#04 王女は組合を立ち上げる
セリナ・ブランシュ・レクソール。レクソール王国王女。当年十一歳。
生まれつき病弱の身ながら、『万象』という特殊な天授を持ち、この年齢にして、既に王都の大学を卒業している。
幼時より、セリナの英才は夙に聞こえがあり、繊細可憐な容姿とも相まって、宮中内外に大きな支持を得ていた。
ことに父たるレクソール王クラウスの溺愛ぶりは並外れていた。
王都にセリナ専用の大図書館を開設し、大陸最大の銀山を領地として与え、セリナ個人の護衛として新たな騎士団を創設し、さらに病弱なセリナの治療のために、国内外から百余名の医療関係者をかき集めるなど、誰の目にも過剰に映るほど徹底的にセリナを甘やかしていた。
そのクラウス王は、すでに老境であったが、いまだ正式に太子を立てていない。
――できうるものなら、セリナに王位を継がせたい。
と、たびたび群臣には口走っており、実際にセリナを擁立せんと宮中へ働きかけている勢力も存在した。
風向きが変わりはじめたのは半年前、クラウス王が病に倒れてからである。
王に代わり、セリナの兄、すなわち第一王子ルベールが執権として宮中を掌握し、その下で、ルベール子飼いの官僚群が政務全般を取り仕切るようになった。
ルベールと、その弟、第二王子アンベールは、セリナを宮廷から排除すべく結託していた。
ほどなく、ルベールの意向によって、図書館は閉鎖され、医師団と騎士団は解散させられた。さらにアンベールの暗躍により、セリナ擁立派の切り崩しと排斥が急激に進み、セリナは宮中において孤立状態に追い込まれた。
さすがに所領までは取り上げられなかったが、セリナに対して、ルベールは冷たく言い放った。
「おまえはしばらく、自分の山にでも篭もっていろ。馬車と最低限の人手は、こっちで用意してやる。さっさと行け」
事実上の追放宣告である。
クラウス王が人事不省に陥って半年。まだ十一歳の王女セリナは、兄たちによって王都より追いたてられ、所領地セントリスの離宮へ赴く羽目になった――。
(この危急存亡の状況で、わたしを追い払って、跡目争いごっこなんて)
内心、苦い思いを噛みしめながら、わずかな従者とともに、セリナはセントリスへ向かった。
ただ、王宮内での立場を失った現在でも、セントリス銀山を背景とする個人財力では、セリナはなお二人の兄を上回っていた。銀山の収入の大部分は、執政官ハルケル子爵を通して国庫に納められているが、その税額の半分が名目上の領主たるセリナの歳費となっていたからである。
おかげで今なお財力だけはあり余っている――それをどう活かし、何をなすか。
セリナは、ルベールに王都からの追放を言い渡されたその日から、ひとり思案に暮れていた。
もとより、王位などに興味はない――。
いま、レクソール王国は、魔物の襲来という未曾有の危機の只中にある。
すでに北方ではいくつもの都市や集落が陥落し、王国軍も対応に苦慮している。そうした現状を、王都にいながらにして、セリナは正確に把握していた。
(兄上たちだけに任せていては、国が危うい。この国から魔物を退けるには……)
セリナの心は、ひとつの結論に達していた。
(こちらはこちらで、できることをやるしかない)
王女セリナがセントリスに到着して、数日後。
セントリスの街で初となる、新たな魔物ハンター組合が、ベルディス離宮の敷地内に創設された。
創立者兼、組合長の名は、セリナ・ブランシュ・レクソールその人である。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
王女セリナは、生後まもなく肺病を発症し、現在まで治っていない。
これまで、何度死にかけたかわからない、重い宿痾である。
そのため、同年代の子供らと比べても、セリナは身体の成長が遅く、痩せぎすで、実際の年齢よりもさらに幼い容貌だった。
王都ではセリナ専用の大医師団が完璧に近い治療を施し、近年では容態も安定していた。日常生活に支障がない程度に、体調も体力もあらたまって、王都の大学に通い、卒業できるほどにまで、セリナは健康を取り戻している。
