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#09 王女とフェルゼッタ


 王女セリナは、平伏するフェルゼッタの前で、突如、血を吐いて昏倒した。


「ええええー! お、王女さまっ?」


 洞穴に響くフェルゼッタの驚声。

 それを耳にした同僚らが、何事かと、急いで駆けつけてくる。


「これはいかん――」

「頭は打ってないようだな。かねて聞いていた持病か」

「フェル嬢」

「はい」

「俺たちが殿下のお体に触れるのは、まずい気がする。きみが殿下を抱えて、上へあがってくれ。なるべくそっと、だぞ」

「わ、わかりました。そーっと、そーっと……」


 こんな状況ではあるが――フェルゼッタの目に、王女の姿は、昏倒してなお、黄金の燐光をまとった、小さくも燦爛たる女神のように映っていた。

 自分などが手で触れるのも、畏れ多い――そう思いつつ、慎重に慎重に、その身をそっと抱えあげる。


 羽毛のように軽い、と感じた。

 フェルゼッタの手に、かすかな体温が伝わる。


 黄金の滝のように輝く、さらさらな髪。

 閉ざされた瞼に、睫毛が驚くほど長い。


 ときおり小さな唇から洩れる、愛らしい息遣い。

 まさに、小さな至宝――。


 王女の身を地上へ搬出する間にも、フェルゼッタはたびたび、その白い美貌に見惚れて、夢でも見ているような心地にとらわれていた。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 ――その頃。地上の坑道口で待機していた侍医団は、先に搬出されていた負傷者らの手当てを行っていたが、そこへ、意識を失った王女セリナが、フェルゼッタに抱えられ、運び込まれてきた。


「またですか。無理をなさるから」

「だから言わぬことではない。もっと強くお諌めすべきだったのでは」

「近頃は安定していたのだが……」


 侍医団一同は、むしろ想定内といわんばかり、セリナの身を仮設ベッドへ横たえ、てきぱきと診察にかかる。


(また、って……)


 フェルゼッタは小首をかしげて、その様子を見守っていた。

 身体が弱いとは聞いていたが、そこまでとは――。


 さいわい、セリナの生命に別状はないらしく、半日も休めば意識は回復するだろう、とのこと。

 とはいえ当然、本日の視察は、ここで中止となった。足を挫いたハルケル子爵が、車椅子に乗って、どうにか随員一行を取りまとめ、鉱山事務所と連絡を取り合って、後処理にあたることとなった。


 また、現場監督のサイモンが負傷したため、第三坑道の作業自体も中止となった。第三坑道作業員は全員、仕事を切り上げ、事務所へ戻るよう指示が出された。

 その後。


 ……同僚らとともに、山麓行きの輸送馬車に揺られながら、フェルゼッタは、やや不安げな面持ちで、ひとり考えに沈んでいた。

 今日の出会いにより、フェルゼッタには、大きな宿題がのしかかっている。


(契約の話は、どうなるのかな。アタシをハンターにしてくれるって)


 ちくりと、胸が痛んだ。

 ガザリアのハンター組合に二年も所属し、まるで芽が出ないまま、とうとうクビになった。


 まだ、つい先日のことである。


(王女さまの組合にも、試験はあるのかな。だとしたら……)


 セリナ王女が、なにゆえ突然、自分を組合に勧誘してきたのか、フェルゼッタにはわからない。

 ただ、王女からは、大いに期待され、熱望すらされていた。それはフェルゼッタにもはっきりと伝わっていた。


 つい即答で王女の勧誘に応じたものの、後で冷静になってみると、そう無条件でハンターになれるわけがない。例の昇格試験が、またフェルゼッタの前に立ちはだかるはずである。


(アタシ、期待に応えられるかな……。また駄目だったら、どうしよう)


 ガザリアで失敗を重ね、フェルゼッタは自信を喪失している。

 押し寄せる不安。


 それでもなお、と――フェルゼッタは、ひとたび折れた心を、どうにか奮いたたせようとしている。


(この鉱山は、いい人たちばかり。仕事も楽しい。でも)


 今日、王女様との出会いによって、あらためて思い出した。

 一人前の魔物ハンターになることを目標として、懸命に生きてきた、これまでの日々を。


(やっぱりアタシは、ハンターになりたい)


