絶望の音色
月の神との戦いから一日経った頃、朝霧は腕を治すためにチベットの回復魔術師チェテンの元を訪れた。とある山中に一軒ポツンとたたずむ小さな家が彼女のいる場所である。
チェテンは御年百八十歳の老人で、欠損部位を再生するレベルの極めて高度な魔術を使用することができる。彼女は自身の魔術で寿命を伸ばしているが、その魔術でも老いには勝てず近頃はときたま寝込む時もある。
家の前で朝霧がチェテンの名を呼ぶと、中から一人の老人が現れた。その老人こそがチェテンである。
「朝霧......おまえ、来るのが早すぎるだろう。数日前に来た時に回復魔導具もやっただろうに......」とチェテンはため息をついて言った。
「すいませんね、それもう使い切っちゃったんですよ」朝霧は笑って言った。
「はあ......入りな」
チェテンに言われ、朝霧は中へと入った。
家の中には様々な薬草、他にも何かの生物の角のようなもの、そして紙に描かれた魔術陣が壁を覆っている。
「......お前、魔法を使ったな?」チェテンが怖い顔で言った。
「......相手が強くてね、使わざるを得なかったんですよ」朝霧は言った。
「ことの重大さをわかってねえな。お前の魔法は身体への負担がでかいうえに、神の眷属にまた一歩近づいちまったんだ......まあ、相手もそれだけの強者だったんだろうが、あまり無茶はするなよ」チェテンが背を向けながら心配そうに言った。
「......わかってますよ」朝霧が言った。
チェテンは準備を終えると朝霧に向けて手をかざし、長い術式を唱え始めた。そして数十秒後、緑色の魔術陣が空中に展開され、そこから優しい光が放たれた。
すると朝霧の腕がみるみるうちに治っていった。無くなった左腕が骨、筋繊維、皮膚ごと新しく生え、焼けこげた右腕も治った。
しかし右腕は完全に治った訳ではなく、火傷の痕も少し残っており、右手の甲にある紋章の熱が魔法を使う前よりも上がっている──
「ありがとうございます」朝霧は感謝を述べた。
「へえ、疲れた......その火傷を完全に治すのは難しかった。おそらくは眷属化による肉体の変貌の影響だろうな。あとニ、三度魔法を使えば全身火傷になって、本当に眷属になるかもな」とチェテンが少し怒ったように言った。
「そうですか......」
「そんじゃあな、しばらくは顔を見せんなよ。怪我はしないのが一番なんだからな」チェテンは言った。
「それはわからないですね、何たって、第三の厄災が迫っていますから」朝霧が言った。
「......厄災か、いつどこで何が起こるかもわからない、極めて曖昧な予言を信じなければならないとはね.......」チェテンがため息をついていった。
「まあ、そうですね。第三の厄災は予言の神が伝えた【沈黙の黄昏】という名称しかわからない」朝霧が残念そうに言った。
チェテンは少し黙った後、唐突に言った。
「......なあ朝霧、お前にならワシの回復魔術教えてやってもいいぞ」チェテンが言った。
「唐突にどうしたんです? あなたは自身の魔術を徹底的に外部に漏れないようにしていたじゃないですか」
「まあワシの魔術は悪用されると困るからな、外部に漏れないように細心の注意を払ってきた。だがな、厄災の対処にワシの魔術は必要になるだろうし、ワシも老い先短い身になって少し思うところがあるんだよ」とチェテンはつり目で言った。
「思うところとは、何ですか?」朝霧が尋ねた。
「......お前とも長い付き合いだからな、ワシはお前さんを信用している。それに魔術を後世に残したいって気持ちもある。だがな、それ以上に朝霧、お前のことが心配なんだ」
チェテンがそう言ったので、朝霧は聞き返した。
「心配? 私をですか?」
「ああそうだ。お前はまだ生き続ける。きっとワシなんかよりも遥かに長い時間だ。だがお前ならワシの魔術を改良もできるだろうし、お前と同じくらい長生きできる魔術を作れるかもしれない。だからこそ、ワシの魔術をお前に託したいんだ」チェテンは朝霧の目を見て言った。
「......それなら、今はいりません。チェテンさんが亡くなってから貰います」朝霧は言った。
「......なぜだ?」
「だって、チェテンさんは回復魔術に生涯をかけてきた人ですから、魔術を教えたら一気に老け込みそうですもん。もう少しだけ生きていて欲しいですからね、今は教わりません」朝霧は言った。
「そうか............じゃあ、ちゃんと遺書に魔術を描き込んでおかないとな」チェテンが笑って言った。
「......長生きしてくださいよ。私より長生きしている人なんてもういないんですから」朝霧が呟いた。
「当たり前だよ」とチェテンが言った──
◇◇◆◆◇◇
それから二日後、智也と朝霧は魔術連本部に招集されていた。月の神の事件の報告をするためとのことだ。
以前智也は本部に来たことがあったが、今日はその日とは違い本部の地下へと向かった。
エレベーターで地下へと降り、少し歩くとそこには巨大な石像があった。その石像は人の姿をしているが顔にはパーツが無くのっぺりとしている。
「この石像、一体何ですか?」智也は尋ねた。
「これは予言の神を模した石像だよ。予言の神は世界で最も美しい見た目とされるから、表現できないものとして顔には何も彫られていないんだ」と朝霧が答えた。
「な、なるほど......」
またしばらく歩いていると朝霧が突然立ち止まり「着いたよ」と言った。
しかし、その場所には何も無いため智也は不思議に思った。
「それじゃあ、頑張って試練を乗り越えてね」朝霧がそう言った次の瞬間、何も無かった場所が劇場のように様変わりし、美しいピアノの音色が聞こえた。周囲に朝霧はおらず、ピアノは見当たらない。
その音色は何かの曲を弾いているようだが聞いたことの無い曲だ。
智也はその曲に魅入られたようにボーッとその音色を聞いていた。すると突然、穏やかな局長から一変して激しく悲壮感を感じさせる曲調へと変わり、そして──
突然、智也の頭の中が真っ暗な絶望へと叩き落とされた。酷く悲しい、酷く寂しい、酷く感動している。
感情が激しく揺さぶられ、希望から絶望へと叩き落とされるような嫌な気分だった。
一瞬、智也は何かの記憶を思い出した。血溜まりの上に倒れる誰かの記憶だ。その時の感情を彼は思い出しかけたが、完全に思い出すことはできなかった。
(この曲、この空間、確実におかしい。試練って言ってたのはこれか......)智也は立ち上がり耳を塞いだ。それでもなお、不気味な音色は聞こえてくる。
(この音、頭に響いている。耳を塞ぐのは意味ないか......だとしたら、周囲を探ってこの音の元凶を止めるしか無い!)智也は魔力を身体強化で視力を上げて周囲を見渡した。
そして、異質な魔力を放つ古びた楽譜があるのを見つけた。
智也はこの音の元凶であろうその楽譜に近づき『流刃』でそれを切断した。すると耳障りな絶叫と共にその楽譜は消滅した──
気づくと、智也は朝霧の隣りに座っていた。周囲は先程の無人の劇場とは違い、人型の白っぽい幽霊のようなものが席を埋めている。
「無事に試練は突破したようだね」と朝霧が言った。
その時、劇場全体に不気味な声が響いた。壊れかけのラジオのような声だ。
「お二人とも、ようこそいらっしゃいました。男性の方とは初対面ですのでまずは名乗っておきましょう。私は『永遠の旋律』こと【音の神 リディアロス】以後お見知り置きを!」
次回は十二月後半になると思います。




