静寂
元の湖に戻って早々、昏は紗由理に説教していた。
「どうして急にこんなとこに行っちゃったの? しかも裸足で、怪我したら危ないでしょ! いつも大事なこと黙っているから心配なんだよ! 辛かったり悩んだりしていることがあるならちゃんと話してってこの前も言ったじゃん!」
「いや、悪いなとは思ってるよ。ちゃんと話すからお願いだから聞いて」
「もう......」
昏はムスッとした顔をした。
智也もまた真剣な表情をしていた。
「僕からも、聞きたいことがあります」
「......智也くんは、どこまでを知っているの?」
「.......魔物に詳しい人に話を聞いて、それで、確信は無いですけど、紗由理さんが隠していることがわかった気がしています」
一呼吸間を開けて、智也は言った。
「紗由理さんは、人間と魔物の"混血"なんじゃないですか?」
紗由理は長い沈黙の後、観念したように頷いた。
「............そうだよ。私は、人間とグールの混血だよ」
「お姉ちゃんが、混血......?」
「そう......私の体の半分は魔物。姿形は完全に人間だけどね......怖くない?」
「怖いわけないよ! お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん!」
昏は紗由理の目を真っ直ぐ見つめて、本心からの言葉を話していた。
智也も紗由理に言った。
「そうですよ。こんだけ長く過ごして来たんですから、今更怖がりませんよ」
「......ありがとう」
紗由理はあっさりと受け入れられたことに拍子抜けしたのか、笑った。
「と言っても、児童養護施設に来る前の記憶はあまり無いんだ。夢で見ることはある気がするんだけど、断片的で覚えていない」
「お姉ちゃんの本当の両親は、どうなったの?」
「......多分、死んでいると思う。確か、グールとこの樹海で過ごしていたんだけど、魔術師が来て、グールは倒されて、私を人だと誤解した魔術師が児童養護施設に連れて行った気がする」
三人の間に沈黙が流れた。
「でも、私にとって本当の家族は二条家だけだよ。だから、気にしないで」
智也が尋ねた。
「どうして、ここに来たんですか?」
紗由理は今朝のニュースでやっていて白骨遺体がグールによって食べられた人間だと思った。
そう思った瞬間、過去の記憶が強く想起されて現実の光景と過去の光景が混同し、無遊病に近い状態で歩いていた。
そして、この場所に着いてから湖の封印に気づき、近づいたところ先ほどの化け物の異空間に取り込まれ、今に至る。
「......昔のことは、もう忘れよう。お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから。とりあえず、帰ろう!」
昏は紗由理を元気づけるためか、いつもより快活な声で言った。
智也はゲートを造るために詠唱を始めた。ゲートを造るには数分はかかる。
昏が言った。
「そう言えば、お姉ちゃんってゲートを使えたんだね。適正のある人が少ないって聞いたことがあっあけど、意外と多いなって思って」
すると紗由理は困惑したような表情をした。
「何を言っているの? 私はゲートを使えないよ」
昏はその言葉で目を見開いた。
その刹那、紗由理の背後に突然、黒い影と共に一人の男が現れた。
「お姉ちゃん、危ない!」
昏が大きな声を発し、智也は紗由理の方を振り向いた。智也の目には謎の男が紗由理を連れ去る光景が見えた。
しかしながら、詠唱途中の魔術を切り上げれば、魔術が暴発する危険性がある。そんなことに構っていられないと思ったのか、智也は詠唱を中断して紗由理の方へ走った。
蒼い魔力を放ち、智也は一気に駆け出した。
昏もまた紗由理の元へ駆け出しており、必死な形相で紗由理に手を伸ばした。
紗由理は常人を逸脱した動きで、後ろ蹴りを背後にいる男に浴びせるが、男はそれを片手で止めた。
男は茶色のスーツ姿をしており、土で汚れた革靴を履いていた。ちょうどゲート付近にあった足跡と同じくらいの大きさだ。
そして、最も異質だったのは、その男の顔がハエだったことだ。
男の深緑色の複眼を近くで見ると、粒状の六角形がドーム状に集合しており、その複眼に映る紗由理の表情は恐怖で引きつっている。
智也は蒼い魔力を拳に込めてハエ男に拳を叩き込もうと近づくが、男に当たる直前で彼の動きが止まった。
先ほど詠唱していたゲートとの接続を完全に絶てず、ゲートの術式に引っ張られているのだ。智也はなおも力を込めるが、一向に届く気配は無い。
昏も紗由理に手を伸ばすが、ハエ男は紗由理を抱えたまま、背中に虫の羽を生やして飛び上がり、手の届かない木の上まで逃げた。
紗由理も必死に抵抗するが、常人を逸脱した力を持つ彼女の力をも凌駕するその男の力の前には無力で、拘束から逃れることはできなかった。
昏が怒りを露わにした声を出した。
「手を離せ!」
ハエ男は言葉を話した。
「君は、義理の妹さんでしたか、しかし、この女は私の主を復活させるために必要なので、回収させてもらいます」
昏は泣きそうな顔で必死に手を伸ばすが、届くはずもない。ハエ男は冷淡に笑うと魔導具で背後に小さなゲートを作った。
「待て......!」
ゲートの奥へと連れ去られるさなか、紗由理は涙を流しながらも、強がりな笑みを見せた。
「お姉ちゃんは大丈夫。いつか必ず、戻ってくるから」
そう言い残すと、紗由理は姿を消した。
それと同時に、ゲートの魔術が暴走して空間に人一人分くらいの穴が空いた。智也はその穴に吸われて、地面にしがみつくが、ジワジワと穴の方に吸い寄せられている。
昏は急いで智也の腕を掴んで引っ張るが、無意味だった。二人が空間の穴に吸い込まれると穴は閉じてその場には静寂のみが残った──




