歪な空
千年前、全ての魔人は英雄によって滅ぼされた。しかし、魔人たちは完全に滅ぼされる前に自身の魂を分け与えた人間を逃した。
魔人という人間を超越した存在から力を分け与えられた者達はやがて肉体が変貌し、その精神までも歪めてしまった。
その力を分け与えられた者達の子孫、それこそが"亜人"だ。亜人の魂には魔人の力が宿っており、特殊な儀式と多くの亜人を贄にすることによって魔人を復活させることができる。
ゴブリプスは魔術師の家で読んだその魔導書の内容を見て自身が始祖である魔人を復活させることにした。目先の欲望に駆られて一時は自らゴブリンの数を減らすこともあったが、彼はすぐに亜人の数を増やし、増えた亜人を贄に魔人の復活の儀式を行った。
しかし、その試みは不完全な成功に終わった。確かに魔人の精神と記憶を蘇らせることは出来たが、かつての強大な力までは蘇らせることが出来なかったのだ。
そんな時、ゴブリプス達の集落にある人間が訪れた。その人間はグリフィン=ヒューラー。智也の仇敵となる男だ。
グリフィンは魔物を発生させる装置の準備をしに来ていたのだが、その際にゴブリン達と接触して"魔人の復活"について知った。
魔物に狂った男がその話に興味を持たないはずが無く、男は魔人に対して交渉を持ちかけた。
魔人としての力を完全に取り戻す協力をする代わりに魔人復活の儀式について教えるというものだ。
魔人とゴブリプスはその条件を呑み、準備を進めていた──
◇◇◆◆◇◇
ゴブリンの集落にて智也は青い狼の怪物と対峙している。しかしながら、それに攻撃をしても実体が無いのかすり抜けてしまうばかりでダメージすら与えることが出来ていない。
狼の怪物は理由は不明だが純也と智也に対して憎悪の感情を向けており、辺りには緊張感が満ちている。
突如として怪物の周囲が輝きを増し、そして怪物を中心に"歪"が波紋のように広まった。
智也はそれを何とか後方に避けた。
怪物の周囲にある地面や小さな家々が奇妙に湾曲し、砕け、引きちぎれていた。
(こいつには、今のところ勝ち筋は無い......それどころか、近づかれるだけで不味いだろうな......)智也は冷や汗をかいた。
その時、気絶していた純也が目覚めた。
「あれ、ここは......」純也は一瞬自分の状況が理解できずにいたが、先ほどの出来事を思い出してハッとしたような表情をした。
「悪い、寝てる場合じゃなかった!」純也は自らの足で立ち上がり、戦闘態勢をとった。
「純也、起きてよかった。早速で悪いけど、あの怪物はどうしたら消えるんだ?」智也は尋ねた。
「あの怪物は十数分もすれば消える。だけど、今の俺は半分くらいしか魔力が無いから、数分もたないかもしれない」と純也は言った。
「だったら、こうするしかないな!」智也は純也を持ち上げ、お姫様抱っこした。
「いや、どうしてそうなるんだ! 恥ずかしいからやめろ!」と純也が叫んだ。
「純也の魔力量だと身体強化が奴が消えるまで持たない。だから魔力に余裕のある僕が純也を抱えて逃げる」智也は言った。
「そもそろ、狙われているのは俺だけだ、智也が危険を冒す必要なんて無いんだ」と純也が真剣に言った。
「だからと言って、ここで純也を離すような、薄情な奴にはなりたくないんだ」智也は言った。
「......悪い、よろしく頼む。なんかあったら俺もサポートするぜ!」と純也が言った。
「おう!」
すると、怪物が突然停止し、不気味な咆哮を上げた。智也たちは耳を塞ぎ、周囲には激しい突風が起こった。
その空気を裂くような嫌な音が鳴り止んだ時、頭上に巨大な魔術陣が構築されていた。
「なんだ、あれ......あの怪物がこんなことするの初めてだ」と純也が驚嘆の声をもらした。
魔術陣からは青い霧の魔力が放たれ、ゆっくりではあるものの、追尾してくるようで避けることは困難だ。
加えて怪物も本体も攻撃を仕掛けてくるため距離を取ることができず、智也たちは苦戦を強いられることになった。
怪物の一撃を交わすだけで青い霧と鋭い爪の両方を意識せざるを得ず、体力と魔力がジリジリと削られ、極限の集中状態が長く続いた。
(智也がいて良かった。俺一人だったらこんな猛攻には耐えられなかった......)純也は素直に尊敬すると共に、無意識に唇を噛んでいた。
猛攻を耐え忍んでいたある時、怪物の周囲が青く輝き始めた。
(歪みの波が来る......! 絶対に避けないと!)智也は急いで距離を取ろうとするが、気づかぬうちに巧妙な罠にかかっていたようで、彼らの周囲を青い霧が取り囲んでいた。
