その身の姿
四年が経ち、ヒュバルは十三歳ジュランは二十二歳となった。ジュランは青蘭として組織内で一つの派閥の長として、その力を増していた。
ヒュバルはそんなジュランの心の支え兼右腕として働き、いつかは青蘭を継ぐことになるだろうと早くも噂されていた。
「ヒュバル様、ご報告を申し上げます」
ヒュバルには信頼するハクという部下ができた。歳は一つしか変わらない十二歳。剣によって左目を負傷し、長い黒髪で隠し、普段はほとんど姿を現すことはない。主にヒュバルのために情報集めを行う彼だが、その実力はヒュバルに劣らない。
ハクはもともと別の派閥の人間だったが、ヒュバルを尊敬し、部下となった。 ハクがヒュバルにほとんど気づかれずに現れたので、ヒュバルは小さく笑った。
「組織の中くらい、普通に会って話してもいいだろうに。お前は律儀だな」
「私は死んだと思っている者がほとんどでしょうから、下手に姿を見せるのも考えものです。青蘭さまや、あなた様にご迷惑はかけられませんし、こちらの方が何かと好都合で」
実力がありながら、ハクは前の派閥でそれを発揮する機会を得られなかった。結果、彼の教育官が仕事に失敗したときに彼も死んだと思っている人間の方が多いのだ。
「それで、報告を聞こうか」
「はい。近々イスファターナの使者が帝国に会談に来ると思われます」
「イスファターナが?」
「先だってのソウェスフィリナとの戦いで勝利こそしたものの、大きな被害を受けています。それはソウェスフィリナも同様ですが、イスファターナとしては万一の際の協力者が欲しいところなのでしょう」
この戦いでキシュ=コンワートという若い武将が、戦場で自軍を極限まで削りながら侵攻を阻んだとして、その戦いぶりから『雷帝キシュ』と呼ばれた、と新聞に出ているのをヒュバルは見ていた。両軍の左軍と右軍の死力を尽くした削りあいで、万人の命が失われたという。
「それで?それだけだったらお前は俺のところに来ないだろう」
「その使者が、イスファターナ帝の右腕と呼ばれる者のようです」
イスファターナの君主の右腕とも呼べる戦力を会談に送るということは、イスファターナの求める会談が単に数年後の未来を見据えた話ではないということである。そもそも、帝国とイスファターナには国交がない。帝国が一方的に封じていたからだ。それほどの危険をおかすイスファターナに対して、皇帝はどのように動くのか。
「それともう一つ。白蘭の派閥が動き始めました。下位の者達を自分の派閥に率いれているようです」
「兄さんも面倒な相手を敵に持ったな。相手にされていない敵も可哀想だが」
そう返したヒュバルはひとまずジュランに報告をするべく、部屋へと向かった。ジュランの好物のデザート、ツェラテンを手にして。 ツェラテンは果実の種を潰して絞った白い汁を寒天で固めて冷やして作ったもの。甘いシロップをかけて食べる、帝国の定番のデザートだ。
「兄さん、失礼します」
すると、ジュランは驚いた様子でヒュバルを見た。
「…ビックリした。今からお前のところに行こうと思っていたから」
「えっ?」
「今夜宮殿にいく。会わなきゃいけない人がいるんだ。お前にも来て欲しい」
そう言ったジュランの表情にどこか陰りを感じる。緊張とはまた違う、むしろ恐怖に似たそれは、今まであまり見たことのない兄の姿だった。
その夜、都の門が閉まる鐘の音が響く時刻にヒュバルはジュランと共に宮殿に入った。たまに宮殿に使いで行くが、今日使った門は皇帝家が使う門だった。普通なら絶対にヒュバルが入ることは許されない。その重厚感の漂い様は、宮殿の華やかさを凝縮したようだ。
「キフィルニア殿下。お待ちしておりました」
「爺や、十年も会わないとだいぶ老けたね」
