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世話係のヨハンナ  作者: 柏木椎菜
12/16

十二話

「あの……」

 ビクトールの朝食後、二階へ行こうとしてた彼の背中を私は呼び止めた。

「ん、何?」

 振り返ったビクトールに近付いて、買ったばかりの本を差し出す。

「これ……読み終わったから、貸そうと思って……」

 表紙を見たビクトールは思い出したように笑顔になった。

「ああ、これ……読み終えたのか。どう? 面白かった?」

「ええ。すごく。今日から読む続きが楽しみです」

 言って私は手に持つ二巻を見せた。

「そうか。そう言うのなら期待できそうだ。じゃあ二階でじっくり読ませてもらうよ」

 そう言いながら本を撫でて見つめてたビクトールだったけど、その手をふと止めて怪訝な表情を浮かべた。

「……どうか、しましたか?」

 考えるように本を見つめてた目は、やがてこっちを見て聞いてきた。

「もしかしてこれ、ヨハンナが読んでいた本とは違うものか?」

「え? 同じ内容の本ですけど……」

「いや、そういう意味じゃなく……本自体が、新しくなっていないか?」

 驚いた。本を汚してからビクトールは、私の持つ本は見ても触れてもないはずなのに、こんな瞬時に別の本だとわかるなんて……。

「一度君の本を手に取ったことがあるが、あの本よりも表紙や中の紙が綺麗に見える。ほとんど人の手に触れられていない感じだ……まさか、私のためにわざわざ買い直してくれたのか?」

「そ、その、新しく買ったのには、理由があって……実は、元の本は、水溜まりに落としてしまって、最初のほうのページが読めなくなっちゃったんです。だから、買い直す必要が……」

「つまり、私のためってわけだな……本当に真面目で優しいな、君は」

 ビクトールは少し呆れたような笑顔を浮かべる。

「汚れてしまったのなら、そう言ってくれればよかったものを。私はそんな汚れぐらい気にせず読める」

「でも、インクが滲んで、冒頭が読めない状態だったんです。それだと、物語に入り込めないから……」

 これに目をしばたたかせたビクトールは、今度は苦笑いを見せて言った。

「私のためというのは勘違いだったか。君は物語を最初から最後まで、きっちり読んでもらいたいがために買った……私じゃなく、本の正確な評価のためだったわけか」

「そんなことまで、考えてません。私はただ、あなたにちゃんと、不満なく読んでもらいたくて……」

 そういう意味じゃ、やっぱりビクトールのために買ったことになるけど……。

「ありがとう。その思いやりはとても嬉しいよ。だが一言教えてくれたら買わせることはなかったのに……こういう本はそれなりに高いだろ? 若い君にとっては尚更のはずだ」

「き、気にしないでください。これ、売れ残りだったんで、安めに買えたんです」

 それでも全財産の大半は消えちゃったけど……。

「そういうわけにはいかない。私との約束が本を買わせたようなものなんだし……そうだ。これは私が買ったことにしよう。私が頼み、君に買ってもらったものだと」

「え、でも……」

「毎月支給されている費用から、本の代金を取っておいてくれ。それでいいかな」

「できません、そんなこと……」

 だって私が勝手に買い直した本だから、迷惑かけるような真似は――

「気が引けてしまうか? じゃあ……プレゼントだと思ってくれ。毎日私の世話をしてくれる君へ、感謝のしるしとして。どうだろ……?」

 笑った水色の目が私に聞いてくる。

「感謝をするなら、こっちのほうです。こんな私によくしてくれて、いろいろな助言まで……その本、私がプレゼントします。読み終えたから、しばらく読むことはないし……」

「大事な本を貰うことはできないよ。私は借りられるだけで十分だ。何度も読みたくなる本なら、その都度君にお願いする。だからこれは君の本にしておいてくれ。私の、感謝の気持ちだ」

 ビクトールは自分のせいで出費させたと思ってるのか、どうしても本をプレゼントにしたいようで、本の代金を受け取ってほしいと何度も言ってきた。私はそれを何度も断ったけど、折れる様子のない彼に私のほうが先に折れて、結局受け取ることを承諾するしかなかった。じゃないとこのやり取りはいつまでも終わらない気がしたから。でも私は代金を受け取るつもりはさらさらない。初めから出費を覚悟して買ったんだから後悔はない。だから受け取る理由もない。ビクトールがちゃんと読めて、物語を楽しめれば、それが私にとって何よりの嬉しいプレゼントになるはずだ。

 昼食を終えた午後、私はいつも通り裏庭のベンチに座って、続編の新たな物語に没頭してた。数ページ読み進めたところで、少し集中力が切れたのを感じて、私は一旦本を閉じて身体を動かそうと居間へ戻った。ついでに水でも飲もうかと思った時、ふらりとやって来たビクトールが私に声をかけた。