 フェルゼッタは、一度は諦めかけた目標と、再び向き合おうと決めた。

 同僚らの話では、王女は近頃、西区画の離宮の敷地内に新しいハンター組合の本部を設けているという。


 明日、その本部へ行こう。王女様に会って詳しい話を聞かせていただこう――。

 セリナ王女の美しい姿を思い返して、フェルゼッタは、陶然と瞼を閉じた。


 ――明日また、元気なお姿が見られるといいな。


 と、心に呟きながら。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 山麓の事務所にて、作業の中止を言い渡されたフェルゼッタは、帰宅のため、再び輸送馬車に乗り、市街地へ向かう。

 事務員らの噂では、もうセリナ王女は早々に意識を取り戻しているとか――。


 そんな話に安堵しながら、市街の馬車駅にて下車し、そこから徒歩で公衆浴場へ向かう。フェルゼッタの日課だった。

 入浴後、そのまま市街へ。


 鉱山街として富み栄えているセントリスは、市街全域、石畳の舗装道路が整備され、街並みも洗練されていた。

 大通りには市場もあり、屋台や出店も多い。


 賑やかな市場の人混みをくぐり、フェルゼッタは馴染みの屋台を巡り歩く。

 ひと通りの買い物を済ませ、下宿への帰路につく頃には、もう日が暮れかかっていた。


 その下宿へさしかかる道である。

 フェルゼッタが見たこともないような、豪奢な四頭立ての白い大型馬車が、ゆっくりと通りかかったと見えるや、ひたとフェルゼッタの前に停まった。


 客車のドアが開く。

 優雅な身ごなしで、客車から降り立ったのは、誰あらんセリナ王女その人。


「フェルゼッタ。あなたを迎えに来ました。さあ、乗ってください」


 銀のティアラが燦爛と夕日に照り映え、目にも鮮やかな白いドレスが軽やかに風にひるがえる。

 白馬の王子ならぬ、白馬車の王女。その頬には、ほんのわずかに、楽しげな微笑みが浮かんでいた。


 ……かくして、明日ともいわず、わずか数刻をおいて、フェルゼッタはセリナ王女と再会を果たした。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 広い客車内にて、フェルゼッタとセリナ王女は、あらためて向き合った。

 車内も外観に劣らず絢爛たる内装。座席のシートは雲に乗っているかのように、ふかふかと柔らかい。


 なにせ王家の御料車である。

 フェルゼッタは、すっかり萎縮して、ただ、おずおずと、肩をすぼめるばかりだった。


 そんなフェルゼッタの様子を、セリナは、穏やかに、じっと見つめている。

 セリナ王女が実際何を考えているのか、フェルゼッタにいかなる感情を向けているのか。表情からは、まるでうかがい知れない。


 そのセリナが、まず口を開いた。


「先ほどのお礼を、まだ言っていませんでしたね。二度も、あなたに救われて」

「二度?」

「岩に穴を開けて、わたしたちを助け出してくれたでしょう。それから、急に倒れてしまったわたしを、外まで運んでくれたのも、あなただと聞いています」

「あー、確かに……」

「ありがとう。フェルゼッタ。あなたがいなければ、わたしたちは、今頃どうなっていたかわかりません」


 セリナは、丁寧に礼を述べ、煙るように、目を細めてみせた。

 それを目の当たりにして、フェルゼッタは――。


「いえ、あの……それほどでも」


 しどろもどろに答えるのがやっとだった。

 場所柄もわきまえず、フェルゼッタは、またセリナ王女の容貌に見惚れていたのである。


 ――可憐。

 ――ただもう、愛らしい。


 そうした感情が募って、フェルゼッタの頬を熱くしていた。

 セリナは、フェルゼッタの内心など気にする様子もなく、落ち着き払って言葉を続けた。


「お礼がわりに、今日の夕()にあなたを招待したいと思い、迎えに参ったのです。お夕食、まだでしょう?」

「ええ、まあ……」

「歓迎しますよ。ついでに、色々とお話をしましょう」

「お話、ですか」

「ええ。今後のこととか。お仕事のことも。出会ったばかりですが、きっとわたしたち、うまくやっていけると思うのです」


 態度は悠然たるものだが、言動には熱がこもっており、強引ですらある。

 フェルゼッタは、相変わらず王女の美貌に陶然としながらも、わずかに疑問を抱いた。


 彼女はなぜ、これほど熱心に自分へ詰め寄ってくるのか、と。

 小さな王女様は、フェルゼッタに何を見出し、何をさせようとしているのか。


 詳しく聞いてみたいと思う一方で、期待され過ぎている、とも感じた。

 その期待が、失望に変わることを、フェルゼッタは内心、怖れていた。





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