問題
「理由は話してくれるのか?」
職員室のドアを叩き、呼ばれて出てきた桐乃に憑傷は開口一番、説明を求めた。
「立ってるのも疲れるし、入って座れ」
そう言って促され、憑傷は職員室内のベンチに並んで座った。
そして、いつまでも身につけている白衣のポケット部から桐乃は一本のキャンディを取り出し、包装を取り除き徐に口に含んだ。
「で、理由だったか?説明するのも理解するのも簡単だ。なにせ単純な話だからな。
お前が入寮するのに反対してる奴がいる。それでそいつがかなりのわがまま。それだけだ」
なるほど確かに理由は単純だ。
今の説明だけで面倒くさいことになる理由は理解できる。
しかしその説明では、新たな説明が必要になってしまう。
「反対する理由はなんだ?」
憑傷の疑問は当然のものだし、桐乃はその説明も求められることを分かっていた。
「今日寮生何人に会った?」
「騙裏と紫乃静寂の二人だ。
あの二人は反対しているようには見えなかったが」
正確に言うとシオにも会ったのだが、言う必要性を感じなかった憑傷は、敢えて口に出すこともしなかった。
「ああ、あいつらは違う。
そもそも他人に興味がないからどうでもいいんだろう。
まあ騙裏は嬉しがっていたな。」
後半、気になる一文が足されていたが、憑傷に掘り下げる気がなかったため、話の腰が折れることはなかった。
他の寮生の容姿、名前、学年、他、何一つ知らない彼にとって、情報の無い推理をこれ以上続けるのは無意味だ。
「これ以上考えても全て憶測にしかならない。
答えを教えてくれ」
「もう一つ質問を用意してある。
それでわからなかったら教えてやろう」
用意という言葉と、どこか楽しそうにしている桐乃を見て、憑傷は辺りを軽く見回し、準備室の鍵の在処を探した。
発見することができなかったので、すでに桐乃の手中にあるという憶測と、長く付き合わされる覚悟、その二つを用意した。
「今日何かハプニング的なことがあったんじゃないか?
例えば着替えを覗いたとか」
「...俺を犯罪者か変質者にでも仕立て上げたかったのか?」
彼には身に覚えがありすぎる話だ。
そして桐乃のこの質問はあまりにタイムリーだったため、仕組まれたものだと思えてしまえる。
目の前ではははと笑う女を見て憑傷は、穴があったら入りたい、じゃなく、穴に埋めてしまいたいという気持ちになった。
「まあお前の能力と状況を考えると、相手は騙裏だろ。
だったら別に問題は起こらなかったんじゃないか?」
確かに何もなかったが、外聞は相当悪い。
シオに内情を知られた件と、今の一件、この二つは憑傷の居心地を一層悪くした。
「はあ...つまり特別寮に男がいないということか」
「正解だ」
桐乃の質問の意図を汲み取り、あの場での騙裏の様子を思い返した結果、油断していたことと男の声で焦ったこと、この二つが憑傷には引っかかった。故にこの決に至ったのだ。
数瞬のうちにそこまで考えてしまえるのだから、彼の頭の回転は並ではないだろう。
「中等部のわがままお嬢様がな、女所帯にいきなり男を入れたくないと言って聞かないのさ」
尤もな話だ。
他人が自分の居住空間にいきなり侵入してくる。これだけでも人間は大量の心労を伴う。そこに異性、しかも同性しかいなかった空間にだ。中学生のその身には、他の人にはわからない程の膨大なストレスがかかっていることだろう。
それを理解する憑傷が出した答えは。
「しばらくは距離を置いて様子を見るか」
問題の先送りだ。
「説得するのは厳しそうだし、それが正解だな」
桐乃も同意見のようだ。
臆病な選択だが、それは賢くもある。
この二人はどちらも失敗を酷く嫌っていた。
「正解だが、満点はあげられないな」
桐乃がそう言う。
