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俺はほぼ閉店した商店の前のオブジェに座って、一緒に登校するために郁を待っていた。
ぼーっと前方を向いていると、郁がやってくるのが見えた。
「おはよう」
「はよ」
昨日は夜遅くまで村中を回った。
郁はどこか眠そうだ。
"おはよう"
「おはよう」
「もう言ったろ」
郁と俺の声が重なった。
おはよう、と言われたのでつい反射で返してしまったが、郁が言ったのではない。
辺りに人はいない。
まさか......!
俺は慌てて自分の股の間を見た。
ずんぐりとふくよかなツチノコのオブジェが俺を見ていた。
俺はもう一度、今度はツチノコオブジェに向かって言った。
「おはようございます」
"おはよう"
「こいつも喋んのか」
「そうみたい」
俺はオブジェから降りた。
まさかこの村のツチノコたちは全て喋ることができるのではないだろうか。
「うっわもう迂闊に座れねえじゃん」
「あの、ツチノコがどこにいるか知りませんか?」
やっぱり答えてくれないか、と思うほどの長い沈黙の後声は答えた。
"すぐ近く"
「すぐ近く!!」
俺は急いで周りを探す。
「おい学校遅れんぞ」
「だって!すぐ近くにいるって!」
「お前無遅刻無欠席記録はいいのかよ」
「見つかったら行く!」
郁は大きなため息をつくと俺の隣の茂みを探り始めた。
「フン。俺は不良だからな。50万手に入れて学校もやめてやる」
「ありがとう!よっしゃー!見つけるぞー!」
一時間経っても影すら捉えること出来なかった。
俺はもう一度オブジェに訊いた。
「ツチノコがどこにいるかいるかわかりますか?」
"すぐ近く"
「もうちょい詳しく!」
"すぐ近く"
「ダメだな。これ以上は教えてくれないらしい」
「でもまだ近くにいるって」
「ハア。どうせもう遅刻だ。気合い入れるか」
同じ場所をもう一度に探し始めると、遠くから声を掛けられた。
「発見ちゃんどうしたの?学校は?」
近所のおばさんだ。
「中村さんおはようございます!ツチノコ探してるんです!」
「あら~今時誰も信じてないわよ~」
「でも俺見たんで」
中村さんは近づいてきて、俺に飴を差し出した。
「頑張ってね」
「ありがとうございます」
「そっちのこも」
「ああ、あざす」
中村さんは郁にも飴を渡すと手を振って去っていった。
"わたしも"
声だ。また声がした。
今度は地面だ。茶色い土の中に紛れるこれまた茶色いマンホール。そこにツチノコが描かれていた。
「あのー」
俺は今貰った飴をマンホールの中に落とした。
「は!?」
後ろで叫ぶ郁を無視して俺はマンホールの横に屈む。
「すみません。ツチノコがどこにいるか知ってますか?」
"すぐ近く"
「さっきと一緒じゃねえか」
「具体的にどこかっていうのは……」
"気を付けろ。すぐ近くにいる。危険分子。最初の存在。危険分子。すぐ近くにいる"
「それってどういう意味ですか?」
案の定答えは返ってこなかった。
ここにきて意味の分からないことが増えてしまった。
「危険分子ってツチノコのこと、なのかな」
「そうじゃなかったら"すぐ近く"ってのも怪しくなるじゃねえか!頭こんがらがってきた!なんでハッキリ喋んねんだよおお!」
郁はその場に座りこんだ。
多分学校行っとけばよかったって後悔してる。
「も、帰ろーぜ」
俺は項垂れる郁の手を取る。
「よし!他のツチノコの聞き込みだ!」
「マジかよ……」
「取り合えずここから一番近いのは、マキちゃんとこだね」
「マキちゃん?」
「神社の神主さんの娘さん」
「あーあの神社」
奮発して15円。お金を持っていなかった郁の分も合わせて30円。財布から出すと賽銭箱に投げた。
チャリンチャリン。
流石4枚は伊達じゃない。
いい音が鳴って、消えた。
2回手を合わせて頭を下げる。
「ツチノコが見つかりますように!郁は何お願いした?」
隣の郁は既に頭を上げていた。
「同じだよ。お前の金だし」
「そっか。じゃあ絶対見つかるね」
「だといいな」
「さて、と」
俺は郁を連れて神社の中心に立つ大木を見上げた。
「あ?」
怪訝な顔をする郁を更に引っ張る。
「この角度じゃないと」
正面から右に48°。この場所から大木を見ると、ツチノコの顔みたいな窪みが現れるのだ。
ドヤっと郁を見ると、呆れた顔をされた。
「これ、アリかよ」
「為せば成る」
「合ってねえだろ」
俺は溝の縁をなぞる。
「あの、ツチノコがどこにいるかわかりませんか?」
しん……。
さわさわと大木の頭が風に揺すられる。暫く待っても返事は返ってこなかった。
「ダメじゃねえか!」
郁に頭を叩かれた。
「ま、まあ本命はこれじゃないし」
トゲトゲしている郁を引っ張って社務所に向かった。
綺麗な白い木造の売り場は目に優しい。
いくつかのお守りが並んでいた。
「あ、こんにちは一ノ日君」
「こんにちは」
「もうそんな時間かよ……」
売り場の向こうに若い男が現れた。
袴を着ている。神主さんだ。
「今娘を呼んできますね」
神主さんが言うが早いが小さな女の子が裏から駆け出してきた。
「はっちゃん!」
「マキちゃん!」
マキちゃんも神主さんと似た格好をしていた。
短い髪を2つに結んでいる。マキちゃんの性格と同じで今にも弾けそうだ。
「はっちゃんはっちゃん!お昼ご飯食べた!?食べてってよ!」
マキちゃんは俺に飛びつきながら言った。
「ごめんね。今日はやらなきゃいけないことがあるから」
頭を撫でるとマキちゃんはしゅんとした。
「こんにちは。初めましてこの神社の神主をしております鴉是観です」
神主さんが郁に挨拶した。
「どうも。伊類郁です」
「学校の後輩です」
「ここには来られたことはありませんね」
「ああ。俺は神を信じてないからな」
神主さんの前で何言ってるんだ!?
