#12 王女は覚醒を促す
セントリス銀山における星銀鉱脈発見の一報は、瞬く間に、市街全域に知れ渡っていた。
執政府の広報部は、この件について、とくに公表などはしていない。
とはいえ、人の口に戸は立てられぬもので――セリナ王女の鉱山視察から、星銀鉱脈発見にまで至る数日、一連の騒動と顛末は、たちまち、セントリスの一般市民にまで、広く知られるところとなった。
また、それに関連する執政府やセリナ王女の新たな動向も、市井に伝わってきている。
いわく、セリナ王女の全額出資のもと、執政官ハルケル子爵を施主とする星銀専用の大規模な精錬設備、加工施設の建造が、もう始まっていると。
それらの敷地は、ベルディス離宮と街路一本を隔てて隣接していた。もともとは、地元の有力者が所有する空閑地であったが、セリナ王女は、有無をいわさず、必要な土地をすべて買い上げ、その日のうちにハルケル子爵を現地へ呼びつけた。
「子爵、計画書はもう、そちらの手許にありますね? そうです、ここに建てます。今日から……いいえ、今からです。今すぐに、作業を始めてください」
「御意のままに」
おそらく事前に、話し合いや手続きはまとまっていたのだろう。ハルケル子爵は当然のごとく請け負い、役所の土木課を総動員して、現場の測量を開始した。
同時に、必要資材の調達と集積、建設作業員や大工職人などの新規募集を経て、土地買収から三日後には、もう地盤の整備が始まっていた。
そうした慌ただしい情勢の一方で、ベルディス離宮の庭園内にある、セントリス魔物ハンター組合本部は、静寂そのものだった。
本部建物は、内装調度に至るまで、すでにほぼ完成している。しかし肝心の職員も所属ハンターもまだ集まっていなかった。
現在、本部内にいるのは、組合長たるセリナ王女と、見習いハンターのフェルゼッタ。この二人きりである。
「いきますよ。フェルゼッタ」
「お、お願いします」
日中。
フェルゼッタとセリナ王女は、ともに組合本部の裏庭に出て、何やら始めようとしていた。
広い芝のグラウンドである。
「では……」
セリナ王女は、携えてきた麻袋の打ち紐を解いて口を開き、袋ごと、ぽいと地面に放った。
袋から飛び出てきたのは、シルバージェルという小型の魔物。
ジェルとは、半透明の粘液が凝集して動き回っているような不定形魔物の一種。その粘液が銀色の光沢を帯びているものを、とくにシルバージェルと呼称する。
ジェルは大陸中のどこにでも生息している。ただしシルバージェルは、セントリス地方でしか見られない希少な種類だった。臆病で攻撃性は低く、粘液は弱酸性で、毒素もない。外見や動作が少々不気味なことをのぞけば、ほとんど無害といってよい。
その外見に反し、警戒性と敏捷性はかなり高く、地面を素早く飛び跳ねながら移動する。無害とはいえ、それなりに訓練と経験を積んだハンターでなければ、捕獲や討伐は困難といわれる魔物だった。
ここにあるシルバージェムは、離宮に勤める王女付きの衛兵ら数名が、とくに主君のご所望ということで、苦心惨憺のすえ捕獲してきた献上物である。
「わかっていますね? 弱点は――」
「はい、見えています」
「一発で決めてください」
「が、頑張ります!」
応えつつ、フェルゼッタは、芝の上で蠢く銀の粘液へ、じりじりと歩み寄った。武器や捕獲器などの道具は持っておらず、素手である。
フェルゼッタの気配を察したか、シルバージェルが、ひたと動きを止めた。フェルゼッタを警戒し、逃亡のための「溜め」の状態に入ったらしい。
『掘削』
落ち着き払って、スキルを発動するフェルゼッタ。
シルバージェルが、動く。
銀の粘液塊が、宙に残像を描きつつ、凄まじい速度でフェルゼッタの左手側へ跳んだ。――と見えた、瞬間。
ぴしゃり、と飛沫をあげて、シルバージェルの粘液が、芝生に撒き散らされた。
子供の小指の先ほどの、ごく小さな銀色の飴玉のようなものが、フェルゼッタの足元に転がる。
シルバージェルの本体というべき「コア」である。フェルゼッタの『掘削』スキル、不可視の超細型ドリルによって貫かれ、小さな穴が、ぽっかりと開いていた。
