(1-22)終章 約束の協力者
【瑠璃】
私と玖郎くんは、並んで座っていました。
椎名小学校の屋上の端。バランスを崩して少しでも前に倒れれば、校庭まで真っ逆様に落ちてしまうような場所です。
それでも、今はそんな危険はあまり気になりませんでした。
むしろ、夕方近くなって出てきた風が、疲れた心と体に涼しくて、心地良く感じます。
茜の炎で焼け焦げ、溶けただれた屋上は、ジャッ爺が魔法で元に戻していました。あれほど屋上に充満していた熱波の余韻すら、今は残っていません。
私は、〈開門〉を使って、〈魔法少女〉の衣装から普段の服装に戻っていました。
それはつまり、〈試練〉が完全に終わったことを示していました。
そうです。
私と玖郎くんは、茜と珊瑚くんとの最初の直接対決――〈試練〉に負けたのでした。
玖郎くんが考えをめぐらし、私が全力で魔法を使い、それでも、彼女たちには足りませんでした。
ただまっすぐに走り回って、怒りに任せて炎を生み出し、捕獲するべき生き物を焼き尽くしてしまうような――茜と珊瑚くんに勝てませんでした。
いいえ、非難するような表現は良くないですね。
この場合は間違いなく、私が甘いだけでした。
私が、甘かったのです。
「ごめんなさい」
気づくと、私はそう呟いていました。
「玖郎くんは、万全に考えてくれていました。最後の最後で、私の覚悟が足りなかったせいで、ハガネイカにダメージを与えられませんでした」
溢れそうになる涙を、まばたきを繰り返して、こぼれないように堪えます。
「私、ダメですね、甘くて」
ダメだと言うことは分かっています。
それでも。
それでも、です。
「あの一撃でハガネイカを両断すれば、命を奪ってしまうと分かってしまいました。だから、指示通りにできませんでした。私は、優しくできる世界を作りたい。攻撃対象である〈精霊〉にさえ優しくしたいと思ってしまうのです」
私にも分かります。
それは、甘さです。
「でも、目標を実現するためには、女王になるためには、そんな甘い考えではダメなんですね。優しくするために、優しくしてはいけない――やっぱり私は、優しくしてはダメなんでしょうね」
必死に堪えていたけれど、私の両面から大粒の涙がこぼれてしまいました。
「それは、違う」
静かな、落ち着いた口調で、玖郎くんはそう口を開きました。
【玖郎】
「それは、違う」
僕は、瑠璃の独白に、口を挟んだ。
そうせずにはいられなかった。
最初の決定的な敗北を前に、自分を責めたい気持ちは分かる。
だが、今回の敗北という結果は、断じて瑠璃一人の責任ではない。
「ごめん。この結果は、僕が考えきれなかったのが一番の原因だ。僕は、瑠璃の目的を教えてもらっている。ハガネイカの命を奪うような攻撃なんてしたくないだろうと気づかないといけなかった。もっとその感情の優先順位を高くしないといけなかった。最も成功しやすい方法や、手段としての成功確率を重視してしまって、それを実際に実行する瑠璃の気持ちが考えられなかった」
それは、僕のミスだ。
根本的な。
文字通り致命的な。
頭が良いなどと、思い上がっていたということだ。
「瑠璃の目的が、優しくできる地平世界を作ることなら、甘くたって良いんだ。優しくすれば良いんだ。甘いから勝てないなんてことはない。それでも勝てる方法を、女王になれる方法を、僕が考えるから」
「はい。――はい」
瑠璃は頷いた。
その拍子に再度こぼれた大粒の涙を、彼女はぬぐった。
「玖郎くん」
それから、改めて瑠璃は僕をまっすぐに見つめて、言った。
「私の〈騎士〉になって下さい。私と、〈契約〉して下さい」
それは、一番最初に聞いた、瑠璃の頼みだった。
あの時。
あの校舎裏のベンチで、僕はそれを断った。
そして、今――。
「その前に、一つだけ良いか」
僕は、瑠璃に断ると、あれからずっと通話状態が切れているスマートフォンを取り出した。
通話履歴を呼び出し、一番最新の着信履歴をコールする。
電話の相手は、母さんだ。
ほんのわずかな呼び出し音の後、母さんは『用件は?』と言った。
「アメリカの話、断ることに決めた」
僕は、まず結論を伝えた。
「ここで、この場所で――本気で、真剣に、必死にやりたいことができた。これまで、どんなことにも本気で取り組まなかった、取り組めなかった僕が、本当に心の底から思ったんだ」
電話の向うで、母さんが黙って聞いてくれている。
「瑠璃を、助けたい。力になりたい。僕の全力をかけて、瑠璃との約束を果たしたい」
母さんは、『分かったわ。しっかりね』と、それだけ言って電話を切ってしまった。
さあ。
これで準備完了だ。
瑠璃は、僕との〈契約〉の話を、アメリカのジーニアスプロジェクトに参加するかどうか、その結論が出るまで保留にすると言ってくれた。
今の電話で、結論は出た。
アメリカには行かない。
いや、本当は、あの時から――瑠璃と約束をしたあの時から、そのつもりだったんだけど。
「玖郎くん、今の電話って」
「聞いての通りだ。アメリカの話は断る。それが、僕の結論だ」
瑠璃は、その言葉にまた涙ぐんだ。