こう言う時の彼女は大体、百ではなく百二十の解答を用意している。
そしてそれはかなりの確率で二十の部分が無茶を言ってくるのだ。
心得ている憑傷は、既に言い訳を頭の中で構築し始めた。
「様子を見るだけじゃなく、お前の方から歩み寄るべきだ」
し終えたが、それを口には出さなかった。
彼の中で、提示されたその案を否定できるだけの論が組み上がらなかったためだ。
時間だけが解決してくれる問題じゃないし、この学園にきてから一日も経たない憑傷の人脈では、第三者の介入も見込めない。
それにこの件は早期解決を求められている。
最適解を出すことは、彼には叶わなかった。
時間はかかるが確実に成功する案を立てることは簡単だ。
自分から積極的に動くことが少ない憑傷にはそちらの方が性に合っているし確実性も高い。
しかしそれでは時間がかかりすぎるし穏やかではない。
憑傷は浮かんだ全ての案を捨て去り、桐乃が提案した方法での最適解を模索し始めた。
「女子中学生と確実に距離を縮められる方法なんて思いつかないし、早期解決は難しいと思うが」
「この件に私が求めてるのは過程の方だ。
結果よりもそっちの方が得られるものは多いだろうからな」
それは結果を期待していないようにも思える発言だが、こと翡翠憑傷にとっては完璧な結果よりも、完璧な過程を用意することの方が難しいのだ。
「手伝ってはくれないのか?」
そう言いつつも、憑傷は助けを請うような態度ではない。
「私は大人だからな」
断られることをわかっていて、最初から期待していなかったのだろう。
桐乃が言った『大人』とは、おそらく若くないという意味だ。
中高生の仲立ちは荷が重いのかもしれない。
「教師が生徒の手助けをしないのは妙だな」
わかっているだろうに、容赦無く嫌味を食らわせる。
試すかのような桐乃の態度に、溜まるものがあるのだろう。
「これは上司から部下への命令みたいなものだ。
だから失敗の責任は持つし、期待もしている」
乗り気ではない憑傷でも、少しはやる気が出る台詞を用意していた。
「存分にやればいい」
期待されている過程も、最適な選択も、何もわからない憑傷が、それでもやろうと思ったのは、この言葉がきっかけだったのかもしれない。
しかし彼は、やると決めたことに妥協はしない。
ただ一つの信念、あるいは目的意識、いや、呪いを持ってその全てを制圧し、完璧な結果をもたらしてきた。
『失敗は許されない』
いつしかこびりついた、呪いのようなその思想は、圧倒的な使命感によるものか、失敗を恐れる弱者の暗示か。
過去を写す翠の眼には、結果を照らす光がない。
「楽しい幕開けにはならなそうだな」
彼にとっては明日が初の登校日になる。
波乱の予感を覚えた胸のざわめきを静かに抑え込み、来る翌日に向けての決意だけが胸中に残った。
「物語の始まりなんて落ち着いているものだろう。
お前には既に仲間もいるし、スキルだって身についてるはずだ。それで解決できないほど複雑な話じゃないし、手強い相手でもない。
厳しいと思ったら仲間を頼れ。それくらいが丁度いい」
諭すような、落ち着けるような、優しい口調だ。
おかげで憑傷は、自らがおこなった軽率な救助要請を反省することができた。
「その時は存分に頼らせてもらおう」
「お互いにな」
そんなことを言い合い、職員室での長話は、明日の動きを確認し終えると同時に終わりを迎えた。
これからその身に降り掛かるであろう不幸、問題、選択、その全てを想像しても、憑傷の心中には余裕があった。
心強い言葉のおかげか、それ以外の圧倒的な何かか。
いずれにしても、彼の眼に期待はなかった。
本サイトに投稿されている他作品を見たところ、行間が多かったため、郷に従ってみたしだいです。
今話からは改行多めでいきます。