#02 去りゆくフェルゼッタ
やや遠巻きから、フェルゼッタと組合長のやりとりを、息を潜めて注視していた者どもがいる。
フェルゼッタが退出すると、彼らは、続々と組合長のもとへ集まってきた。
いずれもベテランの職業ハンターたちで、組合の意思決定を司る評議員の肩書きを持つ、錚々たる顔ぶれである。
「とうとう、決断したな。レギド」
まず、口火を切って声をかけたのは、Aランクハンターのアレステル。『高速剣』という天授を持つ、ガザリアハンター組合最高の戦績を誇る筆頭ハンター。四人の組合評議員の一人でもあり、組合長レギドの右腕というべき人物だった。
「あの子を追い出すか……寂しくなるな」
同じくAランクハンターのダッカがため息をつく。貫禄ある老剣客というたたずまいで、組合内の職業ハンターとしては最高齢ながら、『抜刀術』という天授を持ち、剣の達人として名高い。
「あの子には、ずっとここにいてもらいたかったけど……こんな状況ではね」
Aランクハンターのナードラが、心底惜しむような目で、無人の廊下を眺める。
女性、それも妖艶な雰囲気漂う美女ではあるが、フェルゼッタを妹のように可愛がっており、一貫して彼女の世話を焼いてきた。『天眼』という、遠隔視覚の天授を持つ、情報収集のエキスパートである。
「せめて退職金くらいは、出してあげるんでしょうね?」
「うちの組合に、そんな規約はないが……」
「無一文で放り出すわけにはいかんだろう。路銀程度は、予備費から出してやるべきだな」
「それと、次の職場だな。ちょうどセントリスの採掘場に、古い知り合いがいる。紹介状を書いておくか」
「とにかく一刻も早く、あの子をこの街から出してしまわんとな」
「頑固だが、根は素直で、察しのいい子だ。わかってくれるさ」
「だといいが……」
組合長レギドは、眉をひそめつつ、三人の腹心たちの顔を眺め渡した。
「……それで、ナードラ。報告を聞こうか。現在の状況は」
「最悪ね」
問われて、ナードラは表情をあらため、厳しい眼差しを組合長に向けた。
「アドミヤが壊滅したわ。かなり長いこと、持ちこたえていたのだけど」
「あそこが陥ちたか。では、今は……」
「勢力をさらに拡大しながら、南下を続けてる。王国軍は、グザドの北側に防衛線を敷いてるけど、たぶんそう長くはもたないわね」
「グザドが陥落すれば、その次は」
「ええ。ここが、戦場になるでしょう」
「そうなる前に、早急に避難計画を進めて、可能な限りの住民を逃がさないと」
「まずは、フェルね……」
「彼女については、今日中に荷造りさせて、街を出られるよう、私のほうで手配しておく。アレステルは馬車を用立ててくれ。夕方までに」
「ああ。ちょうど都合がつきそうな乗合馬車がある。話を通しておくよ」
アレステルは、力強く請け負った。
現在、王国北部一帯は、魔物の大発生により、危機的状況に陥っていた。
ここガザリアの街にも、近日中に、魔物の大群が押し寄せると予測されている。
街ではハンター組合が中心となって、防衛計画と避難計画が秘密裏に同時進行しており、組合所属の職業ハンターは全員、「等級に関わらず」防衛戦に参加する手筈となっていた。当然、フェルゼッタも参加するはずであったが――。
ひとたび魔物が街中へ入れば、見習いハンターのフェルゼッタが生き残れる可能性は皆無であろう。
ゆえに、彼女の身を案じた組合幹部たちは、評議の末、いち早くフェルゼッタを除名し、街からも追放することを決定したのである。
ガザリアの英雄の一人娘――フェルゼッタの幸せを願って。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フェルゼッタ。
レクソール王国西方の寒村出身。十六歳の乙女。
同年代の少女らと比較すると、わずかに大柄で背が高く、肩幅広め、手足や体格も、がっしりとしている。さらに胸囲は同世代の平均を遥かに上回っており、常時、必要以上に豊かに揺れていた。
