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#05 王女は銀山を視察する


 季節は初夏――セントリス銀山の空は、朝から鈍色の雲が立ち込め、いまにも降り出しそうな気配だった。

 銀山の麓では、採掘事務所に大勢の関係者が詰め寄せ、慌ただしく駈けずり回っている。


 本日昼ごろまでに、王女殿下が銀山の視察に訪れると――まったく唐突に、執政官府から採掘事務所へ通達がもたらされたのは、つい先刻のことであった。

 たちまち、事務所は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。


「王女殿下って、あれだろ。なんか新しい組合を作ったとか」

「まだ小さい子供だって聞いたが」


 迎え入れの準備に追われながら、職員らは、寄り寄り王女の噂を囁きあう。


「でも領主様だぜ。それに、見ためは小さいが、とても賢い御方らしい」

「へえ。いったい何しに来るんだろ」

「そりゃあ、なんか不正がないかとか、みんなちゃんと働いてるかって、見に来るんだろ」

「うちにゃ、そんな悪い奴はいねえけどなぁ」


 語り合いつつ、事務所の受付周りに集まる若い職員たち。


「といっても、隙をみて怠けてる奴はいるだろう」

「おまえとか?」

「いやいや、俺ぁ働き者だよ。フェル嬢にはかなわねえけど」

「いい娘だよなあ、フェル嬢は。本当によく働いてくれるし」

「ああ……第三坑道の天使だな」


 いつしか話題がフェルゼッタの評判へ移りかけた。

 そこへ。


「え? アタシがどうかしましたー?」


 ちょうど事務所の出入口に、作業着姿の黒髪の少女――フェルゼッタが、ひょっこり姿を現した。


「……あ、いやいや、なんでもない。おはよう、フェル嬢」


 職員らは、一斉にフェルゼッタへ会釈を送った。


「はい、みなさん、おはようございまーす!」


 フェルゼッタは快濶な笑顔で応えた。

 セントリスの鉱山労働者は、朝のうちに必ずこの事務所へ顔を出し、窓口で出勤の登録をすることになっている。仕事が終わると、また事務所へ立ち寄り、その日の給金を受け取るのである。


