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キーンコーンカーンコーン。
始業の合図だ。しかし俺は教室には行かない。
堂々としていれば廊下を歩いていても先生呼び止められることはない。
木造柱の向こうで規律正しく教卓を見つめる大量の生徒たちを見て、少しの寂しさを感じる。
俺はそんな気持ちを振り切るように足を速めた。
屋上に着くと、青空がいっぱいに広がっていた。
澄んだ空気を胸に吸い込む。
授業をサボるのももう慣れた。
最初にあった背徳感が、今は懐かしい。
授業中の今は誰かがやってくることはない。
俺は屋上の真ん中に寝転がろうとした。
が、そこには先客がいた。
俺と同じくらいの背格好の男子が立っていた。
「誰?」
俺は背中に声を掛ける。
男子はくるりと振り返った。
見たことのない顔だった。
ネクタイがピンク。ということは俺と同じ3年か。いや、それはないな。
男子は目を泳がせてどもりながら言った。
「えーと、1組の……」
「1組に君みたいな人いないよ。それどころかこの学校の在籍者資料に君の顔を見た覚えがない」
「生徒全員覚えてるの?」
「うん」
男子はぱああっと目を輝かせた。
「すごい!だって1000人はいるじゃん」
「956人」
「おおー」
「君は不法侵入者?」
「うん」
あまりに素直に答えたので拍子抜けした。
俺は寝転がる。
「なんで3年生がこんな大事な時期に授業サボってるんだって思ってる?」
まだ立って柵の外を見ていた男子に言った。
「思ってないか」
そもそもこいつは俺が3年ってこともわからないかもしれない。
「思ってなかった。けど今は思ってる。何で?」
男子は隣に座った。
「俺もうじき死ぬんだ。だから進路とかどーでもいいんだよ」
「病気?」
「何でかはわからないけど死ぬんだ。わかるんだ。勘?かな。信じられないかもしれないけど」
「カン?」
「うん。今日は雨降るだろうな、とか、明日は休校だろうな、とか、ふと思ったことが当たることがあるだろ。俺それがよくあって。今回も、ふと思ったんだ。俺、近いうちに死ぬなって」
男子は俺の顔を凝視していた。
自分でもおかしい話だってわかってるけど、と言おうとしたのに男子はそうは思っていないようだった。
「あなたが何で死ぬかわかんないけど、人間は寿命が短いから嫌だね。ずっと生きてればいいのに」
変な言い方だった。
「そういえば君はなんでここにいるの?」
「俺は友達を探しに来たんだ」
「この学校の生徒?その制服はその人から借りたの?」
「この学校の生徒だった人。制服は貰った」
「へえ。友達には会えた?」
「ううん。やっぱりここにもいなかった。さすがに卒業生までは覚えてないよね。40年前に卒業した人なんだけど」
「ごめん。覚えてない」
「そっか」
なんで40年前に卒業した人を探すのに学校に来たんだ。
男子からは不思議なオーラを感じたが、それ以上踏み込むのは野暮かと思ってやめた。
いや、本当は他人にかまう心の余裕が無かっただけかな。
次の日も屋上にそいつはいた。
「俺の事他の人に言わないでいてくれてありがとう」
「別にいいよ。どうせ死ぬんだし、いろんなことがどうでもいいんだ」
男子は俺を哀れんだ表情をした。
「なんか、死なないといいね」
「別に今更生きたって。授業も出てないし……」
しまった。泣きそうになってる。
急いで顔を背ける。
「こっち見てよ」
意図的な明るい声で男子は言った。
「面白いもの見してあげる」
弾んだ声音に引き寄せられるように男子の方を見ると、「じゃあいくよ」と言って男子は息を吸った。
次の瞬間信じられないことが起こった。
目の前に立っていた男子がひゅるひゅると縮んでいくではないか。
顔に目線を合わせていたはずなのに、最後は地面を覗き込んでいた。
そこには……。
「ト、トカゲ!?」
とは少し違う。
寸胴な黄色の体に小さい脚が4本。顔は蛇だ。
これは、これはもしかして……。
「俺ツチノコでした」
何が何だかわからなかったが咄嗟にツチノコに覆いかぶさった。
辺りを見回す。
この土古村では今ツチノコで村興しを図っている。ツチノコを見つけたら100万円!なんてポスターが学校の掲示板にもあった。
「大丈夫だよ。誰も見てないって」
下から声がして、慌ててどく。
まさか本当にツチノコが存在していたなんて……。
改めてみても信じられない。俺の手に乗るサイズだ。小さい。
「人間に変身できたなんて見つからないはずだ」
「人間以外にもなれるよ」
