#10 契約するフェルゼッタ
セリナ王女とフェルゼッタを乗せた大型馬車は、セントリス市街の大路から西へ進み、ベルディス離宮へ到着した。
離宮は、建物は古いが内装調度は王族の別荘らしく豪勢に飾りたてられている。
玄関ホールには十数人の使用人らが整列し、王女とフェルゼッタを出迎えた。
「さ、こちらです。もう準備は済んでいるそうですよ」
セリナ王女は、足取り楚々と先に立ち、吹き抜けのホールの中央へ歩を進めて、フェルゼッタを導いた。
一方フェルゼッタは、生まれて初めて目にする宮殿の威容、豪奢な調度類に圧倒され、気後れしていた。足元に伸びる真っ赤な絨毯を踏むのさえ躊躇われる。
服装も、一応、入浴して着替えているとはいえ、庶民の平服である。作業着よりは幾分ましであろうが――自分などがこんなところにいるのは、場違いも甚だしいと、フェルゼッタは内心おどおどしていた。
「遠慮は無用です。今日は、あなたの他に来客はありませんし、形式ばったことも一切ありません。ささやかなお礼をしたいだけですから」
言いつつ、セリナ王女が案内した先には、巨大な両開きの扉。
その向こうには、迎賓用と思しき空間が広がっていた。食堂であるらしい。
はるか頭上の天井にクリスタルガラスのシャンデリアがまばゆく煌めき、白壁には銀の燭台が並び、窓枠は黄金に縁取られている。
真っ赤な紗のカーテン、鏡のように磨かれた大理石の床に、白いクロスがかかったマホガニーの大テーブル。
絢爛、目もくらむばかりの有様に、フェルゼッタは頭痛すらおぼえはじめた。
まだ料理はテーブルに載っておらず、奥のほうで給仕らしき白服の使用人らが、銀盆を捧げ持ち、控えていた。
「さ、そちらの席へ」
セリナ王女に促され、おずおずと着席するフェルゼッタ。セリナ王女は、その向かい側に悠然と座り、使用人らへ声をかけた。
「今日は何?」
「本日のメインは、鴨のローストでございます」
シェフらしき者が恭しく答える。
「だそうです。マナーなど気にしなくていいですから。気軽に食事しましょう」
セリナ王女は、真正面のフェルゼッタへ向き直って述べた。
(気軽に、っていわれても……)
なお当惑気味のフェルゼッタの内心などお構いなく、給仕らが続々と銀盆を運んで皿を並べてゆく。
前菜に茸のスープ、山菜のサラダ。メインの肉料理は、鴨肉のローストを一口大に切ったものが上品に盛り付けられていた。
いずれもフェルゼッタが口にしたこともない高級な食材ばかり。緊張のためか、味などさっぱりわからない。
正面のセリナ王女は、どの料理も、ほんの少しずつしか口をつけていなかった。さながら小鳥が軽く啄む程度。病弱ゆえに、生来少食であるらしい。
フェルゼッタは一応、すべての料理をきれいに平らげたが、なかなか緊張は解けなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食後には、白いティーセットが運び込まれ、薫り高い茶が饗された。
茶というのは、フェルゼッタにはまったく未知の飲み物である。
添えられた茶菓子は干し林檎で、これはフェルゼッタも知っていた。
とはいえ果実は高級品で、加工品といえど、庶民が滅多に口にできるものではなかったが。
「これは、アドミヤ地方から取り寄せて貯蔵しておいた林檎を加工したものです。アドミヤの林檎は、とても甘いと評判なんです」
セリナ王女は、カップから立ちのぼる湯気に、かすかに目を細めつつ、フェルゼッタへ語りかけた。
「アドミヤ……ずいぶん北のほうですよね」
聞き覚えのある地名だった。フェルゼッタ自身は西方の寒村の出身だが、数ヶ月前までハンター見習いとして働いていたガザリアは、王国北部の一地方である。アドミヤは、そのガザリアよりさらに北の辺境地帯だった。
「さあ、ひとくち、召し上がってみてください」
「はあ」
セリナ王女に促されるまま、フェルゼッタは、まるで白金の細工物のような一切れを、指でつまみ、口に運んだ。
やや硬い半生の食感とともに、強い甘味と酸味、鼻を抜ける爽やかな香り――。
「おいしい……!」
と、つい声を洩らしてしまった。
「それはなによりです」
セリナ王女は、さもあらんという態でうなずきながら、声をひそめて語った。
「ですが、もう、アドミヤの林檎が、こちらへ売られてくることはないでしょう」
「どういうことですか?」
「アドミヤ地方は、すでに滅ぼされています。……魔物の大群によって」
思いもよらぬ話に、フェルゼッタは大きく目を見開いた。
「滅ぼ……まっ、魔物?」
「まだ一般には公表されていませんが……わが国の北部にて、魔物が大発生し、いまも南下を続けています。軍はグザドに防衛線を敷いていますが、それもいつまでもつか」
「そんな、グザドって、ガザリアのすぐお隣りの? くっ、詳しく、聞かせてください!」
動転するフェルゼッタ。
