいたのは、一匹の茶色い仔犬だった。可愛らしい舌を出して、元気にしっぽを振りながら、呼吸して、生きている。
瞬時に、考え至った。
「田中って――『犬』の名前か……」
呆れて呟いてしまう。それは、少年達のネーミングセンスに対するものか、無事の決着に対する安堵か、自分でも良く分からなかった。
「田中っ!」
三人組が駆け寄って歓声を上げた。
「やったー! ひゃっほう」
「わあぁ、元気だよぉ」
「ワン! ワンワン!」
瑠璃から小さな友人を受け取ると、かわるがわるに仔犬を抱き上げて、喜びの声を上げる。駆け回り、喜びの声を上げ、踊りだしてしまうほどだ。
仔犬――田中も嬉しそうに彼らの足元を駆けまわっている。
「あはは。はははは――」
三人組の笑い声が、夜闇の林の中に響いた。
「――瑠璃、行こう」
僕は瑠璃に声をかけた。
同時に、上着のポケットからスマートフォンを取り出して電話をかける。通話の相手は119番だ。
「――スマートフォンからかけています。火事です。――場所は、A県B市にある、B市キャンプ場の奥の林の中です。――火元は、少年達が作った小屋です。火は既に消えています。周囲への延焼防止と、残り火の確認が必要です。怪我人はいません」
簡潔に必要な情報を伝える。問題なく冷静に喋ることができた。子どもの声による通報だが、それはどうしようもない。悪戯だと思われないことを願うだけだ。
それから、こちらの名前と電話番号を確認する声に応えずに、電話を切ってしまう。スマートフォンからの通報だと伝えてあったし、現場は林の中だ、電波状況が悪くなったと判断してくれるはずだ。
実際は、こんな林の中なのに、電波は十分に届いている。
そんな今の時代に感謝をすべきなのだろう。なにしろ、この通信手段がなければ、僕と瑠璃の消火活動も、別の方法を考える必要があったはずだから。
そう。
残された問題は、その瑠璃だ。
「――ひくっ」
瑠璃は、僕に手を引かれて歩きながらも、まだ涙を止めることができずに泣いていた。
僕は彼女に背を向けて歩いていたものの、そのことに気付いていた。
やがて。
「――玖郎くん。私、できました」
瑠璃は、震える涙声でのまま、言葉を投げかけてくる。
「不幸を、退けました」
「ああ」
僕は静かに返事をする。
「幸せを、もたらせました」
「ああ」
再度、僕は返事をした。
「私にも、できました。――助けることが、できました」
僕には、瑠璃が背後で落とす涙の音まで聞こえる気がした。
「玖郎くん。――私、できたんですよね?」
「――そうだな」
僕は力強く頷いた。声に一層の力を込めて、返事をする。
「――私、一番になりたいです。勝ちたいです。勝って――女王に、なりたいです」
静かに泣きながら、瑠璃は言う。
流れ落ちる涙のように、彼女の心がこぼれ落ちて言葉になる。
「みんなが、みんなに、優しくできる世界を、作りたいです――」
――そうだ。
僕は、泣き止まない瑠璃の手を引きながら、思い出していた。
瑠璃は、最初からそうだった。
二番目であることをずっと気にしていた彼女。
どうしても一番になりたいと思っていた彼女。
そうでなければ意味がないと信じていた彼女。
それでも突き詰めて考えてみれば、そんな彼女が本当にやりたかったことは――一番目も二番目も関係なく――ただ、目の前で困っている人を助けたいということ。
彼女はただ、優しくしたかったのだ。
そして、それが許されないことが、許せなかったのだ。
それだけだ。
たったそれだけの、この世界では当たり前のことを必死に願い、必死に望み、必死に手を伸ばして掴もうとする。
だから、僕は――。
僕は、そこからさらに数日前へ記憶を遡って、回想する。
きっとあの時からはじまっていたのだろう。
瑠璃が、僕のクラスに転校してきた時から――。
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『2番目の魔法少女 第一巻 約束の協力者』
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