第六章 第六節 せめてその選択が正しきものでありますように
「ありがとうございました」
平身低頭とはこういう事かと言わんばかりのアルスの見送りに、シンはヘリポートまでわざわざ出てきていた。フェイトやカイン、リースは二日前に既にフェイニータルへと戻っている。着々と進む彼の改革に若干の不安を感じながらも、シンは手を差し出した。
「もう来んなよ。そっちもこっちもどうせこれからごたごただ」
「はい。すみませんって、これ」
「俺に用がある時はその番号に掛けろ」
「あ、じゃあこれ僕の――」
「お前なんかに助けを求めてたまるか」
「じゃあ、いつか求めて貰える様に頑張ります」
シンが踵を返し、アルスは書きたてのメモをポケットにいれた。ヘリのプロペラが回転を始め、アルスもまた乗り込むために彼に背を向けた。
「また」
最後にアルスはそっと彼の背中に別れを呟き、彼を乗せたヘリは空の彼方へと消えて行った。
「無様だな」
途中、珍しい人物を見かけたシンは立ち止まり声をかけた。
「時代の流れか?」
見苦しい言い訳が聞けると踏んでいたシンは、意外と潔い声が聞こえてきたことに思わず彼の顔を見上げた。
「少なくともあんたの面の皮はあいつらより薄いらしいな」
「貴様の仕業か?」
黒部の顔がシンを見据えた。いつ以来かも忘れてしまった二人だけの会話は、シンが切る形で終わりを迎えた。
「あんたがそう思うならそれはあんたの勝手だ」
「まだ私は諦めた訳じゃない」
「何もして無いだろ」
「これから始める、全てを。今回の事も想定済みだ」
レイブンとハムレスの繋がりが決定的になった今、彼の存在など何の意味も無いだろう。どこに飛ばされるのかシンも知らなかったが、妙に彼の声には自信が満ちていた。
「強がりだな」
「じきに分かる」
別れを惜しむでもなく立ち去っていく彼の背中を、シンが鋭い目線で見送った。
「ルークもいなくなったんだって?」
「ええ。あなたはまだここに?」
「カインの眼中に俺はいないんだろ」
名前だけなら黒部とも対となる存在が目の前にいた。シンと黒部の会話を聞いていたのか、彼が去った方向を眺めながら寂しげに呟いた。
「データ洗い出されたんだって?」
「主なものは」
「大変そうだな。お前さんも」
「カインは恐らく自分がマリアの代わりになる気だ」
独り言のように呟いた言葉には一抹の諦めも含まれていた。
「代わり?」
「自分だけで世界を統合して、本部へ行って全てを薙ぎ払えば戦いは終わるだろ?」
「そんな単純なものなのか?」
それで事が済むならこの世界など、とっくの昔に戦いが終わっているはずだ。白谷も肩を竦めて嘆くように呟いた。
「案外簡単なのかもしれないな、あいつにとっては。まあ、俺にどうこうできるレベルでは無くなって来た事は確かだ」
「お前、これから?」
シンの今日の予定はたった一つ。それでもその一つがとてつもなくハードなスケジュールではあった。
「模擬戦? ああ、噂の桃色さん?」
「データが欲しいらしい」
「壊さないようにな」
「分かってる」
白谷がシンの肩を軽く叩いて立ち去ろうとした瞬間、後ろから声がかかった。
「やっと見つけた」
「おや?」
「……」
「綾香、学校はどうした?」
言葉を失っているシンに代わって尋ねた白谷の言葉に、綾香はもう、と少し怒った顔をして勢いよく言い返した。
「今日何曜日?」
「ああ」
そういえば、と白谷が携帯で今日の日付を確認して納得したように頷いた。週末、学生にとっては待ちに待った休日だ。
「今日暇?」
「何でこいつらは自由に中を歩けるんだ」
「何か言った?」
思わずぼそっと呟いた言葉に噛みつかれ狼狽するシンに白谷が助け舟を出した。
「これからこいつもお仕事だ」
「ひかりちゃんと模擬戦?」
「誰から聞いた?」
最早何でもありだった。何故トップシークレットの存在がこんあ簡単に知れ渡っているのか、シンは責任者をとっ捕まえたい気持ちを我慢して静かに尋ねた。
「昨日学校に来て、お話したから」
「知らなかったのか?」
「見に行きたいって言ったら、うん! って答えてくれたから」
「心身衰弱じゃなかったのか?」
シンの言葉に彼も頷いた。一昨日に目覚めたのは聞いていたが、彼もそれを理由に面会を断られていたのだ。それが一日で誰かと会話ができるまでに回復するだろうか。
「俺もそう聞いてた。あのフェイトの話じゃ相当懐いている存在もいたっていう話しだしな」
「いや、まあ、許可が降りてるなら」
どの道そこまで話が進んでいるなら彼に断る権利は無かった。一方彼女はシンから直接許可が降りた事が嬉しいのか、声を弾ませて彼の腕を引っ張った。
「さっき場所にいったらひかりちゃんはもういたけど、シンはどうしたんだろう? って探しに来たんだよ」
いまいち要領を得ない言葉だったが、大体の事は分かった。要は相手はもう自分を待っているのだろう。正直なところ綾香に力を見せる事に少しの抵抗があったが、これも仕事だと彼は次の瞬間には気持ちを入れ替えていた。
「俺も同行していいか?」
「俺も他者の意見が聞きたいですから」
その彼女の変わりようが彼らには気になっていた。勿論、一度はカノンに勝利し、二度目もあの小規模ながら家一軒を吹き飛ばすその実力に翼としての興味もあった。
「モニター室で見てるからね」
「気をつけろよ」
綾香が隣の部屋に入って行き、白谷も彼にぼそりと呟いて後に続いた。黙って頷き返したシンは、一つ深呼吸をして目の前の扉を勢いよく開いた。
「よろしくお願いします」
向こう側で礼儀正しく頭を下げた彼女に、シンはどうにも違和感を覚えた。少なくとも幼いころから戦い続けてきた戦士の目ではない。あまりにも表情が子供過ぎて、シンは戦うことにすら抵抗を感じた。
「あ、ああ」
「翼が開くんですよ!」
桃色の翼を嬉しそうに羽ばたかせる彼女の姿に、シンはどうしようもなき感情に襲われて顔を上げることができなかった。モニター越しに見ている彼ももう気付いているかもしれない。
「記憶を消したのか」
深いショック症状から立ち直らせる場合、通常は薬やカウンセリング等で長い時間をかけて治療して行くのが一般的なやり方だったが、その対象が戦士の場合こんな事は日常茶判事だった。最も、こんな少女にそれが行われた事はシンの知る限り今まで無かったが。
「ほら、杖です!」
それでも体に染み込んだ戦いの記憶は簡単に消えはしない。新たな記憶を埋め込まれて、翼は新たな戦場へと放り込まれる。シンとの模擬戦は彼女自身のデータ云々ではなく、純粋に記憶を消した事に対して戦いにどんな影響が出るかの見極め、と言ったところだろう。
だからシンも感情を殺して相手を見据えた。綾香の存在も頭から完全に消去して、彼は力を解放した。
「いくぞ」