中
ある年、隣国フランシアの王から縁談が来た。
あえて「黒蛇王女」を指名し、第二王子エドガーとの婚姻を打診するものだった。
フランシアでは、蛇は吉祥であり、特に好まれたのは白蛇ではあったが、黒い蛇であっても決して不吉なものとは見なされていなかったのだ。
婚約はレティツィアの意思を問うことなく、王の一存で早々に交わされ、第二王子エドガーは「留学」で一年間、レーヴェン王国に滞在することになった。
そのために、王城からほとんど出ることのなかったレティツィアも、王立学園に通うよう取り計らわれた。丁度、入学の年であったこともあり、婚約が決まったことで、王も姫を人との交流に慣れさせる必要がある、と考えたのだった。
自分の背中の呪いの「おかげ」で学校に行かなくても済む、そう思っていたレティツィアにとって、それは残念で恐ろしい知らせだった。
しかし、王の言いつけを守らないなどと言うことはあり得なかった。
世間でかわいいと言われていた制服は、レティツィアだけブラウスがハイネックに変えることが許された。それは、蛇を嫌がる国民性に配慮したものだったが、レティツィアにすれば、不吉を背負う自分をわざわざ人の集まる学園に通わせる方が、よほど配慮に足りないのではないか、と思われた。
昔は共に遊んでいた幼なじみも、黒い鱗を背負ってからは縁遠くなり、久々に会ったところで怯えて声もかけてこない。
対して、同い年の第四王女ルチルダは、誰とでも気軽に話し、多くの取り巻きに囲まれて、楽しそうに学園生活を送っていた。
服装は特例が認められたが、全寮制の特例を認めてはもらえず、レティツィアもまた寮で暮らすことになった。
好奇の目のさらし者になることが、昼間だけでなく、夜も続く。
普段自分をかばってくれていた護衛のラースもいない。
部屋付の侍女は王城から同行し、自分をよく知る者ではあったが、それは背中を見ても怯えない、という程度のものだ。
食事も、部屋で済ますわけにはいかない。何をするにも気疲れし、ため息が出た。
初めは何をするのも気が重かったが、人々の好奇心は長くは続かず、一月もすると、誰とも接しなければ特に何も起こらない、ということが判ってきた。
婚約者と言われたエドガーとも、学年が違うこともあり、接点はほとんどなかった。月に一度呼び出され、学園の片隅のサロンでお茶を飲み、世間話をする。嫌な相手ではなかったが、それ以上でもなかった。
他国の王子であり、見た目も悪くなかったエドガーは、そこそこ人気者だった。
三ヶ月もすると、そこが新たな問題になった。
エドガー様の婚約者があの黒蛇王女だなんて
毎日を目立たないよう、控え目に過ごしていたレティツィアがターゲットになった。
王女でありながら、擁護する者はいない。唯一の身内、父王は忙しく、学園でのささやかな日常にまで関与する隙はない。
かといって、王女に手を出すほどの勇気もない者達は、あらぬ噂を流すことで、レティツィアの評判を落とすことにした。
妹であるルチルダの物がなくなった。レティツィアが隠した。壊した。奪い去った。
ルチルダに嫌みを言っている。
校舎の裏で突き飛ばしているところを見た。
レティツィアの嫌がらせでルチルダは夜も寝られない。成績だって落ちている。
そこまで来て、レティツィアも噂の真相がだんだんと分かってきた。
ラースに送る定例の手紙でさりげなく聞いてみると、思った通り、ルチルダは八歳からの婚約者バルト家のフェリクスとの婚約を取り下げる準備をしているようだった。
なるほど。
母違いの妹は、姉の呪いを利用して、敵対する道を選んだらしい。
第三王妃にしても、侯爵家であるバルト家よりも、隣国の王家の方が良い、と踏んだのだろう。
ルチルダは色白で、金色の美しい髪をしており、人怖じをせず、話題の引き出しも多く華やかな人だ。婚約者がいても好意を持っていることを隠そうとしない男達もいる。
エドガーが興味を引くなら、自分よりはルチルダだ、レティツィアはそう思った。
月一回のお茶の席で、レティツィアは思い切ってエドガーに聞いてみた。
「妹の…ルチルダのことをどう思われますか?」
突然出てきたその名に、エドガーも戸惑っていた。しかし、最近ルチルダが自分のそばに頻繁に出現し、話しかけてくること、食事やお茶の同席を求められるようになっていることから、婚約者が自分の不義を疑い始めたのだろう、と思い立った。
「君が思っているような関係ではありませんよ」
なだめるつもりでそう言ったが、レティツィアは、
「いえ、思ってるような関係でも、そうでなくても、どっちでも良いのです」
と返した。
「あなたの国では、蛇を吉祥とすると聞いています。私の背の呪いから黒蛇を連想し、吉祥を持つ者と思われたかも知れませんが、色白の蛇の方がお好みでは?」
そう言って、今まで見せたことのない、何かを含んだような笑みを浮かべた。
それを見てエドガーは、この子は自分が思っていたような、呪われた可哀想な子ではないのかも知れない、と思った。
「…正直に言って良いですか?」
レティツィアはゆっくりと頷いた。
「ルチルダ殿は…。婚約者がいながら、私にも色目を使うような方はあまり好きではありません」
「建前ではなく?」
いきなりの直球だが、
「ええ」
と正直に答えると、
「ふーーーーん?」
と、おおよそ王族が使いそうにもない言葉で同意とも取れない返事をし、エドガーを見る。その目は値踏みをしているようだった。
「もうすぐ、婚約者はいなくなるようですよ? それなら?」
「…関係ないですね」
自分をじっと見る視線に色気はない。とても浮気の心配をしている女性には見えなかった。
しばらく間を取った後、
「…『リリアーネ』?」
いきなり出てきた名前に、エドガーはうっかり反応してしまった。
それを見て、レティツィアはにっこりと、王族にふさわしい笑みを浮かべた。
「白蛇よりも、白百合がお好みですか。では、吉祥の黒蛇からのご提案を」
そう言って差し出した黒い封筒は、一つは隣国の王、エドガーの父に宛てたもの、もう一つはエドガー自身に宛てたものだった。
その場では、それ以上の話は何もなく、今までと同じ「お茶会」はいつも通りに終わった。