「それじゃ、行ってきますねー!」


 出勤簿に印を付けると、フェルゼッタは元気に事務所を立ち去った。これから同僚らと合流し、馬車で山道へ入り、現場に向かうのが作業員の日課である。

 フェルゼッタが去ると、事務所は再び、視察の受け入れ準備に戻った。その間にも、ぽつぽつと作業員らが窓口に顔を出しては、簿に筆をつけて去ってゆく。


「フェル嬢といえば、第三坑道って、最初はずいぶん難航してたんだよな」

「ああ。最初に目星をつけて堀りはじめた横穴が、十日もしないうちに、とんでもない岩盤に突き当たったってな」

「結局、迂回して、仕切り直しの堀り直し、と」

「こないだ、サイモン氏がボヤいてたんだよ。あのときフェル嬢がいたら、なんとかなったんじゃないか、って」

「フェル嬢がうちに来たの、その少し後ぐらいだもんな」

「いま掘ってるとこだって、実はしょっちゅうヤバい岩盤にぶち当たってるでしょ。フェル嬢のおかげで、問題なく進んでるように見えるけど」

「普通なら除去に何日もかかるやつが、フェル嬢なら一瞬で処理できるからな。昨日も一箇所、かなり厄介な岩盤が見つかって、フェル嬢の処理待ちだって」

「最近、ずっとそんな調子じゃないか? 彼女がいなかったら、第三坑道、いまの半分も掘れてないかもな」

「まったくだ。フェル嬢様々だよ」


 事務員たちは、大いにうなずきあった。




     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 午後に入り、二輌の大型馬車が山麓を訪れた。

 王女セリナとその侍従、銀山までの案内役たる執政官ハルケル子爵と、公邸の役人若干名、あわせて二十人ほどの一団である。


 採掘事務所の前に、職員一同が整列し、一行を恭しく出迎えた。


「責任者はどなた?」


 侍従に伴われて馬車を降りたセリナは、早速、職員らへ呼びかけた。


「私です」


 と、ひとり初老の男が進み出て、拝礼をほどこした。


「所長のホルーザでございます。以後、お見知りおきを」

「ええ。よしなに」


 セリナは、無表情のまま、ゆったりとうなずいてみせた。

 とくに不機嫌というわけではなく、セリナは平常、滅多に表情を崩さず、感情を顔に出さない。王宮内では、その美しくも冷然たる振舞いから「氷の妖精」などと称された。


 居並ぶ採掘事務所の職員たちも、初めて眼にする小さな王女の立ち姿、その可憐さに息を呑み、つい礼儀も忘れて見惚れる者が続出した。


「まず、財務の現状を確認します」


 と、セリナは恐懼しきりの所長とともに事務所へ入り、一席を占めると、ぶ厚い書類の束へ目を通しはじめた。

 ――と見せかけ、セリナは、所長をはじめ、採掘事務所の職員らを『万象』によって、ひそかに鑑定していたのである。


(……あら、意外と)


 セリナが想定していたより、能力の高い職員が多い。

『算術』『簿記』『統計』などの有用な天授を持つ者も少数いるが、それらを抜きにしても、優秀な事務能力を擁する職員が少なくなかった。

 たとえば、ちらと目についた、若手の男性事務員のひとり――。




  リック

 年齢:26歳(男)

 状態:睡眠不足(小)・精神疲労(小)

 職業:セントリス銀山採掘事務所・給料係(勤務年数8年)

 知性:75(100)

 身体:35(100)

 属性:中立・秩序

 天授技能『筆記LV5』

 後天技能『読解LV7』『計算LV8』『話術LV2』




『万象』の発動中、セリナの視界内では、これらの文字と数字の情報が半透明のウィンドウにまとまって浮かび上がり、ひと目に閲覧可能となる。

 知性・身体・属性は、セリナの『万象』でのみ鑑定可能な、その時点での人間社会全体での相対値であり、必ずしも絶対的なものではない。


 知性と身体は、50を平均値とする。いずれかが90以上あれば、その仕事ぶりによって、後世の歴史に名を残す可能性すらある偉材である。属性は人格のおおよその傾向を示す目安であり、状況によって変動が生じやすい。

 保有技能のLVは、それぞれの技能の熟達度を表す。LVが高ければ高いほど、その技能の効果や有用性も高いということになる。


 これらの情報は、いわゆる天啓とともに当人に授かる『天授』を除き、鑑定される側は、まったく把握していない場合がほとんどである。

 当人ですら知らない身体や精神の状態、秘めた能力や技能について、外側から正確に見抜き、それぞれ一定の法則と基準によって数値化し、鑑定を行う……それがセリナの『万象』という天授技能だった。


 なお、セリナの天授技能は、一般には『鑑定』技能とのみ公表されており、『万象』の詳細は、王宮内でもごく一部の人々だけが知る機密とされている。

 ――人間に限らず、動植物でも無機物でも、あらゆる物質を鑑定可能な『万象』だが、唯一の欠点として、セリナ自身の情報だけは、何をどうやっても閲覧することができない。


 したがってセリナは、自分自身の具体的な能力や状態について、把握できていなかった。

 いわゆる『人物鑑定』や、それに類する技能を持つ者は、王宮内にも幾人かいたが、いずれも『万象』ほど詳細なものではなく、せいぜい保有技能、健康状態などの大雑把なデータが得られる程度のものでしかなかった。


 もっとも、当人は、その点はさほど気に留めていなかった。

 わが身を覆い隠すヴェールを、わざわざ自分自身で引き剥がそうとは、セリナは思わない。


 世の中、知らぬほうが良いということもある。


「……とくに問題はないようですね。ただ、月別の銀鉱石採掘量を示す項目で、いくつか記述が抜け落ちている箇所が見られます。後でしっかり精査してください」


 セリナは、一応、すべての提出書類に、きちんと目を通し終え、席を立った。

 その間にも、ひそかに何人か、有能な職員らに目を付けている。


 残念ながらハンターに向いた者は見出せなかったが、事務員としては優秀な技能を持つ者が多かった。

 彼らのうち、ひとりかふたりでも、雇い入れることができれば、ハンター組合の事務方は安泰となるであろう。


(後で、それとなく子爵に話を通しておきましょう……次は、ハンター候補ね)


 セリナは随員を引き連れて早々に事務所を出ると、所員らの見送りを受けつつ大型馬車に乗り込み、東側の山道へと向かった。

 三つの坑道のうち、第三坑道へと通じる道である。


 空一面に黒雲が重く垂れ込み、まだ昼過ぎにもかかわらず、山道は薄暗い。

 やがて、本格的な雨が降り出した。



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