第六章 第七節 戦争という名の試験
「もう! 何で初めての子にあんな事するかな!」
「大丈夫だよ。急所は外れてたし」
模擬戦後、シンとひかりはモニター室を訪れていた。自分たちの戦いの確認のためだったが、飛んできたのは綾香の怒声だった。
「あんなもんだ。手加減したって彼女の訓練にはならないだろ?」
結果的に圧勝したシンが得意げに手にしたカップをゆらゆらさせながら綾香に言い返した。
「全部よけるんだもん!」
一体どちらの味方だったのか、何故か戦い方にまでけちをつけられたシンは黙ってコップに口を付けた。
「どうだ?」
部屋の部屋の反対側でお喋りを始めた隙を突いて、白谷がシンの隣に腰を下ろした。
「強い、カノンがやられたのも分かる」
「そうか? そんな実力差があるようには見えなかったが?」
シンが先の戦いを振り返って短く感想を述べた。お互い大した怪我も無く無事に済んだ事にまず彼は安堵してしていた。
「相性の問題だ。近接戦闘に特化したあいつじゃ遠距離からの攻撃の気配はまず気付けない。第二戦はあいつから始まったらしいから、三人でもきつかったんだろ。カインならそれとなくやるだろうし、俺はそういう相手が大好物」
捕獲用に作られた彼の真骨頂は気配の読みにある。攻撃をするのか、動くのか、相手の次の動きを読んで攻撃をかわし鎖で絡め取るのが彼の戦い方だ。
「お前が苦手な相手は?」
何故か笑みを浮かべる白谷に、シンは少し考えてから素直に答えた。
「カノンだろうさ。カインはオールラウンダーだからな、得意な物も無ければ苦手なものも無い」
いくら攻撃を読んでも対応できるスピードというものがある。こちらから先攻できるのならば勝てなくも無いが、いきなり目の前に現れたら死を覚悟しなくてはならない。そういう点が、どんな距離の相手にも対応できるカインとの最大の違いだった。カインの場合近距離に来られても風の風圧で押し返せる上、周りを厄介なトライデントがくるくる回っている。恐らくひかりでは相手にならないだろう。
「なるほど。使えると思うか?」
「使える。一般人相手ならな」
二人は先ほどから談笑を続ける彼女たちを眺めた。お互い過去の傷など感じさせない笑みを、シンは見ていられず部屋の外に出た。
「あ……」
「おはよう、かな?」
彼が今、最も顔を合わせずらい人物と鉢合わせし、彼は黙って頭を下げた。
「おはようございます」
「いいよ。そんな事しなくて」
綾香から大体の事を聞いていたシンはあのフェイトを彼女と会わせない様、最大限の配慮をしていた。顔を合わせても辛いだけなのは、分かりきっていた。
「模擬戦なんだってね」
「はい。もう終わりましたけど。あっ、妹さんなら今――」
シンの言葉を遮って、彼女はポケットから何やら診察券のようなものを取り出してひらひらさせた。
「私は今から検査だから。もう少し見ててあげて」
「検査?」
「知りたいんじゃない? 私の力とか」
失言だった。妹とは違い何らかの力が確認されている彼女には、平日休日を問わず様々な検査が繰り返されていた。ひょっとしたら妹へのこの待遇は彼女のこの件が影響しているのかもしれなかった。
「すみません」
「いいよ、もう」
「あの!」
せめて何かできる事は、と問おうとした彼を拒否するように彼女は再びその足を進めた。
「いいから」
すっと彼女が彼の横を通り過ぎたとき、鳥肌が立った。思わず自分の体を抱きしめたシンは、振り返る事もできずに足早にその場を去った。
「おや? 今日は暇なのかい?」
「ここもロイヤルナイツに変わるのか?」
「それは彼次第だろうね」
いつもどおり振舞っているようで、明らかに憔悴しているのが見えてシンは手近な椅子に腰を下ろした。
「何でだろうね。まだ何も始まっていなかったのに」
「泳がされてたんだろ? 俺の言った通りだ」
結局の所、ロイヤルナイツが組んだのは、ハムレスはハムレスでも本部の方だった。現在行われている人事異動を見ればそれは明らかだった。この世界の人間は冷遇され、ハムレスから派遣されている人間は軒並み昇進していた。確か白谷と一緒にいた女性も脱走罪を問われないまま上のポストについていたはずだ。
「そうだね」
