(1-21)第三章 1番目の魔法少女(6)
【瑠璃】
「条件は整った。あとは思考通りに実行するだけだ」
そう、玖郎くんがいいました。
待ち望んだ言葉でした。
なぜかスマートフォンの通話が切れてしまい、突然電話がかかってきたかと思うと、玖郎くんはふらふらと屋上の端にあるアンテナの裏側に回り込み、水を見つけてしまいました。
まるで、魔法みたいでした。
本当に、玖郎くんはすごいです。
「瑠璃。次の一撃で、ハガネイカに捕獲相当のダメージを与えるぞ」
玖郎くんの言葉は力強く、不安や焦りを押し流してくれます。
でも、私たちの手元には、ペットボトル一本分の水しかありません。
これで、どうやって?
「まずは〈操作〉で全部持ち上げる」
玖郎くんがペットボトルの口を開けながら、言いました。その通りに、ペットボトルの水を空中に浮かべます。
「それを平たく押しつぶす。円盤にするんだ。イメージは、CDとかDVDだ」
「はい」
ぐっと、球を押しつぶします。
「もっと薄く。広くなっても構わないが、できるだけ圧力をかけて圧縮してくれ」
空を飛ぶ時に、水を圧縮して体を支えられるようにしているので、その指示はイメージしやすいものでした。
「それから回転だ。ぐるぐると、その形を維持したまま水流を作り出す」
私は、紙のように薄く、私が両手で輪を作ったくらいの円盤を回転させます。
速く、速く、加速します。
「次はこれだ」
玖郎くんは、屋上の端にたまった砂利を両手でかき集めて、円盤の上にばらまきました。
「砂利を内側に取り込んでくれ。流れに巻き込んで、一緒に回転させるんだ。瑠璃のイメージできるかぎり、最速で」
私は、玖郎くんの指示通り、円盤を加速します。
「さあ、準備は完了だ。瑠璃、知ってるか? 工業加工を中心に、金属の切断には水が使われている」
え?
「金属を切るのに、水ですか?」
「そう。高圧、高速度で水を噴射して、金属を構成する原子の結合を破壊するんだ。細かな金属片をいれることで、切断力が上がる。ウォーターカッターという」
ウォーターカッター、ですか。
「この魔法は、その原理を利用した、言わば『水の円鋸』だ」
なんでも切れる、魔法の円盤、ですね。
玖郎くんは手にしていたペットボトルを、軽く円盤の縁に触れさせました。
それだけで。
すぱっ、とペットボトルは切断されてしまいました。
鋭く、滑らかな切断面です。
その断面に触れて指を滑らせたら、切れてしまいそうなくらいです。
「絶対に人に向けて使うな。取り返しがつかない」
わざわざそんな分かりきったことを言う玖郎くん。
でも、それくらいの破壊力が――切断力があるという証拠でしょう。
「これを使って――」
玖郎くんの説明は続きます。
でも。
そう、まるで、最後まできちんと心の準備はさせない、そんな意志すら感じるようなタイミングで。
ハガネイカが飛び起き、十本の足を振り上げ――。
【玖郎】
ハガネイカが瞬間的に体を跳ね上げた。
宙に跳ね上がった反動で、小学校の屋上のコンクリート製の床が重く音を響かせる。
その挙動の流れで、十本の足が振り上げられた。
たった一撃であっても、瑠璃と僕を容易に叩き潰してしまえる攻撃――それが、十本。
唸りを上げて飛来するその触腕を、僕と瑠璃は後ろに跳び下がってかわした。
しかし、次の一撃はかわせない。
器用に動く二本の長い足が、空振りして床を叩いた反動すら利用して、僕らに迫る。
僕は瑠璃の前に立ちふさがった。
「瑠璃――!」
僕は声をあげる。
無意識の行動。
僕は、彼女を助けたい。
守りたい。
そして。
その結果起こることは――。
その結果として起こることを、僕は確信していた。
ハガネイカの足が、僕の胸部に直撃する――。
回避は不可能。
そもそも、僕が攻撃を避ければ、瑠璃に直撃してしまう。
回避するという選択肢は、はじめからない。
目の前に、現実的な死が迫る。
巨大なイカの足の形で。
有機的に蠢く鋼の槍の姿で。
そして――。
【瑠璃】
「瑠璃――!」
私の名を呼び、玖郎くんが私をかばって、ハガネイカの攻撃の前に立ちふさがりました。
ダメです。
私は、そんな犠牲は欲しくありません。
玖郎くんが死んじゃうなんて、絶対に嫌――。
なのに、私の体はとっさに動けなくて。
声すら、上げることもできなくて。
次の瞬間。
玖郎くんの胸を、二本の鋼の槍が貫いた。
一瞬にして、彼の命が失われてしまう。
――そんな光景が目に焼き付くかと思ったのに。
現実は、『逆』でした。
玖郎くんが微動だにしないまま、その攻撃は弾き飛ばされてしまいました。
非現実的な光景でした。
巨大な生物の、圧倒的な質量の、命を奪う一撃を、小学生の小さな体で弾き飛ばしたのですから。
まるで、魔法としか言えない――。
「あ」
〈保護魔法〉。
この世界の人間が、魔法の影響から守る魔法。
「――円盤をハガネイカに向けて放て! 両断しろ!」
玖郎くんは、その指示とともに、びっとハガネイカの巨体を指差しました。
そう。
玖郎くんが私の名を叫んだのは、無意識の叫びではありませんでした。
絶望の叫びでも、断末魔でもありませんでした。