「すごい。ツチノコって、本当に、神秘の力を持っていたんだ」
俺はぼーっとツチノコを見つめた。
ツチノコはにょいにょいと俺の傍にやってきた。
「あなたは良い人だね」
「へ?いや、普通だと思う。あ、そうだ探してる人は見つかった?」
ツチノコはびょびょびょびょっと人間の姿に戻った。
近!間近にあった顔はとても悲しそうな表情だった。
「いなかった。わかってたことなんだけどね。もう死んじゃってから3日も経つし」
「死んでから?」
「うん。俺魂とお喋りできるんだ。でも皆俺が知らないときに死んじゃって、天に昇ってっちゃうんだ。最後にありがとうって言いたかったから、魂が天に昇っちゃう前に思い出の場所に寄ってないかなって思って探してたんだけど、もういなかった」
何を言っているのかさっぱりわからなかった。
突飛すぎて、頭の処理が到底追いついていなかった。
なのに、胸に、何か、何かが湧き上がってくる。
希望?もしかして、俺は死ななくていいのかもしれない。
俺はツチノコの肩を掴んだ。
「生き返らせることはできる!?人を!生き返らせることは!出来る!?」
ツチノコはおののいて後ろに一歩下がった。
そして申し訳なさそうに首を振った。
「死んだ時点で体が死んでるから魂を戻しても生き返らない」
そうか、でも。でも。
「魂をこの世に留めることは?」
「うーん。やったことないからわかんない。できないかもしれないけど、できるかもしれない」
涙が目頭に競り上がってきた。必死に抑える。
でも声は震えてしまう。
「試してみてくれない?」
「もしそれが出来たら、俺はもう友達と離れなくてよくなる?」
「ああ」
「それすごい。すごい。俺もうヤなんだ。好きな人がどんどん先に死んじゃうの」
「うん」
俺達は握手した。
「俺、要初。よろしく」
「よろしく」
「名前は?」
「いっぱいあるよ。ツチノコだし。初もつけてよ」
「え?俺?」
「初は凄いからきっと良い名前になるね」
「ハードル上げるなよ……」
ははは。ツチノコは揶揄うように笑った。
「じゃあ『ハツミ』。発見と書いて発見」
ツチノコは目をキラキラさせた。
「かっこいい!!」
「よかった」
苗字は俺の前の姓の。
「一ノ日なんてどう」
「一ノ日発見、いいね。人間っぽい。てっきりツチ太郎とかになると思ってた」
そっか。相手はツチノコだった。凄く真面目に名付けてしまった。
「ツチ太郎にするか?」
「いやいやいや。絶対一ノ日発見がいい。もう俺発見だから」
「じゃあ改めてよろしく発見」
「よろしく。初」
俺は俺という存在が消えてしまうのが怖い。
今まで死について深く考えたことはないが、それが自分に降りかかってきても俺はそれをあっさり受け入れるのだろう、なんて漠然と思っていた。
しかし違った。
死んでから、自分が死んだことを自分で認識できないことがとても恐ろしく感じた。
自分の自我がなくなってしまうのが何よりも恐怖になった。
こわい。こわい。こわい。こわい。
俺はいついなくなってしまうのだろう。
「初――――!!」
いつもよりはやく屋上に来たのははやる気持ちがそうさせたから。
遅れてやって来た発見の表情は明るい。
と、いうことは。
「できた!魂留めるの出来た!」
「やったー!」
俺は発見を抱きしめた。
「ありがとう。ありがとう」
「でもこれからやらなきゃいけないことがあるよ」
「何?」
「魂を留めておくための箱を作らなきゃいけない」
「へえ。死んだ後の魂が暮らす世界を造るってことだな」
「うん」
「俺この村が好きだ」
「じゃあこの村っぽくしよう」
俺達はノートを囲んだ。
簡略化した村の地図を描いて、2人でペンを持って構想を練った。
「今建築中のツチノコ橋は入れたいよね」
「ツチノコ推してるわりにあの橋弱いから、欄干の上全部ツチノコの頭にしよう」
「それはちょっと……グロくないか……?」
「全部俺の顔だよ。絶対いいね」
「俺の家はここ」
「俺ずーっと天気がいいな」
俺達は日が暮れるまで話し合った。凄く楽しかった。
魂をこの世界に連れてくるとき、記憶は消すことに決めた。
「ねえ、俺の記憶は消さないでよ」
「何で。家族に会いたくなっちゃうよ。友達に会いたくなっちゃうよ」
「俺の第二の人生は発見と出会って、新しい世界を造ったところから始まったから」
「そうだね。わかった」
俺はいつ死んでも大丈夫なように、発見を家に連れ帰った。
ツチノコ姿で押し入れに入れ、家族に内緒でご飯を運んだ。
ペットを飼うのは初めてだったけど楽しかった。
2週間後、俺は死んだ。
俺はこの世界の、最初の一人だ。