逃げ道も上方にある僅かな隙間だけであり、空を跳ぼうにも、消耗した智也では頭上までは届かない。
智也は様々な思考を巡らせたが、どれも歪みの波動を避けられない。
(まずい、このままだと、純也にも......!)智也は一か八か頭上に跳ぶが、これでは間に合わない。
その時、純也が叫んだ。
「しっかり掴まれ、智也!」
智也は言われた通り純也のことをしっかりと掴むと、純也は通常の三倍ほどの黒い槍を顕現させ、それを霧の僅かな隙間の間に放った。
その黒い槍には智也が純也にくくりつけていた魔力糸が繋がっており、智也たちは槍に引っ張られるようにしてその青い霧の隙間を通り抜けた。
「助かった、ありがとう純也!」智也は言った。
「お互い様だろ。それに......まだ終わってない」純也は言った。
青い狼は虹色の目をこちらに向け、憎しみに満ちた様子でこちらを睨んでいる。
その時、智也には声が聞こえた。
頭に直接響いてくるような、奇妙で不快な感覚の声だった。そしてそれは憎悪で震えているようで、低く唸るような声だ。
「咎人には死を、悪を滅ぼせ、なぜ守る? なぜ生かす? 生かす意味はあるのか?」その声は怒りをぶつけるように言った。
「なんの話だ? 純也のことを言っているのか?」智也は言った。
純也は智也が独り言を言っているように見え、不思議そうな顔をした。
「そうだ。答えろ。なぜ守る? 貴様の覚悟は、正義は.......憎悪は、そんなものだったのか?」憎しみに震える声は言った。
その声は、智也では無く、別の誰かに向けられた問いのように感じた。
「どうしてお前が、そんことを訊いてくるのかはわからない、でも僕がそれに答えるとしたら、理由は一つ、純也に死んでほしく無いからだ」智也は言った。
「傲慢で、愚かことだ。貴様は人を助けられると、本気で思っているのか?」
「思っている。僕は、今度こそ、みんなを救ってみせる」智也は、はっきりと答えた。
(今度こそ......?)純也は智也の言葉に疑問を感じた。
「自惚れるな、貴様には誰も救えない。その愚かな考えは間違いであったと、今ここで証明してやろう」怪物は雄叫びをあげてこちらへと駆け出した。
怪物は純也の瞳を睨みつけた。その瞬間、純也の体が鉛のように重くなって動かなくなった。まるで、その場に釘付けにされるような恐怖をそのまま流し込まれたかのようだった。
怪物は鋭い爪を振り上げ、それを勢いよく振り下ろした。その刹那、智也は無意識のうちに魔術を発動させた。
その魔術は『流刃』であり、右手に纏っているその術式が普段よりも数段強い蒼い光を放っている。
智也は理解していた。この怪物には攻撃は通用しない、ということを。蒼白の化け物がそうであったように、物理でも魔術でも、その攻撃は怪物の体を透過してしまい、ダメージを与えることは不可能だ。
しかし、智也は直感的にその蒼い刃を怪物に向けて振るった。確信は無かったが、その刃は怪物に届くと、智也はそう感じたのだ。
「流刃・蒼紅葉」
智也の放った蒼い刃は攻撃が透過するはずの怪物の爪と接触した。それには確かな手応えがあり、体を透過することも無かった。確実に蒼い刃と怪物の体が衝突し、力が拮抗しているのだ。
蒼と青の魔力が周囲に散った。
蒼い紅葉のような魔力が火花のように舞い、青い閃光が空を切り裂くようにほとばしった。
両者は雄叫びをあげ、全身全霊の力で押し合った。周辺には激しい突風が吹き荒れ、周囲の砂や石が吹き飛んでいく。
「貴様に救える者などいない! 邪魔をするな!」唸るような声が頭に響いた。
「やってみないと、わからないだろう! 僕は、自分を信じる。なんと言われようが、自分なら、みんな助けられるって、信じ続ける!」智也は蒼い刃に全力で魔力を込めた。
その瞬間、蒼と黒の魔力の濁流が昇る滝のように溢れ出した。
「この気配......そうか......!」
怪物の爪が溶かされるように先端から削れていき、やがて亀裂が入り砕けた。そして蒼い刃はその勢いのまま怪物の体を斜めに一刀両断した。
「.......!」怪物は驚嘆した様子で智也を虹色の瞳で見た。
ダメージを負った怪物はだんだんと薄くなり始め、消えていることがわかった。
「貴様は、選択を誤った......しかし、どうやら、全てを間違ったわけでは無いようだ」怪物は一瞬、笑ったように見えた。
青き呪狼は夜の闇に溶け込むように消えていった──