その様子から、セリナ王女も何事かを察したらしい。
「お聞かせします。……さぞ気がかりなことでしょう」
恐慌気味のフェルゼッタと対照的に、セリナ王女は落ち着き払っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
魔物の侵攻は、王国のさらに北方、ミール帝国南部の山岳地帯を、大元の発生源としている。
厳密な発生時期や原因などは不明。数年前から、既にその兆候はあったとされている。
昨年来、帝国との国境付近は完全に魔物の勢力下にあり、王国との連絡も途絶していた。
セリナは、独自の情報網を用いて、そうした情勢を独自に調べあげ、二人の兄たちにも報告書を提出していた。
ちょうど父王が病に倒れた直後のことである。
二人の兄は、セリナの調査報告を受け、一議にも及ばず、王国軍主力を北方アドミヤ地方へ送り出し、魔物の侵攻をかろうじて食い止めさせた。
軍主力の動員とほぼ同時期に、セリナは王都から追い払われた。
現在、王宮内には緘口令が敷かれており、二人の兄たちは、軍の再編、王都の防衛配備などの実務に忙殺されているという。
「わたしが把握している情報の範囲では、グザドの現状までは、詳しくわかりません。ですが、おそらく近日中にも、王国軍の防衛線めがけて、魔物の群れが押し寄せてくることでしょう」
セリナ王女が静かに告げると、フェルゼッタは、場所柄を忘れて、つい身を乗り出していた。
「そっ、それで、軍隊は、勝てるんですかッ!?」
「魔物の総数は、何万体という規模と聞き及んでいます。なかには、人間よりはるかに大きく強力な個体も数多く確認されているとか。王国軍は、常備軍をすべて動員しても、五千に届きません。おそらく、どうにか前進を食い止め、時間を稼ぐのがやっと。撃退は困難でしょうね」
「そんな!」
「もしグザドの防衛線が破られれば、後は王都まで、これといった防塁もありません。王国そのものが、存亡の瀬戸際に立たされることとなるでしょう」
「じゃあ、どうすれば……」
すっかり血色の失せたフェルゼッタの頬へ、セリナ王女は、あくまで穏やかに――しかし、ある確信を込めて、真剣な眼差しを向けた。
「わたしが魔物ハンター組合を立ち上げたのは、この、未曾有の危機に対処するためです」
セリナの蒼い双眸は、しかとフェルゼッタを見据えている。
危機に瀕する王国を救うべく、国中から、可能な限り、在野の優秀な人材をかき集め、魔物の侵攻に対抗する。
そのための、新たな組合であると――セリナは、顔つきこそ平静に、しかして口調にはわずかに熱を込めて、諄々、語ってみせた。
「フェルゼッタ。あなたには、大きな力があります。わたしの組合のハンターとなって、その力を振るってはくれませんか」
「アタシに、そんな力が……?」
セリナの熱弁に、フェルゼッタは、戸惑い顔で応えた。
「あの、アタシは……その、少し前まで、ガザリアのハンター組合で……」
「その件は知っています」
セリナは、何事でもないようにうなずいた。
「先ほど、ホルーザ氏から、およその事情を聞いていますので」
「……ホルーザ所長から?」
「ええ。三ヶ月前、ガザリアのハンター組合にて、能力的に不適格と判断されて除名処分に。その後、ガザリア側からの紹介で、この街へ来たと……」
「そっ、そこまでご存知なら、どうして、アタシなんかを?」
セリナは、既にフェルゼッタの事情を知っていた――。
動揺を隠せぬフェルゼッタ。
一方、セリナは端然と、そんなフェルゼッタの様子を眺めていた。
ガザリアでの経緯など、ごく些末なことでしかない、といわんばかりに。
「いま申し上げた通り……あなたには、あなた自身も知らない、大きな力があるのです。今の時点では確かに、ハンターとして活動するのは難しい状態ですが、そこは知識と鍛錬によって補うことが可能だと、わたしは判断しました」
「知識と、鍛錬?」
「そうです。わたしと契約し、ハンター組合に所属していただけるなら……」
セリナ王女の頬に、微紅が差した。
ここが肝要と――眼差しにも、熱が篭もっている。
「フェルゼッタ。わたしが、鍛えてさしあげます。王国最高のハンターへと」
「王国、最高の……?」
フェルゼッタは、眼をまろくして、セリナを見つめた。
「なれる、でしょうか。アタシなんかが、本当に、そんな凄いハンターに?」
「必ず。わたしの目に、狂いはありません」
セリナは静かにうなずいた。
――もとよりハンター志望のフェルゼッタ。
そうまで言われて、今更、否やのあろうはずもなかった。
「契約、しますっ。よ、よろしく、お願いしますッ!」
フェルゼッタは深々と頭を下げた。
この日。
フェルゼッタは、セリナ王女を組合長とする「セントリス魔物ハンター組合」における、最初のハンターとして、正式登録される運びとなったのである。




