第一章 第七節 朝に
「うっ……」
「気づいた?」
目が覚めるとまずカインの目に飛び込んできたのは白い天井と、フェイトの姿だった。起き上がろうとしても思うように体が動かず、初めて経験する痛みに思わず彼は顔を顰めた。
「痛む?」
「少し」
強がっても仕方が無いので彼は大人しくベッドに横になった。
「大した事無いって。そこで今日は休んでて」
「ああ」
そのままカインは目を閉じた。そんな彼を見てフェイトはため息を着いた。
「カイン……」
「心配?」
「当たり前です、あなたは違うんでしょうけど」
背後から掛かった声にフェイトは言葉を棘付きで返した。言われた側は少し体を震わせ、必死の反論を試みる。
「そんなこと―」
「こんな事ばかり続けて、何が楽しいんですか?」
「いつか全ての世界が」
「なるわけ無い!」
部屋の空気が震えた。こちらに姿を現したのは麻衣だった。
医療室にいるのは彼女達だけだった。治療中に何故か突然現れた彼女にフェイトは敵意丸出しで睨み付けた。
「実験台ですか?」
「違う!」
「生贄ですか」
「これは」
畳み掛けられるようにして繰り出される質問に対抗しようと麻衣が一歩踏み出した瞬間、フェイトは振り返りその強い視線を彼女の方へと定めた。
「あの子」
「え?」
「完成したんですね」
「……ええ」
カノンという名の白い翼と大鎌を持った少年。前見た時よりも遥かに戦闘能力が増している。その要因は、一つしか思いつかなかった。
「天使じゃない、あんなの」
「じゃあ、何だと思うの?」
吐き捨てられた言葉に麻衣は問う。フェイトはゆっくりとこの世界特有の概念で答えた。
「死神」
「成功だったんだろ?」
「ええ……」
白谷の言葉に麻衣は物憂げに反応した。白谷の部屋である一室で彼らは顔を合わせていた。『ハムレス』の研究員とやらも今は本部に退避しているはずだった。
「カノンは必要なのか? カインでも十分そうだが」
白谷はベッドの上で煙草に火を点けた。隣で寝ていた麻衣がその煙に顔を顰めた。
「カインでは、まだ。カノンなら例えセイバーとでも渡り合える」
煙がゆっくりと吐き出し、白谷はこれからの事を思う。またどこかへ異動だろうが、恐らくする事は似たり寄ったりだろう、と彼は内心うんざりしていた。
「焦ってるよなあ。次の計画ももう始まるしな」
「それだけ事態を『ハムレス』は急いでる。理由は不明だけど」
「LIGHTSも関与できないのか?」
白谷が名前だけは聞いている組織の名前を口に出す。彼女はあまり多くを語らないが、それ相応の組織であることは予想が着いていた。
「分からない。セイバーに『ハムレス』は不満があるみたいだし」
「不満?」
そのまま黙り込んだ麻衣の頭を撫でながら白谷は再びベッドに倒れ込んだ。明日カインやルークを島へと運び、全てが終わる。明日からこの世界がどんな形へと変貌するのか、彼には想像することも出来なかった。
「明日、か。計画が本当ならこの世界は終わるな」
「力による支配。それしかないもの。戦いを終わらせるには」
彼女の過去もまた、彼は多くを知らない。幼いころ、世界のほとんどを失ったとしか。
「それでここは武器工場になるわけか」
彼もまた分かっていた、抵抗すれば終わりだ。この世界もハムレスの掌の中にある以上、上手に妥協しながら付き合っていくしかない。例えそれが、どんな形であっても。紺の世界を滅ぼされるわけにはいかないのだから。
朝、目が覚めた。起き上がり横を見ると、フェイトの姿があった。試しにベッドから下りて軽く腕や足の状態をチェックするが、特に何の問題もなさそうだった。部屋から出て軽く周りを見て回るが案の定人影は無く、施設内はひっそりと静まり返っていた。
「おはよう。どうしたの? その傷」
振り返るとルークが後ろに立っていた。彼はそれを無視して外への扉を開け、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「人もいないし、シンやルナは部屋にいるんだけど、カイン何か知らない?」
「知らないのか?」
昨日の事を思い出してカインは初めてこの人物に敵意を覚えた。運営に関わっているのなら、当然昨日の出来事を知らないはずは無かった。
「何を? 今日カノンが来るのに、何でこんな静かなんだろう?」
「……今日は何日だ?」
彼の態度を不審に感じたカインの質問に返ってきた返事は昨日の日付だった。試しに昨日の出来事を語らせてみても、彼に嘘をついているような素振りは無かった。というより、もし知っているのならわざわざ自分の目の前に現れたりはしないだろう。態度によっては殺されることもありえるのだから。
「黒部はどこだ?」
カインは首謀者であろう者の名を口にする。彼に聞けば全てが分かりそうなものだったが、居場所が分からなければそれも叶わない。
「分からないんだ。本当、何かあったの?」
すがる様な視線を送られても、カインにはどうする事も出来なかった。ただ時間が流れていくのを待っていた。
「僕らはさ」
ルークが彼の隣に座る。目線で座らない? と催促され彼は仕方が無くその隣に腰を降ろした。
「三人一緒に育ってきたんだ。 物心ついたときにはもう、当たり前の様に三人一緒だった。親も分かんないし、赤ん坊だったころに黒部さんに拾われたんだって。それからはずっとここで。カインは年いくつ? 分かんないの? 僕らが十歳位らしいから、カインも大して変わらないと思うけど」
「それで?」
「ああ、それでね。カインのツバサを見て、実はすごく驚いた。シンの方がその驚きは遥かに大きかっただろうけど」
ここでルークが水色のツバサをはためかせた。初めて見るその澄んだ色に一瞬心奪われたが、カインとはただ一点が違っていた。
「片方だけ?」
不思議そうにその翼を眺めるカインにルークは笑って頷いた。
「ええ、ルナも。でも、シンとカノンと君は違う」
「同じだろ」
普通の人間に羽が無いことくらい彼も知っていた。ならば一つだろうと二つだろうと付いていれば同じ事だった。そこに違いを求めるのはナンセンスだ。
「いえ、やっぱり違うんでしょう。きっと」
「分かんないやつだな」
「シンにも良くそう言われます。仲良くしてあげてください。僕らと違うことに、彼もまた悩んでるみたいですから」
「あいつが?」
そんな事で悩むタイプには見えなかったが、彼にもまた彼なりの何かがあるのかもしれなかった。カインは前を見た。どこまでも広がる海と、空。カイとリューエが何故あんな事になったのか、多くの人間を殺してきた彼にようやく、その意味が分かり始めていた。
「何が起こるんだろうな」
彼の言葉にルークも何も答える事は無いまま時はやってきた。