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イスファターナ戦記  作者: 結月詩音
一章 暗殺集団『飛燕』
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出会い、広がる未来


 会談の当日。場所は帝国とイスファターナの国境に程近い、帝国領の通称『森の離宮』。ジュランは正装に身を包んで、今日は護衛に徹するヒュバルの前に現れた。

 

 「どうだ?皇帝っぽく見えるか?」

 「皇帝じゃないといけないんですよ、今日は」

 

 ヒュバルがそう言うと、ジュランはため息をつく。

 

 「どんなに目が悪い奴でも、歳の差くらいはわかるだろう。まして、一国の王に仕える側近に馬鹿はいないだろうし」

 「そんなこと言わずにしゃんとしてください。もうすぐお時間なんですから」

 

 そんなことを言っているうちに、昼過ぎになった。

 イスファターナの方角から馬車がやってくる。 イスファル様式の、所々渦巻いた装飾が施された馬車は国王代理の人間が乗っているだけあってとても豪華だ。

 その場車の中から一人の男が出てきた。深く帽子をかぶり、黒い正装で現れた彼は、少し離れた位置から見るヒュバルにさえ隙がないことを感じさせる。それでいて彼は誰の目にも好印象だった。

 

 「お初にお目にかかります。イスファターナ皇国アドロフ三世帝の使者で参りました、シュワーム=グリュネールです。この度はこのような席を用意していただき、恐縮の極みでございます」

 「こちらこそ、隣国とはいえ遠い異国の地まで足を運んでいただいて恐縮する、シュワーム殿。カルデミナ帝国ヴィクタート一世だ。今日より迎える会談が、両国により良い未来を開くことを願っている」

 

 シュワームというイスファターナの使者は、小さく礼を施す。その姿ですら美しかった。

 

 「陛下にお会いできたことを我が一生の誇りといたします」

 「まずは旅の疲れを癒されると良い。用意させているゆえ、遠慮なく申されよ」

 「お心遣いに感謝します、陛下」

 

 互いに探り合いの挨拶を済ませ、夜の会談までしばしの休憩を得たジュランは、部屋に戻るとふかふかの椅子に大きく腰掛けた。

 

 「…疲れた」

 「すごい人でしたね、隙がない」

 

 ヒュバルはジュランに紅茶を運びながら言った。

 

 「暗殺的に考えるならな。さすがにこう、厚い風格を纏っている。しかもあれは、俺が皇帝でないことを知った上で話に乗ってくれたな」

 「まだ、小芝居を続けるんですか?」

 「いいや、それではこの会談の意味は無くなってしまう。夕食で明かすよ」

 

 その夕食の時間が、両国が最も緊張の走る時間となった。

 

 「先だって、我が国とソウェスフィリナとの間に大きな戦争がありました」

 

 夕食のデザートまで終わり、一段落ついたところで、シュワームが言った。

 

 「存じている」

 

 ジュランはまだ皇帝として振る舞ってみせる。

 

 「ソウェスフィリナは好戦的な国。今は我が国も耐えておりますが、いつその均衡が崩れるかはわかりません。イスファターナ帝は両国が戦争に関わらず、この先互いに万一があれば援助し合える約定を是非結びたいと申しております」

 

 シュワームの言い分は、最終的には喜ばしいことであった。しかし、ジュランは一言にそれを許容するわけにはいかなかった。

 

 「なるほど。そなたも知っていると思うが、帝国は長い間、どの国とも干渉しないことによって自国内の国民の平和を保ってきた。確かにソウェスフィリナの国力はかつて帝国が栄華を誇った時に近づいている。それは脅威ではあるが、私はイスファターナとて決して国力が劣るわけではないと認識している。そなたさえ構わなければ、イスファターナ側が、我が帝国と約定を交わす利点を教えてほしいものだ」

 

 援助の約定。それは、これまで戦争を避けてきたカルデミナ帝国にとっては少しばかり立場が優位な状態で結ばなくてはならない。正直、帝国は今のイスファターナの軍事力に対抗できるだけの力がない。それは武器の数や兵力の問題ではなく、意識の問題だ。長らく戦禍から離れて生きてきた国民をいきなり戦争に投じても、士気は無いに等しい。

 そんな状況でイスファターナが仮に食料を援助してほしいと言う。そうなれば、その年の食料の納める率を上げないといけなくなる。他国の戦争に今現在、無関心の国民はそれに素直に従えるか、怪しいものだ。下手を打てば反乱の可能性だってある。

