#03 銀山のフェルゼッタ
セントリス。
ガザリア地方から遥か南方、大陸のほぼ中央付近を東西に横切る連山帯。そのふところ深く、三つの河川の交差する中洲から山腹にかけて構築された、鉱山の都市である。
大陸一の銀産出量を誇るセントリス銀山を擁し、レクソール王国の重要な収入源として栄えていた。人口八万人のうち七割が鉱山関係者とその家族で占められる労働者の街。現在は王国直轄領として、王都から派遣された執政官によって統治されている。
ハンターの夢破れた娘――フェルゼッタが、ここセントリスの採掘場で働きはじめて、はや三ヶ月が過ぎようとしていた。
「おぉーい、フェル嬢! 来てくれー!」
「はーい、いま行きますよー」
セントリス銀山第三坑道。現在はまだ採掘の前段階、坑道を縦横に掘り進め、地下深くに眠る、新たな銀鉱脈を探っている現場である。
掘削は、作業員らがマトックやシャベルなどの道具を用いて、手作業で行われる。他の大陸では、すでに魔法技術によって自動化された大型削岩機なども存在するというが、こちらの大陸には、まだそのような機械技術は存在していない。
フェルゼッタは、ここ第三坑道にて、作業員の一人として働いていた。土にまみれた作業着姿で、坑道内を忙しく駆けずり回る日々を送っている。
「こっちだ、フェル嬢!」
「おまたせしましたー!」
作業員たちがフェルゼッタの名を呼ぶ。
フェルゼッタは、元気に返事をしながら、土を踏みしめ、坑道の奥へ急いだ。
坑道の内壁には、魔光球という照明機器がコードに吊り下げられて並んでおり、最低限の明かりは確保されている。
その照明の下、周囲とはやや色あいの異なる巨大な岩盤が、坑道の行き止まりを、がっしりと塞いでいた。
「これだ。いけるかい?」
作業員たちが、その岩盤をフェルゼッタへ指し示す。
「大丈夫です。みなさん、ちょっと離れててくださいね」
フェルゼッタは岩盤の前に立ち、やにわに両手を前へ伸ばした。
その指先が、岩の表面に触れんとする――。
『掘削』
フェルゼッタのスキルが発動する。
けたたましい物音とともに、激しい火花が散り、見る見るうちに岩盤が抉れはじめた。周囲に白い粉塵が巻き上がる。
フェルゼッタ自身は、ただ両手を差し出しているにすぎず、道具も何も用いていない。
でありながら、岩盤にはたちまち、フェルゼッタの身長ほどもある大穴が穿たれてゆく。さながら不可視の大型ドリルが稼動しているかのごとくに。
これがフェルゼッタの天授技能『掘削』である。
採掘場で働きはじめた当初、フェルゼッタは規則に従い、律儀に道具を購入して作業に従事していたが、そのうち、技能を駆使して、直接掘削を行うほうが、遥かに速く、効率も上がる――と気付き、素手で作業に当たるようになった。
その身に宿るスキルが発動したとき、フェルゼッタの両腕はたちまち見えざるマトックとなり、シャベルとなり、ハンマーとなり、カッターとなり、大小のドリルとなって、あらゆる種類の岩石を打ち砕く。岩石のみならず、この世のいかなる物体でも、フェルゼッタに穿ち貫けぬものはない。『掘削』とは、そういうスキルである。
万物を掘削する両腕――その効果を活用する技術と判断力についても、フェルゼッタは天賦の才を持っていた。
地形地質、土質、石質をひと目に判別し、その時々の状況に応じて技能を発動させ、対応する。掘削、採掘に求められる、あらゆる技術を、フェルゼッタは生まれながらに備えていた。穴掘りの申し子というも過言ではない。
当人が、自分の才能についてどう思っているかは、また別の問題であるが……。
少なくとも、作業員たちからは、フェルゼッタの異能は大いに歓迎された。
フェルゼッタが現場に加わるだけで、作業効率が全般に向上し、特にそれまで危険性の高い作業だった岩盤除去を安全に実行できるようになった。フェルゼッタは既に、この第三坑道の現場に欠かせぬ存在と評価されるまでになっていた。
