第八章 第六節 有り得ない場所
「こうで……こうして……こうやって」
「これ何だ?」
「さあ」
アルスが九つの玉を操り自らの周囲に散らしているのを、シンとフェイトはする事も無く遠くから見守っていた。シンが知りえている鏡の情報などたいした事は無く、これで果たして何が分かるのかと彼らが見守る間にも、アルスの周囲には九つの頂を持つ球体が出来上がる。
「後は、これでいいか」
その中央部に、アルスは地面の砂を数粒無造作に投げ入れ、最後に一言唱える。
「ライエル」
しん、と周囲の音が静まり返り、辺りは灰色に染められ時間が止まる。
「何だ?」
シンが辺りを見回す間も、周囲はどんどん色を失っていく。この世と切り離された空間の中でアルスの前に存在する球体はその場で激しい回転を始め、次第にその形を変化させていく。
「見えるか?」
「どんどん、丸くなってる様な」
シンにはさっぱり見えず、フェイトですらその回転を見切るのが困難になる程のスピードは次第にその回転を緩やかな物とし、最後にはその姿をその場から消した。
次の瞬間周囲は彩を取り戻し、辺りは波の音を取り戻す。
「何したんだ?」
「うーん……」
何の説明もなしに始まった彼の術は、何の音沙汰も無く突然終了した。当山ながら事情が分からず問いかけるシンに対し、アルスの答えは歯切れが悪い。
「何か分かった?」
「えーっと」
「とりあえず言ってみろ。考えるのはそれからだ」
何やら答えを言いあぐんでいるアルスにたまりかねたシンの言葉で、ようやく彼は渋々といった様子で口を開いた。
「反応が二つあるにはあったんですけど」
「どこだ?」
予想外の成果と期待にシンの言葉も無意識に彼をせかすものとなる。ただ、そんな彼の様子にも関わらず相変わらずアルスの表情は微妙なものだ。
「一つはどこか遠くという事しか、けど」
「アルス?」
フェイトに彼は、自分でも信じられない、といった表情で成果を報告した。
「もう一つは、この世界にあります。それも、誰かの体の中に」
「中?」
きょとんとするシンとフェイトに、彼も困ったように頭を掻くしかなかった。
「鏡って、食べれましたっけ?」
「誰かいませんか!」
時を遡る事数時間、ハムレスに戻ったひかりは脱兎の如く館内を飛び回っていた。時々驚いて身を竦める隊員もちらほらと目に付いたが、今はそんな事を気にしてもいられない。
「誰か――」
「いるよ。そのまま進んで三つ目の十字路を左、二つ目の右側の扉」
声からしてルークだろう。ようやく事情の分かる相手が見つかった事に安心して彼女は速度を上げ、文字通り部屋へと飛び込んだ。
「言いたい事は分かってる。彼らは?」
飛び込んできたひかりの姿を認めた途端、ルークはいつもの様に持っていた書類を机の上に放り投げひかりの方に体を向けた。いくつものモニターに映し出されているのは、先ほどまで彼女が間近で見ていた物だ。
「現地にいるから、何とかしないと」
「とりあえず深呼吸。彼らだけじゃ厳しいのは分かってるけど、何だか妙でね。これ」
焦りで全てが前に出ている彼女の体をぐいと後ろへ戻しながら、ルークが落ち着くよう諭す。
「でも!」
「おかしなところはいくつもあげられるけど、まず一つは犠牲者が一人も出ていないこと。もう一つは、広がる速度が段々落ち始めてる事。そして」
そんなひかりの声をスルーして、ルークが現状を話し始める。一つ、二つ、と指を折りながら彼は最後に現在最大の問題を指摘した。
「翼が戻ってきたにもかかわらず、カインもシンもカノンも積極的に彼らを迎撃しようとしてない」
「戻ってきたんですか?」
焦りが歓喜の声に変わるひかりに対し、ルークはあくまで冷静な様で現在分かっている事実だけを述べて行く。
「反応はあるよ。ここの所彼らピンポイントで居場所を追い続けてきたから精度は間違いないと思う。ただ、捜索範囲を広げすぎてたから、この世界のどこにいるかはまだ特定できてないし、マーダライクがいるのかどうかも分からない。今日一日は調整に時間がかかりそうだ」
「迎撃、してない?」
「彼らにしか分からない情報が飛び交っているのか、あるいはもうやられたか、敵になってるのか、他の何かと戦っているのか。可能性はいくつもあるけど、とりあえずアルスとフェイトは連れ戻したほうがいい」
「じゃあ」
「ここからで十分だよ。回線全部開いて帰還命令を」
勇んで戻ろうとするひかりの裾を引っ張りながら、ルークがすぐに指令を出す。この程度の命令くらいなら聞かれてもまずい事など一つも無い。
「はい」
「戻ってくるでしょ。強くも無いけど、そこまで弱くも無いし。彼ら」
評価しているのかどうかは分からないが、信頼はしているらしい。彼らしい言葉に隊員の何人かが含み笑いをする中、ひかりはようやく落ち着いたのか、これからを問いかけた。
「どうするんですか?」
答えは一言、恐らくはこの世界の中で最も核心に近い場所にいながら最も確信から離れている彼は、途方に暮れていた。
「翼を捜すさ」