確信的に何が起こるかを考え、次の一手を――私に指示するための叫びだったのです。
玖郎くんが指差す方向に、勝利が見えます。
だから。
だから私は、反射的にその私事の通りに魔法を発動させました。
「はいっ! 〈操作〉っ!」
【玖郎】
「〈操作〉っ!」
瑠璃の詠唱が響いた。
その声は凛と大気を震わせ、この世界を構成する物理現象を無力化する。
重力に逆らい宙に浮く水の円盤は、動力もないのに高速の回転を保持したまま、魔力を受けて放たれる。
瞬間的に加速する。
ハガネイカの巨体を目掛けて。
それが有機的な組織であればいともたやすく、金属的な装甲であっても大した問題とせずに、その足と言わず胴といわず――両断する。
そして――。
音もなく、大した抵抗すら感じさせることもなく、ハガネイカの足が切り飛ばされた。
くるくると、胴体とつながっていた頃の慣性にまかせて空へと舞い上がり、電撃の障壁にはばまれて屋上に音を立てて落ちた。
――そして。
「ふむ」
僕は、呟いた。
聞く人によっては、満足げな響きを感じなかもしれない。
――そして、『それだけ』だった。
ハガネイカの足一本。
それ以上の成果を上げることなく、僕たちの――僕と瑠璃の最後の一撃は終了した。
【瑠璃】
攻撃は失敗しました。
私の失敗でした。
せっかく玖郎くんが水を用意して。
最大限に活かす方法を考えてくれたのに。
最後の最後で。
音もなく切り飛ばされるハガネイカの足を見て。
一瞬後に、同じように両断され、縦に真っ二つになるハガネイカを想像して。
死んでしまうと気づいて。
殺してしまうと想い至って。
――魔法を、解除してしまいました。
突然足を切り落とされて、一瞬だけ動きをとめていたハガネイカは、次の瞬間、狂ったように足を振り上げて私と玖郎くんに襲いかかってきました。
殺せませんでした。
倒せませんでした。
捕まえることもできませんでした。
〈試練〉、勝てませんでした。
――でも、良かったです。
玖郎くんはかすり傷一つ負わないはずですから。
先程彼が自分でしてみせたように、この世界には〈保護魔法〉があります。
玖郎くんは守られています。
私は、防御の手段もなく、このハガネイカの前に大怪我をして、いいえ、死んでしまうかもしれませんが。
だから、私は。
――安心して目を閉じました。
【玖郎】
攻撃は失敗した。
――それも、予想していた。
そう言ったら、瑠璃は怒るだろうか。
優しくしたい、誰もが誰かに優しくできる世界を作りたいと思っている――願っている彼女なら、殺せないのではないか、と。
そう思っていた。
そういう可能性も、低くないだろうと分かっていた。
それでも、あれが僕のできる精一杯だった。
手負いになったハガネイカは、これまでが遊びだったといわんばかりの勢いで襲いかかってくる。
それでも。
そんな状況でも。
僕は、瑠璃を助けたいと思っている。
それができるだけの余地を残している。
そのために、僕は――。
まだ、先程のペットボトルをその手に持っていた。
それ自体は空で、水をたたえてはいない。
ただ、鋭利な切断面を持っている。瑠璃のウォーターカッターで切断された、鋭い断面を。
これを手首に当てて引けば――。
そう。
血液だって、間違いなく『水』なのだ。
水なら、ここに。
ここにある。
瑠璃は怒るだろうな。
それでも、だ。
さあ、覚悟を――。
「待ちなさいっ!」
声が、屋上に響いた。
その命令自体は、後にして思えば僕に向けられたものではなかった。
それでも、僕は反射的に手を止めてしまった。
止めてしまっていた。
そして、人語を解さないハガネイカはそのまま動き続けていた。
その差が――致命的だった。
僕が動きを止め、ハガネイカは止まらなかった。
だから。
僕は、最後に残しておいた一手を使う瞬間を――最悪の切り札を使う機会を失った。
後に残るのは、決定的な敗北と、徹底的な暴力だ。
縦横に振るわれる金属の触手が、僕と瑠璃の体を打ちのめし――想像もしたくないが、瑠璃は、瞬間も待たずに満身創痍となり、傷と血に汚れ、命を失う。
そんな瑠璃を見ながら、僕はかすり傷一つ負わないままで何も出来ずにそれを見ることになる。
容認できない未来。
拒絶すべき未来。
だけど――。
いや――それは、未来にはならなかった。
「〈靴〉。屋上とは盲点だった」
声が僕の耳に届くのと、目の前に人影が割り込むのが同時だった。
珊瑚だった。
「珊瑚くん――」
瑠璃の呟きに反応を返さず、珊瑚は両手を前に――迫り来るハガネイカの足を押し止めるようにかざした。
「〈盾〉っ!」
彼の詠唱の声で、僕達の身長より大きな長円形の盾が――炎の盾が現れた。
次に起こったことは、僕が経験的に想像してしまう動作――金属の足が炎を突き抜けるという予測とは、全く異なる挙動だった。
ハガネイカの攻撃は、炎の盾を突破することができずに全て弾かれる。
これが、魔法による防御か。
物理現象は、魔法の前では容易く無力化されるということだ。
「言っておくが、この〈盾〉は、今の攻撃を防ぐために出したんじゃないぞ。これは――」
珊瑚は言った。
「火の〈魔法少女〉の炎から、俺達を守るための〈盾〉だ」
火の――?