黒目黒髪、肌は浅黒く、顔立ちは朴訥そのもの。繊細さには欠けるが、温和で親しみやすい、人懐こい印象を見る者に抱かせる。
全体には、物慣れぬ田舎娘という雰囲気で、少し頼りなさもあるが、明朗快濶を絵に描いたような少女だった。
とある著名な吟遊詩人がガザリアを訪れた際、偶然、街で見かけたフェルゼッタを評して「春陽の娘」と表現したこともある。
フェルゼッタ自身は、周囲の視線や評判など特に気に留めず、一人前のハンターを目指して、ただ脇目もふらず努力を続けていたが、彼女の持つ天授は『掘削』。その才能と志望のギャップが、彼女の前途を至難なものにしていた。
それでも彼女は諦めることなく、つとめて明るく、無謀ともいえる挑戦を続けていた。
ガザリアの街の人々は、そんなフェルゼッタと日々交わりながら、彼女の奮闘を見守ってきたのである。
しかし、フェルゼッタがハンター組合より除名となったその日。
街の人々の様子にも、変化が生じていた。
時々フェルゼッタが訪れていた雑貨屋では――。
「もう二度と、ここには来るなよ。ハンターじゃなくなったあんたに売る物なんて、うちには何もねえ。……ああ、こいつは廃棄する予定のゴミだ。うちにはいらないから、持ってけ」
と、店主の親父から、立派な革の背嚢を押し付けられた。いかにも頑丈な造りで、容量もたっぷりありそうな高級品である。
いつもフェルゼッタが買い物していた肉屋では――。
「ああ、やっとクビになったのかい? せいせいするね。そうだ、これはもうじき腐っちまうんでね。ついでに捨てといておくれ」
と、店のおかみさんから、大量の干し肉を押し付けられた。
よく薬草採取の依頼をフェルゼッタへ発注していた薬剤師の店では――。
「薬草採取は、もっと腕のいい人に頼むことになったからね。きみはもう来なくていいよ。これは今までのお駄賃がわり」
と、貴重な止血剤や鎮痛薬などを、十包ほども袋詰めにして、フェルゼッタに押し付けてきた。
たびたび、迷子になっては、何度もフェルゼッタに発見、保護されていた、領主家の黒猫は――。
「にゃん?」
いつも通りだった。
フェルゼッタの生活の場であった、組合指定の下宿先では――。
「うちはハンター専用の下宿なんだ。あんたはここには住めないよ」
と、下宿の主人から、大きな布袋を押し付けられた。
「そいつは組合長からの預かり物だ。それを持って、さっさと出ていってくれ」
主人から一方的に手渡された布袋の中には、ぶ厚いコートや毛皮の帽子、マフラーなどの旅装一式。
さらに、セントリス採掘場の経営者へ宛てた、組合長レギド直筆の紹介状。さらに組合からの「退職金」として、数年分の生活費にあたる金貨二十枚、セントリスの街まで直通の乗合馬車のチケットなどが収まっていた。
……フェルゼッタとしては、組合をクビになったとはいえ、すぐさま街を出ていこうとまでは、考えていなかったのだが――。
組合だけでなく、街の人々も、フェルゼッタを街に置いておくつもりがないようだった。いかに純朴な彼女も、気付かざるをえない。
組合が、なにかしら手を回していること。
また、それが決してフェルゼッタに対する嫌悪や悪意からではなく、何か深い事情があってのこととも、察せられた。
なぜなら。
みな、とても寂しそうに、優しく、微笑んでいたから。
(……お世話になりました。組合のみなさん。街のみなさん。どうか、どうか、お元気で)
背嚢に干し肉と薬草を詰め込み、首にマフラーを巻き、帽子をかぶり、コートを羽織り――感謝の念を、胸に抱きしめながら――フェルゼッタは、ちょうど街門に停まっていた大型馬車に乗り込んで、ガザリアを去っていったのである。
季節は早春。街道沿いの桜並木が、霏々と、花びらを舞い散らせていた。