「お兄ちゃんは悪い人だね」
マキちゃんが郁に牙を剥いた。
「子供は嫌いだ。悪い奴で構わない」
「あーすみませんツンデレツンツンなもので……」
神主さんは全く気にしていないようでニコリといつものように柔らかく笑った。
「今日はどうしてこちらへ?」
「ツチノコを探しに」
流石の神主さんも少し目を見開いた。
「探し物ならこちらをどうぞ」
神主さんはピンクの小さなお守りを差し出した。
「きっと見つかりますよ」
「わー!ありがとうございます」
「いえいえ。きっと見つかりますよ」
「はい!」
神主さんは奥に戻っていった。
「おにぎりは?忙しくても食べれるよ」
マキちゃんの申し出に俺は笑顔で頷く。
マキちゃんも笑顔で引っ込んでいった。
2人がいなくなったところで俺は屈む。
「郁、これこれ」
社務所の柱の下。地面近くに上層が剥がれて薄くなったツチノコのシールが貼ってあった。
「ツチノコ」
「うん。前マキちゃんとかくれんぼしてたとき見つけた」
「おい、ツチノコ。ツチノコの居場所を教えろ」
"すぐ近く"
「俺もうこれしか返ってこない気がしてきたぞ」
「まあまあ。あの、もう少し詳しくわかります?それと、最初の存在、危険分子って何ですか?」
"初めての存在。危険分子。全てを知る存在。危険。危険"
「単語変わってねえよ」
「次、いくか」
俺達はマキちゃんが握ってくれた不格好なおにぎりを片手に村中のツチノコを回った。
でも"すぐ近く"以上のヒントは得られなかった。
「ツチノコの距離感どうなってんだー!この村全体すぐ近くだってよ!」
郁は村の広場で寝ころんだ。
まあ村の全長は数キロだし近いっちゃあ近いのかなあ……。
地面はアスファルトで舗装されているとはいえ汚い。
「汚れるよ」
郁に声をかけるが「ん"~~」と唸るだけで動こうとしない。
学校から鐘の音が聞こえた。1日の終わりの合図だ。
西日に後ろから照らされて校舎が真っ黒に染まる。空がオレンジだ。
どっと疲れが出てきた。
「郁、帰るか」
寝ころんだ郁の手を引っ張っていると、学校の方から初がやって来た。
郁が飛び起きた。
「発見、無遅刻無欠席記録途切れたぞ。こんなとこで何やってるんだよ」
「疲れてた」
「なんじゃそりゃ。そういえば『禍界』の新刊がもう1年も出てないんだけど」
禍界とは初が大好きなシリーズ小説だ。
「でも最近大体同じことの繰り返しだったし、次出ても最終巻だろうな」
「へえ。残念だね」
「まあ面白くないのにダラダラ続くよりはちゃんと終わってくれた方がいいけどさ」
「そっか」
「そうそう。あ、これ今日のノートね」
初は鞄からノートを取り出して俺に渡した。
「ありがとう」
「うん。明日学校で返してよ」
「はーい」
「じゃ」
「じゃーね」
初が去ると気配を消していた郁が現れた。
「要先輩怒ってたな」
「そう?」
「ああ。すっげー俺のこと睨んでたぜ」
「気づかなかった」
ツチノコ探しに行ってたのはバレバレか。
「そんじゃ明日は学校行かなきゃいけないから土曜日に再探索ね」
「ハー。もうここまで来たらひっつかまえねえと気が済まねえしな」
俺と郁は拳を合わせた。
翌日、教室に入ると既に来ていた初はキラキラした目で本を掲げた。
「新刊出た!」
「おお!よかったね」
「やっぱり最終巻だった」
「ああ。残念だね」
「次回作を待つよ」
「そっか」
「発見にも貸すから」
「うん。ありがとう」
ちなみに俺は活字が苦手なので読んだことはない。
「どうせ読まないだろうけど」
バレてる。
「次回作も貸すから」
「うん」
気が早いな。
教室に2つだけの机。真ん中に2つだけあると1つに見える。ポツンと1つだけの机と椅子に、1人だけの初。
「次回作も、貸すから」
初はもう一度言った。
なぜかとても寂しさを感じて、急いで初の隣の席に座った。
「発売するよね、次回作」
初はじっと俺を見つめて言った。
何で俺に訊くんだよ。作者さんがまた書くかなんて俺にはわかんないのに。
それなのに、俺は懇願するような初の瞳に根負けする形で頷いた。
「そっか。よかった」
初は笑った。
作者さん、絶対次出してよ!