「……ヨハンナ、休憩か?」

「ええ。ずっと同じ姿勢で読んでると、身体が痛くなっちゃうんで。……小腹でも空きましたか? 何か作って――」

「いや、そうじゃないんだが……」

 ビクトールは迷う素振りで、玄関側の窓の外を気にしながら言った。

「ところで、門番は、真面目に働いているか?」

 珍しい質問に、私は怪訝に感じながらも答えた。

「だと、思いますけど。朝も、ちゃんと門の前にいたし……」

 正直、どういうことが真面目と言えるかわからないけど、少なくとも交代時間まで彼らは門の前に立ち、あるいは門に寄りかかって道を行く人に目を光らせてる様子はある。でも私はずっと見てるわけじゃないから、見てない時はどうしてるかわからないけど……。

「何か、門番が気になるんですか?」

「まあ……数日前に、誰かと立ち話している姿を見かけてね……」

「立ち話ぐらい、するんじゃないですか? 知り合いでも通りかかれば」

「もちろん、単なる知り合いならいいが、私からはその相手の顔が見えなかった……以前に見かけた、本土のやからだとしたら、少々気がかりだと思ってね」

「嫌がらせをしに来たっていう人達、ですか? そう言えば、あれから危険な目には遭ってませんか? 物を壊されたりとか、侵入しようとする跡があったりとか……」

「幸い、そういったことはまだないよ。だが警戒は常にしておくべきだと思っている。そこで……一つ、頼みが……」

 ビクトールは言いづらそうに、こっちをちらと見る。

「何ですか? 遠慮なんてしないでください」

 これにビクトールは金色の頭をポリポリかきながら言う。

「今日は日曜で、君を休みにしたのは私だ。休日にくつろいでいる君に、やはり頼み事をするわけには……また平日の時に――」

「そんなこと構いません。もし心配するやからだったら身の危険があるかもしれないんです。気になるなら早めに動かないと。言ってください。何ですか?」

 私の言葉に、ビクトールは微笑みを浮かべた。

「ありがとう……それじゃあ、一つ頼みたい」

 言って真面目な目が私を見た。

「門番が最近、誰と話していたのか、私のことは出さずに聞いてほしい。もしその相手にやからの可能性があれば、話の内容も聞き出してほしい。だが難しいと感じたのなら無理に聞く必要はない。君が怪しまれて、危険に巻き込まれないとは言えないからね。なるべく自然に、まずは話し相手を特定してほしい」

「わかりました。怪しまれないよう、それとなく聞き出せばいいんですね……お安いご用です。じゃあ、聞いてきます」

「ああ、頼む……」

 どこか心配そうな顔のビクトールに見送られて、私は早速外へ出た。

 眩しい太陽に目を細めて、涼しい風が流れる前庭に行く。そこを過ぎて塀が立つ入り口に着けば、腕を組んで暇そうに遠くを眺める普段通りの門番がいた。この人は私が最初にここへ来た時にいた門番で、名前はオットさん。よく話すわけじゃないけど、他の門番よりはよく声をかけてくれて、比較的話しやすい空気はある。

「お疲れ様です」

 横から声をかけると、オットさんはビクッと驚いたように振り向いたけど、私を見てすぐに笑顔になった。

「おお、ヨハンナか。驚かせるな。……何だ、用事でも言い付けられて出かけるのか?」

 オットさんを含めて門番は、私が日曜に休んでることを知らない。だから今日も普段通りにビクトールの世話をしてると思ってる。

「いえ、今は休憩中で……ちょっと外の空気を吸いに来たついでに、オットさんに声をかけてみただけです」

「そうかい。まあ確かに、罪人と家で二人きりなんて息が詰まるよな。本当にあんたも大変だな」

「オットさんこそ、ここでずっと立ってなきゃいけないんですから、それも大変でしょ?」

「朝から晩まで世話してるそっちよりはましだよ。俺は数時間すりゃ交代できるから。……そういや最近、帰る時間早くないか? 前はもっと遅かった気がするが……」

「あ、そ、それは……仕事に慣れてきて、私の要領がよくなったんで、早めに帰れるようになったんです」

「へえ、罪人に追い出されたわけじゃなかったか」

「違いますよ。そんなわけないじゃないですか」

 ある意味、そうとも言えなくはないけど……。

「あ、そうだ、何日か前、ここで誰かと話してましたよね? 窓から見えたんですけど……」

「ん? ああ……たまにな。顔見知りが通ったりするからな」

 そう言ったオットさんの表情の変化を私は見逃さなかった。笑顔でしゃべってた顔に、わずかだけ引きつるような硬さが見えた――緊張か、警戒をしてる?

