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(ちょい改訂しました。内容変更ありません)
エドガーは、ルチルダにつかず離れずの対応を続けた。
レティツィアからの手紙に書かれていた通り、好きな女性は「白い花のような人」と答えると、ルチルダは機嫌を良くした。それは、普段ルチルダが自身の褒め言葉によく使われていたからだ。
ルチルダから、エドガーの反応が悪くないことを聞いた第三王妃は、隠し球であった「フェリクスはルチルダを差し置き、他家の令嬢にうつつを抜かしている」という噂をさりげなく王に伝え、今のうちにかわいいルチルダのためにフェリクスとの婚約を解消することを提案した。
王は浮気くらいで婚約を解消するような軽い縁組みではない、と言ったが、やがて、その相手が身ごもったらしい、と言う噂を重ね、さらにフェリクスが投資に失敗したらしいと言う噂まで流すと、王はバルト家家長シュテファンを呼び、事の真相を尋ねた。
シュテファンは、噂の一部は事実であり、一部は違う、と答えた。また、ルチルダ王女側のこの最近のエドガー王子への執着についても、バルト家としては承知しがたいことを伝え、王が望むのであれば、婚約はなかったことにすると申し出ると、王は解消を示唆した。
無事自身の婚約が解消されると、ルチルダのエドガーへの接触は遠慮なく、露骨なものになった。
学園の一年生の間では、あの黒蛇王女を相手にするくらいならルチルダ王女の方を好んでもやむを得ない、と言う風潮が漂っており、あたかも「悲恋」とでも言わんがばかりの噂に囲まれ、同情的な周囲に押され、ルチルダも自信をつけていた。
エドガーも、受け入れる素振りはないが、まんざらでもない感じでそばにいることを許している。
異母姉であるレティツィアも、見て見ぬ素振りをするのはいつも通りで、大してエドガーに興味がないように見えた。ルチルダは、姉もまた意にそぐわない相手と別れられることを喜ぶかも知れない、とさえ思った。
そして迎えた、エドガー卒業の日。
卒業の式典の後の華やかなパーティでエドガーがエスコートしたのは、本来の相手であるレティツィアだった。
レティツィアは濃い緑のタイトなラインのドレスを身にまとい、首元から手首まで、しっかりと布に隠された体は、逆に噂の鱗の存在を連想させた。
レティツィアは最初のダンスだけ踊ると、後は周りの視線に遠慮して、壁際の椅子に腰を下ろし、飲み物を手にした。
すかさず、ルチルダがダンスを申し込んだ。
ルチルダのドレスは、エドガーが着ているプルシアンブルーの外套に近い、コバルトブルーだった。オフショルダーのドレスの胸もとにはサファイアのネックレスが輝き、まるで二人を今日の主役であるかのように引き立たせた。
事前に調べておいて良かった、とルチルダは満足した。逆に、パートナーと服の色も合わせる気のないレティツィアはエドガーにふさわしくない、と改めて思った。
しかし、ダンスを終えると、エドガーはあっさりとルチルダの手を離し、婚約者であるレティツィアの元へと向かった。
当のレティツィアは、今まさに帰ろうとしていた。
「レティツィア姫、今宵は最後のパートナーとなりましたが、今までありがとうございました。どうか、お元気でお過ごしください」
決して大きな声ではなかったが、周囲の者は一斉に二人に視線を送った。
「エドガー様も、お元気で。お国でのご活躍をお祈りしております」
そうして、きれいな礼を見せると、帰りのエスコートを受けることなく、一人でその場を立ち去った。
二人が婚約者ではなくなったのだ、と周りの者達は察した。
ルチルダは、次は自分の番だ、そう思い、エドガーが来るのを待っていた。
しかし、エドガーは同じく今日卒業した学友達に囲まれていた。
「とうとう許可が出たか!」
うちの一人が叫んだ。
「いやあ、おめでとう!」
「よく許してくれたな」
「レティツィア姫の口添えがあったからだよ」
このような集まりを嫌いながらも、自分をエスコートし、必ず去り際に自分たちの立場がわかるような別れをするよう示唆したレティツィアの背中を、エドガーは敬意を込めて見送った。
ルチルダは、レティツィアの口添え、と聞いて、まさかあの姉が自分のために動いてくれたのか、黒蛇王女も思ったより良いところがあるじゃない、と、少しだけ姉への評価を上げ、ステップも軽くエドガーへと足を寄せた。
「リリアーネとの婚約を復活させることができて、本当に嬉しい。一日も早く国に戻りたい」
そこに出てきた名前に、ルチルダの足が止まった。
「り…リリアーネ?」
思わず、その名を復唱した。
すると、すぐそばにいた異母兄、第三王子のシモンが答えた。
「そうだよ、エドガーは元々リリアーネ嬢と婚約していたんだが、父上がレティツィアの鱗を蛇のようだって言ったせいで、フランシアの王が変な興味を持って無理矢理あいつとの婚約を打診してきたんだ。だが、つい先日、うちとは円満解消することになり、元の鞘に収まったのさ」
シモンもまた、上機嫌な顔で、レティツィアを見送っていた。
「姫は我が父に手紙をお寄せくださいました。『背中の鱗は蛇ではなく、魚に近いがいいのか』と。フランシアでは魚はあまり好まれないため、国民の反感を買うのではないかと危惧していらしたそうです」