黒部の異動が決定したその日からルークは部屋に閉じこもっていた。元から力の持たない者を軽蔑する傾向のあった彼に友人などおらず、今ではたまにシンが訪ねてくるだけだ。部屋の中も理路整然としていたのが嘘かのように、書類やらゴミやらがあちこちに産卵している有様だった。
「何か食ったか?」
ベッドの上で横たわる彼の表情は憔悴しきっていた。シンにとってはそうでもなかったが、彼にとっては全てと言ってもいい存在だったはずだ。微かに同情を覚えたシンは、明るい声を出して彼を引っ張りあげた。
「食堂行こうぜ! 俺今日暇だし」
「強いね。君は、ルナもいないのに」
強引に上半身だけ起こされたルークは弱々しい笑みを浮かべた。あまり見る事のない表情と、懐かしい名前を出されてシンはの笑顔に少しだけ影が落ちた。
「知ってる」
「それでも、そんな顔ができるんだ」
「暗い顔、あいつ嫌いだったから」
思い返されるのは、取っ組み合いやくだらない口喧嘩ばかりだ。それがことさら懐かしく思えるのは、短期間に大人になりすぎたからかもしれない。
「そうだね。いつも喧嘩ばっかりで、君たちは。僕が止めるのも聞かないで走り回って」
「……行こうぜ」
その瞬間だけ子供に戻ったかのようにシンが笑顔を作り、今度はルークもそれに答えた。
「うん」
「うわあ……」
アルスが帰還したフェイニータルは、上や下への大騒ぎとなっていた。いきなりカインが復帰したかと思うと自らの正体をあっけなく晒し、隊長に就任すると言い出した。
これにより知る人ぞ知る存在であったはずのカインの素顔は全世界に公表され、その噂を知る者たちから痛烈な批判をロイヤルナイツは浴びていた。
しかも、これをレイブンが否定すればいい物を呆気なく承認し、自らハムレスへの加入を宣言した事に対してロイヤルナイツは爆発寸前だった。あちこちで決起集会やら大きな声が響く館内を入りまわり、彼はやっとお目当ての人物を探し出した。
「アルス!」
「お帰り」
フェイトがアルスの体に飛びつき、リースは彼に軽く右手を上げた。
「カインさんが隊長って」
「事実だよ。今あいつは世界を飛びまわってる。文字通りね」
あたふたとあちこちを走り回るロイヤルナイツの面々を冷めた目で眺めながらリースがざっと今の状況を説明した。端から見ても異常なほどの混乱振りにアルスもフェイトも驚きを隠せない。
「挨拶まわりですか?」
「プラス抵抗勢力の虐殺。なりふり構わなくなったね。レイブンもハムレスから相当いい条件出されたっていう話しだし」
「虐殺って!」
やっている事はカノンと同じだ。一つ違うのは、バックにいる組織が桁違いに大きい事、ただそれだけ。だがその違いがあれば、この世界では何でもできる。
「納得はできないけど。あいつが考えた『マリア様』を守る方法なんでしょ?」
「それだけで?」
「さあ? もう興味ないよ、こんな世界」
リースの怒りに、アルスも天を仰いだ。
「シンは何て言ってた?」
「ごたごたになるだろうって」
「だろうね。いつになったら連絡が取れるのやら」
リースが頭を抱えて嘆く。仲間と連絡が取れなくなってからというのも、外の情報が全く分からなくなっているのは痛かった。これではこの世界の内の情報でしか判断できない。
「ひかりちゃんは?」
「体は大丈夫だけど心が、ね」
フェイトの問いに、アルスはその表情を一層暗い物となった伝聞でしか聞いていなかったが、無理も無い話だ。
「そう……」
「僕たちハムレス行きですか?」
「ここが実験場になるのかもね。上がどうなっているのかは知らないけど、色々生物兵器のサンプルが送り込まれてくるかも」
「サンプル、ですか」
「私たちも似たような――」
「もんだからな」
だらだらとして世間話の間に入るような自然な調子で入り込んできたのは、見慣れた仲間だった。
「ジャスティ」
「戦争らしいぜ」
「他の皆は?」
相変わらずの軽薄さの中にも、戦意が満ち溢れていた。アルスとフェイトに軽くウインクしてから、ジャスティは彼女の方に向き直った。
「キュラスはハムレスの方に、後は知らん。何か急にお前と連絡つかなくなったんで、直接来たんだが」
「相手は誰なんですか?」
誰かは分からない物のとりあえず敵では無いらしい。戦争、という物騒な単語を聞いたアルスの額を軽く小突いて彼は不敵に微笑んだ。
「カインのやり方に反対するもの全部だとさ。ま、働こうぜ」