 遠い未来を予測した約定は、今現在にも適したものでなくてはならない。できる限り、こちらが有利になるような約定を結びたい。それが、ジュランの本音だった。

 

 「イスファターナが求めるのは、以下の数個だけです」

 

 ジュランの心の内を悟ったようにシュワームが言った。

 

 「一、帝国とイスファターナとで結んだ約定以上のものを、ソウェスフィリナと結ばない。

 二、ソウェスフィリナとの戦争の最中に、イスファターナの国境を犯さない。

 三、定期的に使者を送り、互いの国の関係を後世に向けて磐石なものにしたい。

 

 以上が、イスファターナが求める約定です」

 

 これは、協調を根差したイスファターナ帝の意思であると、シュワームは付け加えた。

 

 「イスファターナも安定しているわけではありません。それは、失礼ながら帝国も同様かと思われます。我々は私達の未来の者達が、互いの国との関係を持つための足掛かりを作りたいのです」

 

 未来への足掛かり―ジュランは考えていた。

 今の皇帝がこれを容認さえすれば、皇太子がイスファターナとの友好をさらに深められるかもしれない。そうなれば、戦わずして帝国は味方を得られる。今の皇太子にはそれができる。

 ジュランは自分の甥であり、弟である現皇太子をその器に足ると認めていた。皇太子が帝位につけば、なし得ることだと確信した。そして今の皇帝も、これが悪い話ではないとわかるはずだ。この国を思うのであれば―!

 今までのこの国に関する色々な考えが、ひとつに繋がったような気がした。国の安定が得られる、おそらく唯一の道。ジュランは顔をほころばせて口を開いた。

 

 「失礼。少々、あなた方の提案に驚いてしまいました。確かに帝国は安定していない。帝国の未来を模索しようにも、帝国は長らく国交を閉ざしてきました。貴国からの提案も何年もつか、そして今に適応できるか、懸念していたのです」


 シュワームは頷く。


 「お考えは当然のことと思います。ですが、先のことは先の者に任せればいいでしょう。その頃にはどうせ我々は生きていません。生きている間は先の者の荷が軽くなるように最大限の努力をする。その姿を忘れればそれまででしょう」

 

 シュワームのその考えは、その場にいた両国の人間を納得させるだけの力があった。外の警護のため、木の上から会談を聞いていたヒュバルも、体を突き抜けるような新鮮さを感じていた。ヒュバルと同じく、ずっと目の前のことばかりを見て生きていたジュランにも、きっと同様の感覚がもたらされたはずだろう。

 

 「特に、お若い陛下には先を急がれることもないかと。失礼ながら年長の者の言葉としてお耳に入れておきましょう」

 

 シュワームがにこりと笑った。

 

 「…さすがにお分かりでしたね。これまでの非礼をお詫び申し上げます。改めまして、皇帝ヴィクタート一世の弟、キフィルニア=ジュラン=カルデミナと申します。初めてご挨拶したときに、すでにお気づきだったと思いましたが、ご厚意に甘えてこの夕食で明かそうと時を見計らっておりました」

 「イスファターナ帝とさほどお歳は変わられぬと思っておりましたので驚きましたが、皇弟おうてい殿下でしたか。おいくつなのでございますか?」

 「二十二です。歳は若くとも、顔は本当に似ているのです」

 

 シュワームは頷きながら答えた。

 

 「いやぁ、私も肝を冷やしました。初めは若作りの陛下と思いましたから、このように日焼けした自分が御前に出るのは恥ずかしいもので」

 「よく外に出られるのですか?」

 「イスファターナ帝は視察が好きなものですから、時間さえあれば馬であちこちを駆けております」

 

 シュワームは紅茶に一口、口をつけると言った。

 

 「では、改めてよろしくお願いします、キフィルニア殿下。私は何やらあなたとは仲良くできそうに思うのです。会談は三日後まであります。互いの国を知り、両国にとってより良い約定を結びましょう」

 「はい」

 





 初夏の夜風が心地よく吹いている。ヒュバルは会談が穏やかに終わったので、胸を撫で下ろしていた。

 

 「ヒュバル様」

 

 ハクが静かに現れた。

 

