(1-20)第三章 1番目の魔法少女(5)
「玖郎くん、行きます」
「いつでも」
心強い返事がありました。
それでは――今です!
「〈操作〉!」
私の魔力を受けて、半球状の水がするりとほどけます。回転していた流水の勢いをそのまま利用して、ハガネイカを下から上へと突き上げます。
イメージは、大地から力強く吹き出す間欠泉です。
しかし、その間にもハガネイカの攻撃は止まった訳ではありません。一瞬の隙を確実に狙ったとはいえ、私と玖郎くんを同時に叩き潰すよう振り下ろされた動作は止まる訳ではないのです。
いいえ、私の魔法の方が早い、です。
突き上げる水の勢いに、上空へと吹き飛ばされるハガネイカ。足による攻撃は、紙一重で――空振りです。
成功しました。
そして、ハガネイカはジャッ爺が用意した電撃の天井に押しつけられました。
ばりばりばり、と激しい雷光と轟音が響きます。
このダメージで捕獲判定――は、おそらく無理でしょう。ジャッ爺が電撃の強さを調整しているはずです。
それでも。
十分に時間は作れました。
「玖郎くん、走ります!」
宣言とともに、屋上から中央階段への扉に向かって飛び出します。
飛び出そうとしました。
「瑠璃――!」
玖郎くんの声か聞こえ、私は――玖郎くんに抱きしめられていました。
私と玖郎くんは背の高さはほとんど変わりません。それでも、しっかりと抱きしめられると、私の方が小さいんだと意識してしまいます。
抱きしめ――?
え。
ええ?
これは、つまりどういうことでしょう。私は、こういう場合どうすれば――。
と、そんな風に混乱していたのは、実は一瞬だけでした。
私は、玖郎くんが抱きしめてくれたそのままの姿勢で、屋上の床に叩きつけられました。
一瞬の後、ハガネイカが地響きを立てて屋上の床に衝突しました。
金属とコンクリートが立てる轟音に、思わず身をすくめてしまいます。
「瑠璃、怪我はないか」
「ええ、その、大丈夫です」
玖郎くんが下になって倒れてくれたので、ケガはないのですが。ちょっと冷静にならないと、状況が全く把握できません。
私は、玖郎くんの上に倒れ込んだ状態から体を起こして、立ち上がりました。
「電撃から逃げようと、ハガネイカが無理やり水の流れから逃げ出したんだ。勢い余って、吹っ飛んできた、というところだな」
同じように立ち上がりながら、玖郎くんが言った。
「そして、次の手がなくなった」
玖郎くんが指差す先で、ハガネイカがビクビクと痙攣しています。電撃の影響が残っているのでしょう。時間を稼ぐという目的は、これ以上ないほど成功しています。
けれど。
ああ、ダメです。
その場所はいけません。
ハガネイカは、屋上の唯一の出口、中央階段へと続く扉を塞ぐように倒れているのです。
「あ、では、後少しで、私は下敷きになって大怪我をするところだった、ということですか」
ようやく理解がそこまで及びました。
別のことに頭が一杯になっていたせいで、紙一重で命の危険をくぐり抜けたという現実感がほとんどありません。
「そうだ。だが、考えるべきは次の一手だ。僕たちには水がない。補給もできない。ハガネイカが墜落した音で、茜と珊瑚も屋上に気づくだろう」
万事休す、です。
防御の手段もない今、ハガネイカが麻痺して動けない状況は不幸中の幸いです。
トライアルの勝敗を気にするより、身の安全のために茜達に早く来てもらう必要があるでしょう。
次の一手がない以上、この〈試練〉は――負け、なのでしょう。
それは、とっても悔しい――。
「――こんなものか」
玖郎くんが呟きました。
私の思考は、その声に中断されました。
聞いたことのない声色でした。
「何が、天才少年だ」
その声色とその言葉に、私は思わず玖郎くんの顔を見てしまいます。
その表情は普段と変わらず冷静で――いえ、よく見れば、唇は固く引き結ばれ、奥歯をかみしめながら絞り出すように言葉を紡いでいます。
顔色も青ざめて見えます。
「全力を尽くしたか。あらゆることを考えたか。全ての可能性に対処したか。――その結果が、これか」
玖郎くんは、私の反応を待たずに続けます。
「瑠璃はあと一瞬遅ければ、大怪我をするところだった。命だって危なかった。このままでは〈試練〉に負けてしまう。水の補給はない。ああ、一つ手があるがこれは下策だ。これまで築いたものを全て無駄にして現状を打開するか。この一勝を得る価値が、協力者という利点を捨てることに見合うか。くっ、それすら判断できない。分からない。足りない。こんな――こんなものか」
そして、玖郎くんは、忌々しげに言った。
静かに、低く押さえた言葉で――それでも、確かにそれは、心の底からの叫びでした。
「僕は、全然――ダメだ」
ぶつっ。
玖郎くんの叫びと、脈絡なく耳に届いたその『雑音』が同時でした。
「は――?」
「え?」
玖郎くんと私は、同時に疑問の声を上げました。
そして、お互いの声を聞いて、それが『二重に聞こえていない』ことに気がつきます。
その直前まで、直接聞こえる声と、スマートフォンにつながったイヤホンから聞こえる声が、ほんのわずかな時差で二重に聞こえていました。
それが、先程の『ぶつっ』という雑音とともになくなったのです。
ああ、そこでようやく、何が起こったのか理解しました。
「このタイミングで電池切れか?」
そう、通話状態を続けていた電話が切れたのです。
玖郎くんがそう言いながらスマートフォンを取り出し、画面を確認して疑問の声をあげます。
「は? 圏外? いままで問題なく通話できていたのに」
――瞬間。
ピリリ、ピリリ、ピリリ、と場違いな音が響き始めました。
「え?」
あまりの唐突さに、思考が切り替わりません。
玖郎くんのスマートフォンが、着信を知らせて鳴っているのです。
「あ、ああ。そういうことか」
そして、玖郎くんが言いました。
「悪い魔女からの電話だ」
【玖郎】
「悪い魔女からの電話だ」
僕はそう言いながら、いつか母さんに言われた言葉を思い出していた。『私からの電話には最優先で出なさいよ』と。
まったく。
どんな魔法をつかったんだ。
少なくとも僕には、通話中のスマートフォンの回線を圏外にすることで無理矢理切断し、『マナーモードに設定している』状態のベルを鳴らすなんてことを実現する手段が思い浮かばない。
ここまでされたら、その電話に出ないわけにいかないじゃないか。
「母さん?」
電話の先で母さんは、ふふ、と笑った。
『ちゃんと出たわわね。手短に、要点だけ話すわね。玖郎、あなた水が必要でしょ?』
は?