「網持った?」
「イエッサー」
「帽子かぶった?」
「イエッサー」
「虫よけ持った?」
「イエッサー」
「よし!行こう!」
「イエッサー!」
"まて"
土曜日。
山の入り口に完全武装した郁と俺は集合した。
鬱蒼とした山の中でもアブ1匹近づけないほどに虫よけをたっぷり肌に塗りこみ、首からは線香を下げ、スプレーを持った。
よくテレビで見る遭難、になっても大丈夫なように3日分の食糧と水とコンパスを持った。
郁にはやりすぎと言われたが、山に入ったことが無いのでどのくらいの装備がやりすぎでないのかはよくわからなかった。
そういう郁も山に入ったことないんだから何も言えない。
あとで俺に助けられることになるんだぞ!
"まて、いくな"
さっきから聞こえているこの声は山の入り口に立つツチノコ像のものだ。
「でもツチノコさん。村にはいませんでしたよ。もうここしかいそうなところがないんです」
"しかしこの先にはいない"
「てめえの言葉なんざ信用しねえよ。なんなんだよすぐ近くって。どこだよすぐ近くって」
郁は先日の怒りをツチノコ像にぶつけた。
このツチノコ像はすぐ近くって言ってないけどね。
「行くぞ」
「うん」
郁が先に立って山の中に踏み入った。
しゃぐりしゃぐりと植物を折り潰して進んでいく。
俺も続いて足を取られながら山に入った。
瞬間視界にノイズが走った。同時に眩暈に襲われる。足が震える。
一歩一歩、進むたびに震えが強くなって、体が痙攣していく。
怖い。
郁の後ろ姿が遠くなっていく。
山のはずだった辺りが闇に変わっていた。
底なし沼にはまっていくように、郁が黒に呑まれていく。
怖い!怖い!
郁が消えちゃう!
行かないで!
行くな!
俺は必死に郁に向かって手を伸ばす。
しかし郁は無慈悲に遠のいていく。
伸ばした自分の手さえも黒に染まっていく。際限のない恐怖が心の中で湧いて膨らんでいく。
戻りたい。戻らなきゃ。
でも体が動かない。声も出ない。
ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ。
「行くなあああああああ!」
鋭い叫び声が聞こえた。
パッと視界が明るくなった。
「行くな!」
耳をつんざく大声を出したのは初だった。
初が、俺の手首を掴んで後ろに引いた。
突っ立っていた俺は地面に尻もちをついた。
そこはいつもの山の入り口だった。
「何だ?」
緑の中から郁が出てきた。
初の姿を見て顔を歪める。
「うげっ。要先輩」
"そいつからはなれろ!"
現実に戻ってこられたのもつかの間、ツチノコ像が叫んだ。
何?
"はなれろ!そいつは―――――――"
「うわあああああああ」
初が地面に落ちていた鉄棒を掴むとツチノコ像に向かって振り下ろした。
ガシャン!!
鋭い音がしてツチノコ像の頭が粉々に吹っ飛んだ。
ハアーハアーハアー。
ツチノコ像の声は止み、代わりに初の荒い息遣いだけが残った。
俺達は暫く動くことが出来なかった。
「なん……」
「行くな」
何か言いかけた郁に被せて初が言った。
初はその場にへなへなとへたり込んだ。
「行ったら終わっちゃう。終わっちゃうよ……」
何がだよ、という言葉は喉につっかえて出てこなかった。
俺の手は震えていた。
俺は初の言葉に従うことにした。
のそのそと山の出口に歩いていく俺達に、郁が困惑した声をあげた。
「おいっ探さないのかよっ」
しかし俺達は何も答えない。答える気力もない。
とにかく、一時も早くこの場を離れたかった。
「たくなんなんだ」
郁も不本意ながら俺たちに続いて山を出た。