「ありがとうございます。それじゃあ――」
そして、僕はその願いに対する答えを口にする。
「僕は、瑠璃の〈騎士〉にはならない」
「あ――」
僕の答えに、瑠璃はあからさまに落胆した。
一瞬前まで輝いていた青い瞳は暗くなり、肩が目に見えて落ちてしまう。
「その答えは、変わらないんですね」
「ああ。理由は全部で三つある」
僕は、瑠璃に向けて指を三本立てて見せた。
「一つは、〈保護魔法〉が利用できることだ。他の〈魔法少女〉は全員が〈騎士〉と〈契約〉していて、基本的に魔法を使って競い合うという発想だ。ここで、問答無用に魔法を無力化できる利点は大きい」
そうだな、この情報も開示しても良いだろう。
「さらには、とある筋から確認したところ、そもそも〈女王候補〉達は、〈騎士〉でない人間が〈試練〉や〈仕事〉に協力するという発想を持っていない。つまり、僕が『〈騎士〉』ですと自己紹介すれば、間違いなく信じる。その状況で魔法を無効化できれば、戦略的に非常に有効だ」
「確かに、茜も珊瑚くんも、玖郎くんが〈騎士〉じゃないなんて想像もしていませんよね。その状態なら――玖郎くんがただの協力者なら、〈盾〉では絶対に防げない魔法も、〈保護魔法〉で絶対に防げます」
うん、と瑠璃は頷いた。
「そう、それが〈騎士〉ではなく、『協力者』になる理由だ」
【瑠璃】
その理由には、納得させられてしまいました。
玖郎くんに助けをお願いするのに、玖郎くんが〈騎士〉になる必要はない、そういうことです。
「瑠璃、僕達の約束を覚えているか」
約束。
契約ではなく、私達の約束。
ちょっと恥ずかしいですが。
一字一句間違えずに、覚えています。
「私を、あなたにあげます。あなたの恋人になります。結婚もなんとかします。だから――私を、助けて下さい」
「そう。それだ」
玖郎くんは頷いた。
「その約束は、絶対に守る」
力強い言葉でした。
心の奥底から、温かくなるような言葉でした。
本当に、嬉しいです。
「――私は、優しくできる世界を作りたいです」
私は、改めて言いました。
「私、女王になりたいです。優しくできる世界を作りたいです。そのために、もっと魔法を練習しますし、勉強もします。考え方や、考える量が足りなければ、ちゃんとします。だから――」
「僕も、本気で、必死に、一瞬も無駄にすることなく、考えて考えて考え抜く」
玖郎くんもそう言ってくれます。
私は、もう一度涙を堪えなくてはいけませんでした。
だから、それを誤魔化すために、校舎の屋上――その端に立ち上がりました。
玖郎くんも、立ち上がります。
並んで立つ二人の間を、涼しい風が通り抜けました。
あら?
そう言えば。
「〈騎士〉にならない理由は、あと二つあるんですよね?」
「ん? ああ、そうだな」
玖郎くんは口を開き、すぐに閉じてしまいました。
「それは宿題だ。僕としては、できれば残り二つの利点は発揮されない方が良いと思っている。時間がある時にでも考えてみてくれ」
「え? そう、ですか……」
教えてもらえるものとばかり思っていたので、少し残念です。
何でしょう、〈騎士〉にならない、〈契約〉をしない、理由。
あ。
一つ思いつきました。
でも……。
うーん、どうしましょう。
また玖郎くんに怒られてしまうかもしれません。
それでも。
言い訳をするならば。
地平世界の女の子にとって――それが〈女王候補〉でない普通の女の子でも――〈契約〉のための〈騎士〉とのキスというのは、憧れなのです。
つまり、夢見てしまうものなのです。
ええ。
やっぱり、怒られてしまうと分かっていても、聞かずにはいられません。
「その理由の中に、私とキスがしたくないという理由は――入っているのでしょうか?」
玖郎くんが、じっと私を見つめました。
ああ、そう言えば、この問いは前にも聞きました。その時の答えにそれなりに満足したのでした。
うるさいと思われてしまったら――。
そこで。
玖郎くんの腕が、すっと私の額に伸びて来ました。
「年頃の女の子が、キスキスと連呼するな」
わ、わ。
やっぱり怒られてしまいました。
これは、あれです。いつものデコピンなのです。
私は、すぐに来る痛みに耐えるために、ぎゅっと目をつぶりました――。
そして。
あれ? デコピンじゃない――?
玖郎くんが、私の右手を取ったので、なんだか違うらしいと目を開くと――。
「――?」
玖郎くんは、私の右手を持ったまま、校舎の屋上のその端に膝をついていました。
え――?
【玖郎】
そして、瑠璃の表情の変化は、一見の価値ありだった。
自分でもキザすぎるかと思いながらも。
僕は、瑠璃の手をとって。
片膝を付いて。
その手の甲に口付けた。
言葉で言っても分からない瑠璃が悪い。
耳まで真っ赤になった瑠璃の顔は――。
言い訳しようにも、夕日の色よりも紅くなってしまっていた。
こうして、僕と瑠璃の約束の日々が始まった。
これはささやかな始まりの物語。
僕達の頭上で、二番星が静かに光り始めていた。
(『2番目の魔法少女 第一巻 約束の協力者』――完)