 「どうだった?怪しいやつはいなかったか」

 「ええ。いたらとっくにお気づきでしょう」

 「そうかもしれないが、それでも手を抜かないお前の仕事をを信頼しているからな」

 「では報告を。両国からの近衛兵を含め、怪しい者はいませんでした」

 「了解した。ほら、食べていけ。何も食べていない空きっ腹の足しになるだろう」

 

 ヒュバルはいつも小さめのカップにスープを入れて持ち歩く。心地よいとはいえ、少し肌寒くも感じる今夜、スープの温もりは恵みのようでもあった。

 

 「ごちそうさまです、ではまた」

 

 颯爽とハクが去る。ヒュバルが会談の部屋に目を移すと、ちょうど終わったようだった。ジュランには宮殿の近衛兵がついている。何より、本人はその兵達より強い。というわけで、ヒュバルはその足で今度は『森の離宮』の警備を独自に始めた。

 






 夜も更け、月が中天した頃、中庭を回っていたヒュバルは人影を見かけた。

 

 「誰だ!」

 

 しかし、ヒュバルは取り出した暗器をすぐにしまうことになった。そこにいたのは、イスファターナ帝の右腕として使者に来ていたシュワームだったのである。

 

 「帝国の警備の人間か。怪しませてしまったな。すまない」

 「いえ、こちらこそ失礼をいたしました」

 「…帝国の近衛兵の服装ではないように見えるが」

 

 ヒュバルは少し答え方を考えた。

 

 「普段はキフィルニア殿下のお側に仕える者です」

 

 そう言ったヒュバルを、シュワームは上から下までじろりと見つめた。そしてひとりでに納得して、視線を頭上の月へ運ぶ。

 

 「側近の貴殿に言うのはなんだが…殿下は時に、いわゆる王族の方が考えることとは違う視点から物事を見ているように感じた。私ももとは貴族でも何でもないただの平民で、イスファターナ帝に取り立ててもらった者。ふと、平民一人一人をよく考えておいでだと思ってね」

 「…」

 「それは貴殿のように、若い側近の力もきっとあると思う。でも…貴殿に言っておこう。年寄りの独り言と思ってくれてもいい」


 親子ほども歳の離れたヒュバルにすら、シュワームは対等な立場で話す。ヒュバルもそんな人物からの言葉に耳を傾けた。


 「殿下は人を信じることを望まれながら、何度か躊躇われるような節があるようだ。貴殿に対しては心を開いているかもしれないけど、それはそれだけの関係を築いてきた時間があったからじゃないだろうか。もしかしたら、この先殿下はそれに苦しまれるかもしれない。そのときは、貴殿が殿下の目となって支えてあげなさい」

 

 シュワームは説教臭くなったとヒュバルに向かって謝った。ヒュバルは何か口にしたかった。きっとそれはジュランを思ってくれたことへの感謝なのだとわかっているのに、言葉にするのが難しくて、しばらく口ごもってしまう。

 

 「…殿下のこれまでの人生は、誰よりも壮絶で、苦しいことの方が多かったと思います。それでも、自分の生まれたその身分とも向き合ってきた殿下です。私は殿下に生かされました。真似をしたり、学んだりしても、殿下には敵わないでしょう。シュワーム殿が仰ったように私は殿下が生きる道の支えになりたい。お言葉は胸に刻みます。助言していただいて、ありがとうございました」

 

 ヒュバルは深々と頭を下げた。シュワームは小さく笑う。

 

 「キフィルニア殿下は信じたいと思わせる方だ。とても人を惹きつける何かをお持ちだ。仕えたいと思う方に出会えるのはまさに時の運命。私も今の主人に出会えたことを奇跡とすら思っている。貴殿にとっても殿下はそんな御方なのだろうね」

 「はい」

 

 ヒュバルの返事を聞いて、部屋に戻ろうとしたシュワームは、少し歩いて足を止めた。

 

 「頼みがあるんだが、明日はきっと雨が降る。だから、夜の警備の者が風邪を引かないように手配してくれないか」

 

 ヒュバルは空を眺めたが、雨が降りそうな雲はひとつもないし、むしろ星がきれいに見えている。

 

 「雨ですか」

 「夏も前だというのに、ここ最近では一番寒い夜だ。杞憂にすめばいいのだが、昔から私は当ててしまうんだ。では、私はお暇させてもらうよ。君もご苦労様」

 

 これが、シュワームと初めて交わした会話であった。そして再び彼と深く関わるまでにそう時間はかからなかった。

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