「知らない人に、話しかけられたりって、ありましたか……?」

「知らないやつに、か? うーん……」

 オットさんはなぜだか急に口ごもった。そうしながら私を探るような目で見てくる――この反応、どう受け取ればいいのか。

「……逆に聞くが、ヨハンナはあるのか? 最近、話しかけられたこと」

「え? 私……?」

 どうしよう。ないって正直に言うのは簡単だけど、オットさんは何か期待してる雰囲気がある……となると、ここは嘘でもあるって答えたほうがいいのかな……。

「……あ、あります。知らない人に、突然話しかけられました。み、道端で……」

 これにオットさんの目が見開いた。

「そいつ、島じゃ見ない男だったか?」

 これはいい反応、なのか? 一応話を合わせておこう――

「ええ。見たことない人でした」

「こう、目付きが鋭くて、妙に落ち着いたやつだった?」

「そ、その通りです。目付きがこんなで、身振りもしゃべり方も落ち着いた人でした」

「そうか……俺とヨハンナは同じやつに話しかけられたみたいだな。じゃあ――」

 オットさんの真っすぐな眼差しが私をとらえる。

「金の話も、されたか?」

 お金の話? 何のことだかさっぱりわからないけど、合わせてしまった話なら最後まで合わせるしかない。

「……さ、されました。お金の、話」

「で、引き受けたのか?」

 引き受ける……? どういうことだろう……答え方がわからない場合は――

「……オットさんは、引き受けたんですか?」

 聞き返すと、オットさんは頭を揺らしながら悩む様子を見せた。

「いやあ、まだ引き受けてないが……悩むところだな」

「わ、私も、引き受けるまでには……。悩みますよね」

「聞いたところじゃ、シュタイガーとカーベルクは話を引き受けたんだと。大金貰えるからな……俺も、またやつに会ったら、引き受けちまうかもな」

 シュタイガーさんとカーベルクさんは、同じ門番をしてる人だ。つまりその三人は同じ話を持ちかけられて、そのうち二人は引き受けたらしい。その理由は貰える大金――私が思うに、その話を持ちかけた人物は、多分、本土から来たあのやからだろう。オットさんも島じゃ見ない男だって言ったし。そうだとして、その男は門番をお金で釣ってどんな話をしたのか……そこは絶対に聞き出さなきゃ。

「お金は、魅力的ですからね……でも、あの人は何で私達に、こんな話をしたんでしょうね……」

「さあな。夜は門番の仕事を休めだなんて、明らかに怪しいが――」

 門番を、休め? しかも夜だけ……何それ?

「そっちはどう言われた? 最近帰りが早いのは、あいつに言われたせいかとも思ったが」

「え、ああ……じ、実は、そう、なんです。さっきは、言うべきかどうか、迷って……すみません」

 私は咄嗟に話を合わせ、笑ってごまかした。

「何だ、やっぱりそうだったのか。……あいつの目的は知らないが、ここを夜だけ人払いしたいってのはわかるな」

「人の目を、遠ざけたいってことですか? 一体、何で……」

「まあ、普通に考えりゃ、中の罪人に用があるんだろうさ。だが正面から入って会うことはできない。だから俺達を遠ざけて、こっそり会いたい……ってところか?」

「こっそり会って、どうするんでしょうか?」

「それは当人に聞いてみないことには……だが、用があるのは罪人だ。想像するなら、逃亡の手助け、とかか? だとしたら俺達の責任にされそうだな。今度あいつを見かけたら詳しく聞いてみるか……ヨハンナ? どうした?」

 呼ばれて私は思考の世界から引き戻された。

「……あ、いえ、少し、考えてしまって……」

「話を引き受けるかどうかか? 確かに、犯罪の片棒を担がされるかもしれないが、罪人をこの島から連れ出してくれるなら、そんなに悪いことでもないと思うんだよな。住民の中には、罪人が側にいることを怖がってるやつもいるから。俺達は責任を取らされるだろうが、牢にぶち込まれるほどじゃない。だったら金を貰って引き受けたほうが得とも思えるが――」

 オットさんは一人で自分の考えをしゃべってたけど、私にはそれを聞いてる余裕はなかった。話を聞いた感じ、やからは間違いなくビクトールに近付こうとしてる。それだけは確かだ。だけど多分、逃亡の手助けなんかじゃない。だってビクトールは嫌がらせをされてるって言ってたし、やからの背後にある正体に何か感付いてる様子だった。それも危険を覚えるぐらい……。知らないところで、よからぬことが起こり始めてる。早く彼に教えなきゃ……すごく、嫌な感じがする……。

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