とはいえ、いまだ完治にはほど遠い。現在でも少数ながら侍医団が常に側近くに仕えて、定期的に検診を行い、薬を調合し、療治にあたっていた。
セリナが王都を追われ、セントリスへ赴く際にも、この侍医団だけは解散することなく、セリナに付き従った。
そういう事情であるため――。
「銀山を視察、ですか?」
セリナが、突如、そのような話を切り出したので、侍医団一同は目をまろくして驚いた。
「とんでもない。採掘場がどういう場所か、ご存知ないのですか」
侍医団の長たる老典医ファクトが、慌ててセリナを諌めた。
「坑道内ばかりか、野外でも砂塵が絶えず、衛生状態も最悪に近い場所です。そんなところへお運びあっては、必ずお身体に障ります」
――ここは、セントリスの街の西側区画、ベルディスの離宮。その一室。
二百年も昔に、王族の別荘として建築された、白亜の宮殿である。建物こそ老朽化して、ややみすぼらしく見えるが、敷地は広く、内部の手入れもよく行き届いている。
王都を追われたセリナは、この離宮へ入るや、持ち前の財力を駆使して、付近の建築技術者、人夫らをかき集め、たちまち敷地内の南側に新たな木造の一棟を建てさせた。
『セントリス魔物ハンター組合本部』
そう銘打って、堂々と看板も設置した。
まだ内装が終わっていないが、現地では高名な建築デザイナーの設計に基づき、玄関ロビー、待合スペース、受付カウンター、会議室、医務室、組合長室、資材倉庫などの基本設備はすでに整っていた。
次は、肝心な組合員……受付や財務など、組合で雑務を働く雇用職員若干名と、組合と契約して実際に魔物を狩るハンターを集めねばならない。
職員については、当面、王都から連れて来た侍従たちに手伝わせつつ、おいおい現地民を雇い入れる、という方針を採った。
問題はハンターのほうである。
セリナは、あらかじめ執政官ハルケル子爵に話を通して、人員面での協力を約束させていた。セントリスの治安組織たる衛兵隊から希望者を募り、民間ハンターとして組合に登録させる、というものである。
遺憾ながら、現時点では、希望者はまだ一人も現れていなかった。
そもそもセントリスは人口の七割が鉱山関係者とその家族で占められる、労働者の街。
ならばと――視察を名目に、労働者の集う採掘場へ赴き、直接、ハンターとなりうる人材を見極めるというのが、セリナの意図であった。
セリナの天授技能『万象』は、世の森羅万象、その本質を見抜き、解析し、把握する。
動植物の種類や特質、宝石や素材などの価値鑑定、武具、道具、雑貨類の正しい価値とその使用法、建築物の強度や耐用年数などまで、ひと目に判別することができる。
つまりは天然の鑑定士ともいうべき特殊な眼力が、七歳のとき、天からの贈り物として、セリナに備わっていた。
その『万象』をもって、鉱山労働者の中から、ハンターの素養を持つ者を選定し、口説き落として、組合との契約に持ち込む目算である。
「砂塵への対策は、もう準備してあります」
制止する侍医たちへ、セリナは、麻のマフラーを首にかけ、顔の半分……鼻と口もとを深く覆ってみせた。
「これなら、しばらくは耐えられるでしょう?」
「ええ……まあ、しばらくは」
侍医たちは、溜め息を交わし、うなずきあった。
聡明な王女ではあるが、こうと言い出したら、なかなか後には引かないところがある。
これまでも、侍医団は王女の思いつきに翻弄されてきた。
数年前、王都の大学を受験すると言い出したときなど、当時の大医師団全員が反対し諌止したにもかかわらず、セリナは受験に赴き、合格し、そのまま卒業までしてしまった。
そのような経験から。
一度こうなってしまっては、もはや止めても無駄――と、彼らも悟らざるをえなかった。
「……では、我々も、採掘場へ同行いたします。それでよろしいですか?」
「ファクト先生は、相変わらず心配性ですね。かまいませんよ」
セリナは、かすかに笑みを浮かべて、うなずいた。
「では、出かける用意をしましょうか。優秀な人材が見つかるとよいのですが」
かくて、翌日――王女セリナの、抜き打ち銀山視察が実施される運びとなった。