第一章 第八節 犠牲の名の下に
「ルークはいるか?」
スピーカーから島全体に声が響いた。昨日と同じ声は恐らく黒部の声だろうとカインは判断し、その声に耳を傾けた。
「はい!」
昨日と同じ展開にカインはもはや驚きはしなかった。ルークは突然名前を呼ばれ緊張の面持ちで顔をあげた。
「彼らを私の部屋に」
「いいんですか?」
ルークが目の前にいない人の顔を窺うように再度尋ねた。その顔は先ほどまでとは違って、真剣そのものだった。
「ああ、特別だ」
「分かりました」
彼は立ち上がり、カインの肩を叩く。
「こちらへ」
「何があるんだ?」
そのまま施設内への道を戻りながらカインは口を開いた。いやな予感は彼の声を聴いた瞬間から持っていたが、その心の奥底には、初めて抱いた明確な殺意があった。
「分からない。けれど、今まで入った事無くて。禁止されてたから」
ルークの口調は硬かった。初めての事態に緊張しているのがこちらにも伝わってくる。
「禁止?」
「何だか重要な書類がたくさんあるらしくて」
「ふうん」
それ以上はカインも何も聞かず彼らは施設内への扉を開けた。玄関前のフロアには既に彼らを除く三人が集合していた。先ほどの放送を聴いていたのだろう。それぞれが微妙な面持ちで立ちすくしている。
「ルーク、これって」
「行こう。僕も良く分からない」
ルナの心配そうな声に彼は努めて冷静な声で返した。シンは何かを考え込んでいるかのように表情一つ動かさず、この状況が何を意味しているのか分からないフェイトとカインは顔を見合わせた。
ルークが先頭に立ちその後をルナ、シン、フェイト、最後にカインが続く。立ち入り禁止、と表示されている標識の横を通り抜け、彼らは薄暗い道の中をを進んでいく。
「ここです」
「ここ?」
ルークが立ち止まり、フェイトが驚きの声をあげた。てっきり彼と会った部屋がそうなのかと彼女は思い込んでいた。
「はい、何か?」
「ううん、何でも無い」
「入ろうぜ」
シンがそう言って扉に手をかける。黙って見守る他の者たちの視線を感じながら彼は部屋に踏み込んだ。
「何もない?」
「でも、黒部さんはここに、って言ってたよね」
ルークがその部屋の中を見て愕然とし、ルナは誰とはなしに問いかける。何も無い部屋の中シンは中央で立ちつくし、カインはそんな彼の様子をじっと見つめていた。
「ねえ、これどういうこと?」
「さあ、僕に聞かれても」
困惑気に言葉を交わすルークとルナを尻目にシンは一つの結論に到達した。
「分かった」
「え・」
「多分、これ―」
「壊す?」
「……分かってんじゃん」
カインがシンの思い付きを看破して結論だけを端的に述べた。何の事だか分からない他の者立ちはただその成り行きを見守ることしか出来ない。
「隠し部屋とか?」
「何か感じが違う。前から思ってたけど」
「手伝おうか?」
「いい」
簡単に会話を済ませカインは部屋の外に出るよう周りに言い、自身もあっさり部屋から出て廊下にもたれかかる。
「どういうこと?」
「すぐに分かる」
フェイトの質問にカインはそのまま目を閉じ、短く答えた後黙り込んだ。心配そうにルナが部屋の中を窺おうとした瞬間、爆音が部屋の中から響いた。
「入れよ」
その音が鳴り止んだ途端、今度はシンの声がこちらに掛かった。その音にも動揺することなくカインは平然と再びドアを開け、中の様子を覗き込んだ。
「どう?」
「うんま―」
最後まで言い終わらない内にルナに背中を押されカインは前のめりになる。
「何でこんな無茶ばっかりするの?」
「無茶じゃない! これでもちゃんと計算して」
「まあまあ」
彼らの口論を何とかルークが諌めている間に、フェイトは目の前に出来ていた新たな空間に目をやった。
「地下への階段」
「何で分かった?」
カインも同様にその先を見つめながらシンに問いかける。言われた当人は現れた結果に驚いた様子も無く淡々と答える。
「俺の能力」
