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起きたらおばあちゃんが騒いでいた。
電話口で大声で話していた。
「どうしたの?」
「竹内さんが昨晩から帰ってこないんだって」
「え?」
心がざわざわする。嫌な予感が競り上がってくる。
怖い。
俺はまたあの森の入り口で感じた恐怖に包まれる感覚に陥るのが怖くて考えるのをやめた。
「ど、どうしたんだろうね」
「心配だわあ」
その日が終わる頃には、行方不明者は3人に増えていた。
何が起こっているんだこの村に。
皆がいなくなってしまう。いやだ。
俺が生まれて育った大好きな土古村が崩壊してしまう。
ツチノコを見つけたら何かが変わる?ツチノコの不思議な力があれば皆戻ってくる?
危機感は募るのに、体は動かなかった。
「おはよう」
「おお。なんかすげーことになってんな。もう30人だっけ?」
「そ、そうなんだ」
「こんななってんだから休校でもよくね?」
郁は悪態をつきながらどこか他人行儀だ。
あれから数日ですでに村の三分の一が消えた。
「ホントどこ行ったんだろうな」
「どこだろうね」
「でもなんか、わからないでもないっつうか」
ドクン。心臓に鉛を落とされたような痛みを感じた。
「どういう意味」
「いやー、なんか。どこかに行かないと、みたいな。導かれるみたいな。最近フッと急に心が空に向かってんだよなー」
「郁!!!」
郁がどこかに行ってしまう!
俺は必死に郁の手を掴んだ。
「痛い痛い」
「郁は消えたりしないよね」
「大丈夫だって」
「……そうだよね」
学校に着いて、1年の教室を覗いてみた。
この学校で一番人数が多かったはずなのに、今はガラガラだ。
開いた机が寂しそうにいくつも佇んでいる。
「あ、発見おはよー」
「一ノ日はよー」
クラスメイトがいなくなったとは思えない元気な挨拶。
俺は片手をあげるのがやっとだった。
「どうしたの?」
「何か元気ない?」
「大丈夫。皆は?」
「全然変わんないよ」
「なんか寧ろはやく私にも来ないかなー失踪の時」
教卓に立つ先生に訊く。
「大ちゃんは?」
「僕も変わりないよ。一緒に暮らしてた佐藤さんがいなくなっちゃって、ご飯が質素になっちゃったのは悲しいけどね」
そう言って笑った。
「俺教室行くね」
「もうちょっといればいいじゃん」
「ごめん」
3年1組の教室に初はいた。
「よかった」
思わず漏らすと初は俺を馬鹿にしたような顔を作った。
「俺がどこかいくわけないでしょ。俺は絶対ここから離れない」
「だよね。俺も」
先日の、山の入り口での出来事を思い出す。
「初は何でこんなことが起こってるか知ってる?」
少しの間をおいて、返事がくる。
「いや、知らない」
「これもツチノコのせいかな」
「そうかもな」
頭が無くなった、あのツチノコの像がフラッシュバックする。
やめよう。やめよう。考えるのはやめよう。
きっと明日には全部直ってる。
皆戻ってきてる。
大丈夫。大丈夫。
家の電話が鳴る。
今度は誰がいなくなったのだろう。
1週間前から断続的に続く報告が俺の精神を蝕んでいた。
「はい。一ノ日です」
『俺』
この低い声は郁だ。
『なんかさ、すっげー行かなきゃいけない気がすんだよ』
心臓が止まった。
「…………どこに」
『あの山の向こう』
「行かないでよ」
『導かれてる気がするんだ。行ったら気持ちよくなれそうなんだ』
「郁までいなくなるの?」
『だからさ、お前も一緒に行こうぜ』
「嫌だ」
『はつみ』
「……嫌だ。俺は行かない。郁も行かないで!」
『悪い。俺は行く。一緒に行ってくれんなら山の入り口に来てくれ』
プツン。
俺は行きたくない。どうしたんだよ皆。そうなっちゃったんだよ。
村人が消えていく度、胸にぽっかり穴が開いたような空虚感が増していく。
俺は郁のケータイに電話した。しかし郁は出なかった。
もう絶対、郁に会えない。
強い確信が、ダイヤルを回す手に重くのしかかった。
ぐー。寂しい空間に自らの腹の音がいやに響く。
ああ、ご飯作らなきゃ。
おばあちゃんはもういない。
料理なんてできないけど、火を通せばなんでも食べられる。
俺は立ち上がった。
台所に向かう。
もうすぐ夜がやってくる。
闇と暁の狭間で黄昏が滲んでいる。
虚ろに歩き出した俺の視界にツチノコがいた。
前方!前と同じ場所!ツチノコがいれば!皆戻ってくる!
俺はツチノコに手を伸ばした。
伸ばした手が何かに突き当たる。
壁?
じゃ、ない。
これは、鏡。
廊下の突き当たりに置かれた姿見。
そこに映る、俺。ツチノコ。
「は?」
塞がれていた記憶の蓋が開いた。
何百年という膨大な記憶と情報が溢れ出す。
"俺ツチノコでした"
目の前の初におれは言っていた。
あれは、300年前。
それからずっと、ずっと、沢山の魂をここに監禁して、俺の我儘で皆成仏できなくて……そっか。ごめんなさい。そっか。ありがとう。