コアを貫かれたことで、シルバージェルの生命活動は完全に停止し、銀の粘液は急激に蒸発し、コアの残骸をのぞいて、きれいさっぱり消滅した。
――すなわち、フェルゼッタは、シルバージェルの討伐に成功したことになる。
「お見事です、フェルゼッタ」
セリナ王女は、微笑とともに、フェルゼッタを称えた。
「このぶんなら、昇級試験も問題ないでしょう」
当のフェルゼッタは。
「あ……まさか、こんな簡単だなんて……」
あまりにあっけない結果に、むしろ唖然としていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この数日というもの――セリナ王女は、忙しない状況の合間を縫って、フェルゼッタへのレクチャーに取り組んでいた。
セリナの見立てでは、『掘削LV255』という桁外れの天授を抜きにしても、フェルゼッタには、優れたハンターとなりうる素養が、すでに備わっている。
彼女の後天技能は、絶大な膂力を示す『筋力LV9』と、大陸のほとんどの魔物の生態や特徴について把握している『魔物知識LV8』の二つ。
いずれも、以前にガザリアで見習いハンターをつとめながら、本気で、必死で、ハンターを目指して、学び、研鑽を積んできた、その証であり結果であろう。
フェルゼッタに致命的に欠けているものは、敏捷性である。
膂力も動体視力も人並み以上だが、とにかく反応が鈍い。動作が遅い。物覚えはよいが、それを活かす要領にも欠ける。
ガザリアにいる間、何をどう鍛えても、これらは改善できなかった。結局、何度挑んでも、昇級試験の課題をクリアできず、見習いのまま、組合から放逐される憂き目にあった……。
セリナ王女は、そうしたフェルゼッタの現状を丁寧に解説したうえで――短所を無理やり改善させるのではなく、別のやりかたで欠点を補う方法を提示した。
「相手の行動の先を読み、あらかじめ、対応を『設置』するのです」
ガザリアでの経験と研鑽の結果、フェルゼッタはすでに、大陸中のほとんどの魔物についての知識を持っている。その具体的な動作、行動パターンも十分把握済みであった。
たとえば、ジェルならば――粘度の高い液体という性質を利して、地面を蹴って素早く移動する。
とくに、いわゆる「溜め」の動作の後、必ず、警戒する相手の「左横」をすり抜けて逃亡をはかることがわかっている。
それさえ事前に把握していれば、わざわざジェルの動作を追うのではなく、動作を予測し、その先へ、あらかじめ攻撃を「置いて」おけばよい。
フェルゼッタの場合、『掘削』を攻撃に転用して、予測先へ「設置」することで、確実に討伐できるはずである……。
「はあ。理屈は、わかりますが……そんなに、うまくいくでしょうか?」
「やってみればわかりますよ」
そんなやりとりを経て――現在。
捕獲したシルバージェルを用いた実践は、セリナの目論見通りの結果となった。
フェルゼッタは、一撃でシルバージェルのコアを貫いた。
当人にとって、生まれて初めて、魔物の討伐に成功した瞬間でもあった。
「なんで、今まで、こんな簡単なことが、できなかったんだろう」
あまりにあっさりと結果を出せてしまい、フェルゼッタは、かえって首をかしげていた。
「ちょっとした気付きが、人を大きく変える……覚醒させるのですよ。今のあなたが、まさにそれです」
セリナは、幼い容貌にも似げず、思慮深い眼差しをフェルゼッタへ向けた。
「気付き……。そう、だったんですね。今まで、こんなやりかた、考えもしなかった……」
言われて、フェルゼッタも、何か思い当たることがあったらしい。
「明日、本番の試験を行います」
セリナ王女は、厳として告げた。
制限時間内に、自力で魔物を発見し、捕獲もしくは討伐を成功させる。
これが昇級試験の内容である。
ガザリアで何度も挑んでは失敗してきた、フェルゼッタにとって大きな壁となってきた試練。
しかし、今のフェルゼッタは、突破に向けて、確かな手ごたえを掴んでいた。
「頑張ります!」
フェルゼッタは、力強く応えてみせた。