「相変わらずこういう事は得意なんだよねえ、シンは」
「どういう意味だよ!」
「さあねえ」
ルナが軽くシンをからかい出来たばかりの階段に颯爽と足を踏み入れる。
「この、待て!」
その後を追うシンに苦笑しながらルーク、フェイト、そしてカインが続いた。
「暗い」
「こけるなよ」
「誰に言ってるの?」
時折シンとルナが掛け合いを見せる他は何の音もしない空間を彼らは進んでいく。
十分ほど歩いた後、彼らは少し道幅が広くなっているところを見つけ、小休止を取った。
「ばてたか?」
「シンの方が体力無いじゃない。いつも最後はルーク頼りだし」
「なっ! それはお互い様だろ!」
「どうだか」
「仲いいんだね」
「ええ、いつもあんな感じですよ」
「いいのか?」
フェイトとルークが思わず笑顔になる中、カインは改めて彼らを見た。先ほどから口喧嘩ばかりでとてもではないが、仲がいいどころか、険悪な関係にしか見えない。
「カインもいつか分かるよ」
「フェイトとも喧嘩した方がいいのか?」
素直に返したはずだったが、フェイトは何故か固まり、ルークは吹き出した。
「カイン!?」
やっとの思いでフェイトが声をあげた後、ルークはやれやれと肩を落とした。
「仲間はずれかなあ」
「何でだ?」
「いつか分かりますよ。頑張ってください」
「何を!?」
いつもと様子が違うフェイトにカインはただじっと見つめるのみ。次第にフェイトの方が根負けしてそっぽを向いた。
「そんなんじゃない」
「じゃあ、何なんです?」
楽しげな笑みを見せながらルークは少し彼女をからかう。そんな彼に彼女は必死に答えを探し、ようやく納得できる答えを見つけはっきりと断言した。
「家族」
「ああ、夫婦ですか」
「なんでそうなるの!」
「冗談ですよ。僕もそんな感じですし」
そう言ってルークはシンとルナを見た。いつのまにか諍いは済み、彼らは楽しげに語り合っていた。ふと、その姿にカイとリューエを重ねて、フェイトは俯いた。
「カイとリューエの事ですが」
「え?」
フェイトはいきなり彼がその名前を持ち出してきたことに驚き、カインは密かに聞き耳をたてる。
「何かあったんでしょう? 彼も」
そう言ってルークはカインに視線を向ける。そのまま黙りこくってしまった彼らにルークは一人話を続ける。
「先ほどシンとルナにも確認したんですが、やっぱり日にちは貴方たちと一日ずれているようです」
「ずれてるの?」
「はい。恐らくフェイトさん達が過ごした昨日の間、僕らはずっと眠っていたんでしょう」
「一日中?」
フェイトの疑問にルークは寂しげな面持ちで頷いた。
「目覚めると、誰かがいなくなってるんです、いつも。何があったか、誰かが教えてくれることは無いんですが、いない、ということはそういうことなのでしょう?」
「関わってないのか?」
カインがどこかきつめの口調でルークに視線を向けた。ルークはただ首を横に振り、ため息をついた。
「疑われても仕方がありませんが、僕らは何も知らされてもいないし、関わってもいません。知らないことが罪、というのでしたら何も僕は言い返せません。ただ、起こっている全てが悪だとは思っていませんし、また思いたくも無い。実際、貴方の働きも無駄ではないですし」
「知ってたか」
「ええ、指令を出していたのはここですから」
「ですから、今回の事だけで黒部さんたちをまだ悪とは―」
必死に弁解を並べる彼に内心フェイトはうんざりしていたが、それが顔の出る前にカインが話を打ち切るべく自身の立場をはっきりさせた。
「言われなくても、自分で判断する」
「そうですか」
ルークはそこで壁にもたれかかり上を見上げた。岩ばかりのその空間に、静かに時が流れ、少ししてから、彼は休憩の終わりを告げた。
「あれ?」
前を行くルナが足を止めた。後ろに続く面々がそれに合わせて立ち止まり、何事かと前を見る。
「行き止まり?」
「一本道だったのに?」