僕がその言葉の意味を理解するより早く。
「私の友達をよくも――。許さないっ」
そう。
それは、炎のように苛烈な怒りを含んだ声だった。
火の〈魔法少女〉――灯火・バーミリオン・茜。
彼女は、決然とした表情で、両の手のひらを前に――ハガネイカに向けてかざした。
それは少し前に珊瑚がしたポーズと似ていたが、完全に逆の意味を持つものだった。
珊瑚のそれは守りのためで、
茜のそれは攻撃のためなのだから。
一瞬の静寂。
茜が鋭く息を吸い込む音が、ここでも聞こえた気がした。
「〈生成〉――っ!」
声。
そして、炎。
あまりの熱量に、瞬時に気温が上昇する。激しすぎる光量に、炎の色は赤でも青でもなく――白く吹き出し、まるで光の濁流だった。
炎の余波――驚くことに、これでも余波なのだ――が僕達三人を飲み込もうと押し寄せるが、珊瑚の〈盾〉が、かろうじてそれを食い止めている。
炎に吹き飛ばされ、ハガネイカの巨体は全く抵抗を許されずに、上空の電撃の障壁に叩き付けられる。いや、押し付けられる。
絶え間なく、屋上の上空に紫電が走り、そのたびにハガネイカの体は自らの意志に関係のない痙攣を繰り返す。
それでも、吹き付ける炎の圧力が圧倒的すぎて、そこから抜け出ることができない。
もはや、捕獲判定に必要なダメージなど、関係なかった。
炎に体の外側を削り取られ、雷に内側から焼き焦がされ、ハガネイカは――炎の中に消えた。
金属の巨大が残らず蒸散した。
これが。
これが、一番目の〈魔法少女〉。
瑠璃の夢の前に立ちふさがる、最大の壁か。
圧倒的な炎。
あらゆるものを等しく焼き尽くす、深紅で純白の炎。
天性の膨大な魔力と、加えてこれまでの短い人生で勝ち得た絶対的なカリスマ。
友のために怒り。
敵とあらば焼き尽くす。
なるほど。
なるほど、と僕は思う。
ハガネイカを焼き尽くしてなお止まらずに生み出され続ける炎に照らされながら、僕は思う。
完全に敗北した。
これが。
火の〈女王候補〉――灯火・バーミリオン・茜。
これが、倒さなければ行けない敵、か。
【瑠璃】
生み出される炎は、いつまでも止まりませんでした。
圧倒的な魔力。
一瞬ででハガネイカを焼き尽くした炎。
ああ。
あのハガネイカは、死んでしまいました。
私は――。
もっと。
もっと頑張らなくては。
足りません。
このままでは、全然足りないのです。
茜の生み出す無限の炎を睨みながら、私は思いました。
茜。
私の大切な、大好きな友達。
そして彼女が――私が、私の目的のために倒さなくては行けない、最大の敵なのです。
勝ちたい。
いつまでも二番目でなく、一番目になりたい。
次の女王になりたい。
優しくできる国を、作りたい。
王位継承試験だって、〈精霊〉が命を落とすことのない内容にすべきなのです。
二度と。
誰も、こんな想いをしなくて良いように。
勝ちたい。
「――、――――!」
感情があふれるままに、私は叫びました。
茜の炎が立てる轟音に、その声は私の耳にすら届きませんでした。
堪え切れずに溢れた涙は――。
茜の炎が生み出す熱に、跡も残さず消えてしまいました。