「何を申されますか。私はそこらの若者より数倍はピンピンしております。殿下、大きくなられましたなぁ」
ヒュバルは 何事かよく分からず二人の会話を聞いていた。暗殺者において『深く関わらず』というのは基本だったので、目の前で起きたことに触れないようにとヒュバルは顔を伏せる。しかし老人は ジュラン のことを殿下と言った。ヒュバルには不思議でしょうがない。
「殿下、そこの者は?」
「私の弟だ。今日は私の護衛かな」
「…左様ですか」
老人の視線がヒュバルを刺す。ヒュバルはただ、黙していた。
「…さ、殿下。お着替えください。飛氷の間にお通しするよう託っております」
ジュランが兵達と宮殿のなかに入っていくのを見送ると、老人はヒュバルをじろりと見た。
「名前を聞いても構わぬか、少年」
「もちろんです。ヒュバルと申します」
老人はヒュバルという名に少し関心を持ったようだったが、すぐに別の質問をしてきた。
「歳は?」
「もうすぐ十四になります」
「お前さんも飛燕なのか」
「…はい」
飛燕の存在は帝国の闇であり、公には明かされていない。その存在を知る者は、皇帝に近しい一部の者のみ。この老人が、皇帝に近しい者なのか、ヒュバルは知らない。しかし、ヒュバルは迷いはしたものの返事をした。おそらくこの老人はジュランと深い関わりがあって飛燕を知るのだと、そう思って。
「そう悩まんでも、私は知る側の者だ。いくつの時に飛燕に?」
やはり、老人はヒュバルの考えを見透かしていた。
「六歳です」
互いの探り合いかのような状況となり、老人はヒュバルを見ながら小さく口角を上げた。
「あの方がどのような方か、わかったかね」
「先程の話で大体は。まさかとは思いましたが」
「そうか…。いや、感謝するぞ」
老人はヒュバルを向き直して、話を始めた。
「あの方はずっと、自分が生きていることをお許しでない所があった。ところが最近、あの方を度々、亡き殿下のお母上のお墓で見かけるようになったのだ。昔なら近づこうともしなかっただろうに。少し前に送られてきた手紙に、君の事が書かれていたよ。察するに君があの方の生きる理由になっているのだろう。これからもよろしく頼むよ」
話によると、老人は幼い頃ジュランに仕えていたらしい。 そのジュランの本当の名は、 キフィルニア=ジュラン=カルデミナ。現皇帝の末の弟らしい。 そこまで教えてくれた時、支度を終えたジュランがやってきた。
「…ヒュバル。その様子では多少は聞いたか。黙っていて悪かった。飛燕のなかで私が皇族だと広まれば何かと面倒だと思い、隠していた。すまない」
「いえ…確かに驚きました。ですが、それは立場的に仕方のないことだと理解しています。私の今回の任務は、お守りすることですから」
すると、ジュランはムッとした顔でヒュバルに言った。
「こら、態度を変えるな!これだからお前には言いたくなかったのに。お前は真面目すぎるんだ。お前は俺の弟で、俺はお前の兄だ。今度間違えたら青蘭でも皇族でも、お前の好きな方で罰してやるぞ?」
(そういう地位の利用は、一番嫌いなくせに)
「…すみません。気を付けます、兄さん」
「そう、それでいいんだ」
満足そうに俺の髪をくしゃくしゃとかき回す、この兄は、その整った顔に気品を感じる。ヒュバルは彼が皇帝家の人間であることをすっかり納得していた。
「殿下、そろそろ刻限です」
「そうだな、飛氷の間だったか。随分と久しいな、あの部屋は」
ジュランは振り返ってヒュバルに言う。
「もし、何か言われてもお前は俺の弟だ。信じてる」
ジュランの作り出した笑みが何を意味するのか、この時はすぐにはわからなかった。でも、ジュランに念押しのようなことを言われるようなことがこの先に待っていると、そう感じた。
そして、実際にヒュバルは帝国の闇にまもなく触れようとしているのであった。