はは。
驚くよりも納得が先に来てしまう。なんだ、ぜんぶお見通しか。
『お父さんのウィンドブレーカーを持ち出したり、そのポケットにペットボトルを忍ばせたりすれば、なんとなく分かるわ。瑠璃ちゃんと、何か厄介事に関わっている、そうでしょ?』
母さんは、こちらの相槌を待たずに続けた。
『厄介事の内容は――サバイバルゲームね』
「……は?」
『なんと言っても小学生だからね。危ないことはして欲しくないけど、BB弾やペイント弾を使わずに、水鉄砲を使っている部分だけは評価できるわね』
それは違う。
真実ではない。
でも、もしかしたら母さんは分かった上で、わざわざ現実的な話をしてくれているのかもしれない。
魔法を使って戦っているという非現実的な話ではなく、地に足の着いた状況だと仮定して話すつもり、そういうことだろうか。
『あなたが真剣になってるからね。そこそこ戦略的で、瑠璃ちゃんとあなたにとって意味のあるゲームなんでしょ。瑠璃ちゃんが留学しているのも、そのあたりと関係しているのかもしれないわね。まあ、詳しい話は、玖郎が話してくれる気になった時で良いわ』
真剣に。
真剣になっていると。
この僕が。
この非現実的な。
魔法だなんて馬鹿げた。
それでいて確かに存在する、この現実で。
この王位継承試験で。
瑠璃と一緒に立っているこの場所で――真剣になっている、と。
そうか。
そうだったのか。
『玖郎、あなた今どこにいるの?』
「どこ、って椎名小学校の屋上だけど――って、おいおい」
まさか、細かい位置も分からずにスマートフォンを圏外にしたのか? ということは――どれだけ広範囲に人を巻き込んだんだ?
『屋上? それはナイスね。屋上の扉の反対側、電波塔の土台の陰に、補給物資が置いてあるわ。一リットルね』
理解が追いつかない。
言葉は確かに聞こえているけど、即座に意味を伝えてくれない。
あまりのことに言葉がでないとはこのことだった。
僕は、ふらふらと母さんの言った電波塔の土台まで歩いていった。
「玖郎くん――?」
怪訝そうに僕を見ている瑠璃が、そう声をかけてくるが、それがなんだかとても遠くに感じる。
母さんの言った位置に回り込み――そして確認した。
目立たないように置かれた、水を満タンに詰め込んだ、ペットボトルを。
「まいったな。いや、助かるよ。ありがとう」
『あら、玖郎から素直にありがとうが聞けるなんて、珍しいこともあるのね』
母さんの声に笑みが混じった。
皮肉とも、茶化すものとも違う、優しい声色だ。
『話は終わり。玖郎、あなたのことだから大丈夫だとは思うけど、しっかりね。瑠璃ちゃんを、守るんでしょ?』
はは、まったく。
どこまで状況をわかっているんだか。
確かに、直前までの僕はダメだった。
無意味に自分を責めたり、後悔したり、悲観したり、追い詰めたりして、全然ダメだった。
思考が停止していた。
でも。
それでも、何とか踏みとどまれる。
母さんが助けてくれたから。
それに。
――見ると、瑠璃が心配そうな目で、それでも揺るがない信頼を持って、僕を見つめてくれている。
ああ、そうだ。
自分を差し出すとまで言った瑠璃に、僕はまだ応えられていない。
助けると、約束したのだ。
そう。
もう、大丈夫。
『それから、最後に一つ』
「ああ」
自分の頭が高速に回転を始めるのを感じながら、僕は電話の向うの母さんの言葉に耳を貸す。
打開策の考案と母さんとの電話、それくらいの並列処理は大した負荷ではない。
母さんは言った。
『熟考の末決めたわ。メイド服で撮影会にします。ひゃっほい! 厳選されたポーズでデジタルな写真を二十四枚ほど撮――』
無言で、電話を切った。
さて。
まずは、状況の分析だ。
ハガネイカは、その金属の体の通電率がよほどよかったのか、屋上に落ちて倒れたままだ。電撃の後遺症と思われる痙攣を続けていて、飛ぶことはおろか、体を起こすこともできていない。
勝利条件は捕獲。もしくは、捕獲相当と判定されるまで魔法の攻撃でダメージを与えること。
場所は椎名小学校の屋上、移動はできない。
時間制限もある。ハガネイカが回復するまでに行動する必要があるし、茜達が駆けつけて来ればほぼ負けが確定する。
わずかだが、水はある。
悪い魔女からの――母さんからのプレゼントだ。
たった一リットル。
防御に使うには少なく、攻撃に使うにも――恐らく一撃しかできないだろう。
この状況で、目的のために、最大限の効果を得ようとするならば――。
「条件は整った。あとは思考通りに実行するだけだ」