――やがて、巨大岩盤の中央に、フェルゼッタの不可視のドリルによって大穴が穿ち抜かれ、そこから全体にひび割れが走ったと見えるや、ガラガラと音を立てて、岩盤は見事に砕け落ちた。
「できましたーっ!」
朦々と粉塵漂うなかで、フェルゼッタがとびきりの笑顔を作業員たちに向ける。
おおうっ、と、潮のごとく、作業員たちの歓呼が響いた。
「さすがフェル嬢! いつもながらお見事!」
「よし、破片を運び出すぞ! 急げ!」
「あとは任せてくれ、フェル嬢!」
作業員たちが一斉に岩盤の破片へ群がり、大きなものはハンマーでさらに砕き、小さなものは直接拾いあげて、待機していた一輪車へどんどん積み込んでゆく。
砕石を満載した一輪車が、続々と坑道出口へ向かって列をなす――その脇から、またもフェルゼッタを呼ぶ声。
「フェル嬢! こっちも頼む!」
「はーい!」
足早に、次なる岩盤へと向かうフェルゼッタ。
その表情は、土砂に汚れながらも、明るく楽しげだった。
フェルゼッタは、充実していた。
これが、自分の天職。
ここが自分の居場所だと――。
自分自身に嘘をついている。
その嘘を、自分に信じ込ませることに。フェルゼッタは慣れてきていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
セントリスの中心区画にそびえる、石造りの城館。
執政官、ハルケル子爵の公邸である。
本来、セントリスはレクソール王家の直轄領であり、現在は王女が名目上の領主となっていた。
とはいえ王女はまだ幼年、あくまで名目にすぎない。
王家直轄領の多くは、王家が任命した執政官が現地に赴任し、領主代理として実務を担っている。セントリスもその例に洩れず、ハルケル子爵が執政官として任命され、長年、この鉱山街の実質の権力を握っていた。
執政官のおもな仕事は、王国法に基づく戸籍管理、治安維持と裁判、予算や税などにまつわる事務、そして貴賓の迎接である。公邸はセントリスの行政府であると同時に、迎賓館を兼ねており、連日、街の有力者や富豪、近隣の商人、高官などの来訪が絶えない。
この日、公邸の門に、三輌の高級馬車が停まり、ハルケル子爵自ら、門まで迎えに出ていた。
三輌いずれも、レクソール王家の象徴たる黄金龍の紋章が刻まれている。
まず前後の馬車から、武装した騎士と侍女の一団が降り立ち、続いて中央の馬車からも、ばらばらと複数の随員が降りてきて、一斉に整列した。
「殿下。どうぞ」
随員の呼びかけに応じ、中央の馬車から、ゆったりと姿を現したのは、青いロングドレス姿の、ごく小柄な、年端いかぬ少女。
見ためは、まだ十歳にもなるかならぬか。
美しい金髪をなびかせ、額には、サファイアを嵌め込んだ細い銀冠をいただき、胸元にも豪奢な銀細工のネックレス。
肩細く、胸は痩せて、病的なまでに白く透明な肌。小さい顔も象牙細工のように白く、唇薄く、表情に乏しい。
ただ、その碧い双眸だけは、大きく見開いて、澄明な知性の光をたたえていた。
「よくこそ、おいでくださいました。セリナ殿下」
恭しく拝礼を捧げるハルケル子爵。
「久しいですね、子爵。息災ですか」
少女は、その幼い容貌にも似げぬ、冷然たる面持ちで、感情のこもらぬ声を、子爵に投げかけた。
「はい。日々、無事息災に過ごせておりまする。これも殿下のご威光の賜物かと」
「話は聞いていますね?」
「それはもう。ベルディス宮にご逗留されると伺っております」
「しばらく厄介になります。そう長いことではないと思いますけれど」
「とんでもない。ここは本来、殿下のご領地。私めは代官にすぎませんので」
如才なく振舞うハルケル子爵に、少女は無表情のまま、うなずいてみせた。
「さあ、こちらへ。歓迎の席を設けております」
ハルケル子爵が先に立ち、一行を邸内へ迎え入れる。
わずかな扈従をともない、豪奢な赤絨毯の廊下へ、楚々と歩を進めつつ――。
「困ったものね」
レクソール王国王女、セリナ・ブランシュ・レクソールは、ひそかに嘆息を洩らしていた。