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その日、純一郎は最終的に小説を買うつもりでいたが、本屋に入った時点では、どの本を買うかは未定だった。中村文則の『教団X』に目が留まった。明るい話は決して出てこないと分かりつつ、考えさせてくれるコンテンツを読みたいと思っていたので、それをピックアップしようかなと。しかし手を伸ばそうとした瞬間に、隣から女性の手が視野に入ってきて、同じ小説を取ろうとした。しかも在庫の最後の一冊。反射的に純一郎が隣に視線を向けると、女性が本を手に取ろうと腰をかがめた。咄嗟に電車の女性であることに気づいた。
「あぁ、ごめんなさい」
「いいえいいえ、いいよ全然。どうぞ」
「あ、でも、最後じゃないですか?ちょっと申し訳ないですね」
「いいよ、本当に、全然気にしなくていいですよ」
純一郎はそう言って、立ち去ろうとした。
「ちょっと待って、君、今朝電車で見た人じゃないですか?その、、、よく同じ電車を乗ってませんか?」
「あぁ、まぁ、そうかもしれませんね」
やべいバレちゃったと純一郎は思った。
「そしたら、アタシが読み終わったらあげますよ。どうせまた会いますよね?」
純一郎は一瞬戸惑った。
「いいですよ本当に。あんなめっちゃくちゃ暗い感じの小説を読むとずっと凹んでしまうので逆に辞めた方がいいかもしれません」
女性がそれを聞いて、温かく笑ってくれた。
「そんな申し訳なさすぎます。読むのは昔から早いし、これだって多分1週間位しかかからないと思いますよ」
女性が微笑みながら言った。
「あぁ、まぁ、確かにちょっと読みたいですし。でも貰うのは申し訳ないから読み終わったら返したいんですけど」
「分かった。じゃあ連絡先交換しましょうか」
純一郎はその発言を処理するのに普通より一秒かかって、一瞬躊躇ってしまった。それを見て、女性が微かに微笑んだ。
あ、はいと言ってからジャケットのポケットにあった携帯を取り出して、SNSのアプリを開いた。しばらくQRコードリーダーを動作させるのに苦労したが、ついにあきらめ、代わりに女性に自分のコードを読み取らせることにした。
「あ、神崎さん、、、よね」
「あ、はい、神崎です」
「よーし、追加しました」
女性の友だち申請が携帯の画面に映った。荒川紗季と書かれた。
「荒川さんですね?」
「紗季でいいよ~」
「あ、そうですか。じゃ、ええと、紗季さんですね。読み終わったらよろしく」
(これってもしかして?)と純一郎は思ってしまった。
(伝説の逆ナン?!、、、なわけねえけどな)
正直に言えば可愛いし。バレているのかな。
本格的に緊張し始めたが、会話はすぐに終わりを迎えた。
「はい、また連絡しておきますね」
紗季さんはそう言ってからレジへ向かった。
純一郎の方はしばらく読みたい本を探している振りをしてから、何も購入せずに帰った。
荒川紗季から何の連絡来なくても不思議もないと思ったが、朝の電車でまた見たら気まずくなるだろうと感じたので、一週間ぐらい違う車両に乗ることにした。
だが、想定外のことに、一週間経てから、紗季から連絡がちゃんと来た。しかも、結局一緒に食事をすることになった、つまりはデートになってしまったのだ。そして、あっという間にその荒川紗季がどういうわけか神崎純一郎の彼女になって、1年間の付き合いが始まった。純一郎にとって、その1年間の付き合いは、愛の温もりと幸せに満ちた日々だった。
だが、平家のように、諸行無常、盛者必衰。
幸せの1年間の後、暗い憂鬱な1年間の前、ある11月の雨が降っていた夜に、荒川紗季が消えてしまったのだ。