そんなまやかしじみたことであっさり婚約が解消されるとは思えなかったが、フランシアの王は占術師でもあり、吉凶に関わることにはかなり神経質だった。
黒い鱗の吉祥を持つ乙女こそ、自国に繁栄と平和をもたらす、それは占いにもはっきり出ており、確信はあった。
なのに魚の鱗、と言われて、途端に気持ちが萎えた。
そのうえ、手紙には
この手紙を送ろうと決意した夜に見た夢で、エドガー様が白百合の咲く野原にいました。
エドガー様が黒い蛇を野に放ち、百合の花を手にすると、雨が上がり、虹が出ました。
私には、この夢がどうしても気になって仕方がありません。
この夢のお告げこそ、正しい道なのではないかと思われるのです。
と書き添えられていた。
レティツィアが書き記したそれは、まさに吉祥の夢だった。
吉祥の鱗を持つ者の、吉祥の夢。
白百合は、百合の名を持つリリアーネのことだと、すぐに判った。
先の婚約者であったリリアーネとエドガーが、幼い頃から七年にわたる婚約者としての交流でお互いを悪からず思っていたことは、フランシアの王も知っていた。
エドガーの卒業までに決意をすれば、父王の説得に応じる。そう言われ、フランシア王は大いに悩んだ。
エドガーに宛てた、レティツィアの手紙の指示は、エドガーにとってはさほど問題のない、当たり前のことだった。
これまでも書き続けていたリリアーネへの手紙を欠かすことなく、ルチルダへははずみでも決して欲情することのないよう心がけながらも、少々気は引けたが、気のある素振りは続けるようにした。
フランシア王は、学園の休暇でエドガーが一時帰国した際、エドガーの本意を尋ねた。
エドガーのリリアーネへの気持ちは変わらず、このことは今の婚約者であるレティツィアも知っていることを確認すると、フランシアの王はレーヴェン王国の姫との婚約解消の道を選んだ。
そして、リリアーネに、王家の都合で惑わせたことを詫び、エドガーへの気持ちを再確認し、再度の婚約を打診した。
リリアーネの親からはかなり渋られたが、本人の意向により何とか了承を得、リリアーネはエドガーの婚約者に返り咲いた。
レティツィアは、フランシア王の決意を受け、父王の元を訪ねた。
「エドガー様には、私の他に心をお寄せになっている方がいらっしゃるようです」
少し、寂しげに俯きながら、レティツィアは慎重に言葉を選んだ。
「私は残念ながらエドガー様とお心を通わせることができませんでした。両国のこれからのため、まずはエドガー様を通じて、フランシア王に婚約の解消を働きかけたいと思うのですが、よろしいでしょうか」
父王も、ルチルダとエドガーの噂は第三王妃から耳にしていた。
「おまえは良いのか? この話を逃すと、次にいつ縁談が来るかは判らぬ。エドガーは温和で実直な好青年と聞いている。恋心がなくとも、信頼に足るのではないか?」
「恋心と信頼が共にある者を目の前にし、その邪魔をする気持ちはありません。何とぞ父上の寛大なるご配慮を」
レティツィアの話を受け、レティツィアからルチルダに婚約が代わるだけであれば、フェリクスとの婚約解消で傷心のルチルダにとってもいい話だ、と思い、その後、フランシア王から届いた解消の申し入れを受け入れた。
しかし、話は解消だけで終わり、その後、ルチルダへの婚約の申し込みはなかった。
遡ること数ヶ月前。
黒い封筒に入った手紙は、ルチルダの元婚約者、フェリクスの元へも届いていた。
今の隠れた恋人を妻にしたいのなら、婚約解消の方法を伝授しても良い、ただし、多少の黒い噂に我慢できるなら…。
ルチルダの母、第三王妃が流した、子供を身ごもっているデマ、相場取引に失敗したデマをあえて消さず、実際に小ぶりの相場取引で失敗した「事実」を作った。
そして、バルト家当主シュテファンにも黒い手紙が送られ、今の隠れた恋人が王国でも指折りの大商人の娘であり、ルチルダには今夢中になっている他国の王子がいることが伝えられた。
見た目は麗しいが、わがままな第四王女よりずっといい話だ、とシュテファンは打算した。
フェリクスから現状を確認し、第三王妃の流した悪評と、真実と思わせるための「事実」があることを知ると、少し腹黒くなった息子を喜ばしく思った。
王の呼び出しを受け、語られた事情も鹹味し、第三王妃の言葉を鵜呑みにするだけの王に見切りをつけることにした。シュテファンは予定していた通りの交渉を行い、無事、婚約解消を勝ち取った。
フェリクスは二ヶ月後に恋人を正式に婚約者に迎え、やがて結婚した。
ずいぶん手間がかかった、と、レティツィアは溜め息をついた。
自分の婚約を解消したかっただけなのに、一年もかかろうとは。
学園で受けた根拠のないいじめを理由に、学園を中退することを許可され、他国であっても背に鱗を持つ自分に婚約は成り立たないことを証明して見せたことで、ようやく父王はもらってくれるなら誰でも良い、と言った。
それをそばで聞いていた側近のラースは、
「王よ、ありがとうございます!」
そう言うと、レティツィアの手を握り、そのまま二人は国を抜け、背の鱗など気にしない国で幸せに暮らした。
レティツィアの背中の呪いは蛇でも、魚でもなく、尻尾を踏んで怒らせた竜のものだということは、本人しか知らない。
そして黒竜の鱗が黒蛇以上に吉祥であることは、レティツィア自身でさえ知らなかった。