ルナとフェイトは目を合わせ訳が分からない、といった顔をする。そんな中カインとルークはシンの方へ視線を向ける。案の定彼は手を壁に当てて何かを探るかのように目を閉じた。
「って、ここで壊すの!?」
ルナが先ほどの光景を思い出して声を張り上げた。確かに、ここで壁を壊せば確実にこのトンネルが崩落するのは目に見えていた。
「流石にここでは不味いよシン。上に何があるかも分からないのに」
「じゃあここで立ち往生かよ」
ルークもその危険性を指摘する。もし上が居住区だとしたら、目も当てられない第三次になるのは目に見えていた。沈黙が訪れた中、一人カインが口を開いた。
「問題ない」
「カイン?」
フェイトが驚いて彼を見る。カインはシンの方を向いて打開策を提示する。
「この壁に穴を開けよう」
「でも、その衝撃で崩れたら」
ルークが言うのを手で遮って、彼は力を展開する。施設内からの光ももう届かない暗闇の中、彼の翼が現れ、彼は力を展開する。
「全部俺が支える」
「できるの?」
ルナが懐疑そうな視線を向けるが、カインは軽く一蹴した。
「俺のしてきた事は知ってるんだろ?」
「そりゃ、そうだけど」
「なら、任せろ」
「お前と心中なんてこっちはごめんだからな」
そう言いながらシンも既に力を展開していた。互いの力を感じあう合う中、確かに彼らは目が合った。
「ああ、俺も嫌だから安心しろ」
「なっ!」
「早くしろ」
「分かってる!」
見事に言いくるめられたシンは、その手の中に鎖の一端を出現させる。それは何十にも折り重なり、次第に巨大な鎖のハンマーを作り出す。
「いくぜ!」
掛け声と共に繰り出された一撃は目の前の壁をいとも容易く吹き飛ばした。
「え?」
あまりの衝撃の無さにシンは唖然とする。確かに壁の大きさは彼の背丈よりも若干大きい程度ではあったが、あまりにも厚みが無さ過ぎる。
「外か」
カインはすでに力の展開を解き開いた道から外へ出た。
「ようこそ、式根島へ」
「黒部さん?」
そこには多くの人間を従えた黒部の姿があった。三人が口を揃えて驚き、カインはフェイトの前に立ち彼を睨み付けた。
「これは」
「心配しなくても説明する。おい」
ルークの説明を求める声を遮り、近くにいたスーツ姿の男がルークに地図を渡した。
「そこに今回の仕事を書いておいた。なあに、簡単な事さ」
「僕らが、ですか?」
「大丈夫、カインもいる」
心配そうな彼の頭に彼は優しく手を置いた。少しだけ彼の顔から緊張が解け、決意が満ちる。
「分かりました」
「親みたいなものなのかな」
「ただの洗脳にしか見えない」
その光景を眺めていたフェイトが少し目を細め、逆にカインはそれを道化と受け止めていた。親を知らない彼にとって、何の利益も無い取引は無駄にしか映らない。なら何故お前は言いなりになっているのかと言われればこう答えるだろう。
『他に行き方を知らない』と。
「終わったらここに戻っておいで」
そうこうしている内に打ち合わせは終わったらしい。黒部はルークに最後に一言声をかけ、集団の中に戻っていく。彼らも何か動くらしく、周りの人間は武装していた。
「はい」
ルークはそのままこちらに戻ってきて、彼らに今貰った地図を見せる。
「何だ? これ」
「私はここにいけばいいんだ」
「私はここ?」
「確かに楽だ」
シン、ルナ、フェイト、カインはそれぞれ一言ずつ感想を述べていく。何て事は無い、ただこの島の指定された場所に行けば言いだけの事。彼らは大して深く考えもせず、指定された場所への道を歩き始めた。本来なら力を使いたいところではあったが、地図を見る限り、この島は無人島ではない。無闇に目立つのは避けるのが得策だった。
「じゃあ、また後で」
ルークの声が後ろから響き、カインは振り向きもせずそのまま手だけをあげた。あまり広くもなさそうな島だ、何だか知らないがすぐに片付いてまたここに戻ってくるのだろう。そう彼は思い、空を見上げた。