第六章 第五節 苛立ち
「こぶできちゃったね」
頭をさすりながらフェイトがアルスの頭をそっと触る。先ほどまで聴取を受けていた彼女は、アルスが目覚めた事を聞いてすぐに駆けつけていた。
「仕方ないよ。これ位ですんだ事に感謝しないと」
「シンさんにも」
苦笑いで答えるアルスにフェイトが釘を指すように指を立てた。
「分かってるよ。カインさんは?」
「何だか、疲れてるみたいで」
出張先から急に呼び出してしまった格好だ。ロイヤルナイツに傷が付かなければいい、とアルスの心配は最終的に一人の人物に行き着いた。
「……彼女は?」
「まだ寝てる」
「起きても、まだ色々ありそうだね」
アルスたちから見てもハムレスから見ても正体不明の人物だ。これから数々の聴取が待っている事だろう。重い空気に包まれる中、アルスがとある事に気づいた。
「何で、カノンは僕らの位置が分かったんだろう?」
シンが真っ先に来るのなら分かるが、カノンが来たのは予定外もいい所だった。あれさえ無ければこんなことにはなっていなかった。
「あの、アルスが使ってたの、あるでしょ」
「うん?」
何故か言いにくそうに言葉を濁す彼女に、アルスはわけも分からず続きを待った。
「あれ、翼さん全員に有効なんだって」
「……」
「能力の気配? か何かが近いんだってシンさんは言ってた」
声を落として俯くフェイトに、アルスはうな垂れて思わず天を仰いだ。
「合わす顔が無いよ」
そんな簡単な事にも気づかなかったのは致命的としか言い様が無かった。
「知らなかったんだよね」
「言い訳だよ。そんなの」
彼女に何て言えばいいのか彼の頭では何も思いつかなかった。そもそも、これでは彼女たちの生活を奪ったのは自分の様な物だ。
「それで、僕らこれから?」
「アルスは明日位まではここで静養かな。私はもう戻らなくちゃだけど」
「そういえばここ、どこ?」
「日本とかいう国なんだって」
「ああ」
彼にとって馴染みは薄いが、確かフェイニータルとも繋がりの深い地域だ。全体的に技術も高く、規模の大きい支部も存在する。
「分かった。僕もすぐに戻れると思うし、フェイトも気を付けて」
「分かってる。アルスも無理しちゃだめだよ」
苦笑いするアルスを置いて、フェイトはリースさんに知らせて来るね。と言って部屋を出て行った。ようやく一人になったアルスは襲ってくる眠気に身を任せ、そのまま目を閉じた。
「何だか慌しいね」
そこから遠く離れたブロックの廊下に、瞼を擦りながら綾香が顔を出していた。幾ら二十四時間体勢でこの組織が運営されているとはいえ、これほどのざわめきは異常だった。
「さっき女の子が運び込まれて、関係者は軒並みそっちの方に行っちゃったよ」
「そうなんですか?」
すっかり顔馴染みとなった一人の職員が彼女に声を掛けてきた。よく見ると後ろには宮田もいて何かの箱を必死の形相で運んでいた。
「どうせ俺らには何の情報も降りてこないだろうけど」
「大丈夫かなあ」
「彼なら何か教えてくれるかもね」
「最近こっち来ませんから」
そもそも唯の学生と彼では身分も何もかも違う。恨みが無いと言えば嘘になるが、責任は自分たちの父親の方が大きい。援助もされ命の恩人となれば感謝する気持ちの方が大きいが、今の現状を彼が過度に責任を感じていることが悩みの種ではあった。
「学校じゃない。明日は休みでしょ? 彼今ここにいるし」
「来るかなあ」
彼女自身は落ちついたとはいえ、肝心の姉の様子がおかしいのは変わらなかった。宮田に聞いても白谷に聞いても首を振るばかりで、彼女自身の何も語らずとなれば綾香にも打つ手は無かった。
「それじゃ、もう寝なさい。何か分かったら教えてあげる」
「はい。おやすみなさい」
明日早起きすればいいだけの話しだ。今通っている学校の生徒の大概はこの近くに住んでおり、彼女が住んでいる場所を離すたびに羨望の目で見られるものだ。お陰で難なくクラスには溶け込めていたが、どうにも息苦しいのが彼女の感想だった。
「寝よ」
「起きてたのか?」
部屋へと戻りかけた矢先、耳慣れた声が聞こえてきて彼女は鬼の形相で振り向いた。
「こーいう時にしか来ないの!?」
「え、あ、いや」
「今何時か知ってる?」
「別に会いにここまで来たわけじゃ」
「何しに来たの!?」
その言葉に綾香の怒気が一層上がる。何の用も無くハムレスがこんな居住区になど来るはずも無い。
「何か上がごたごたしてる」
綾香の問いにシンは一息ついてから答えた。よく見るといつもより疲れて見えて、綾香はとりあえず振り上げた拳を引っ込めた。
「上?」
「上司が同い年になったし、黒部はどっかへ行っちまうし、ルークは塞ぎこむし。ロイヤルナイツとハムレスに統合の話は出るし、アルスはまた寝てひかりとやらは起きないし、リースはカインに突っかかって相手にもされなかったからって不機嫌になるわ、フェイトはフェイニータルに戻ってカノンの居場所は未だ不明。一人になりたくもなるだろ」
「?」
一息で吐き出された愚痴の全てが彼女には理解できなかったが、何やら大変な事になっているのは分かったが、最後の言葉だけは気に入らなかった。
「俺の部屋はもうちょっと先」
「ここで寝たら?」
冗談だと受け取ったのだろう。シンは少し声を落として彼女の耳にそっと囁いた。
「お父さんとの面会はもっと後になりそうだ。何をしてるのかも俺の権限じゃ聞けない」
またこの話題だった。常に気を使われるのはありがたいが、どうにもならない事など吐いて捨てるほどあることくらい、綾香にも分かっていた。
「大丈夫だよ。きっとお父さんもお父さんの事情があるんだよ」
「怒ってないのか?」
シンが身を屈めて綾香の顔を覗き込んだ。あまり親の概念が頭では理解できない彼だが、それなりに大事な存在なのだという事は再会の時の反応から痛いほど体で分かっていた。
「お母さん、お父さんの事大好きだったから」
「でも」
「私お母さんの事好きだよ。お父さんの事も。シンだって、殺したくなかったよね? 私たちの事。何のお話もしてないのに、お父さんのこと悪者にはできないよ」
「……そうか」
「だからシンはここで寝る事」
「何でだよ!」
抵抗もむなしくあっさりと腕を掴まれ、為すすべも無く部屋の中へと放り込まれた。
「おかしな奴だな」
頭を抱えながら立ち上がったシンは、彼女の頭をポンと叩いて立ち上がった。
「シンに言われたくないなあ」
「実は寝る時間は無いらしくてな、暇があったら来てやる」
「偉そうに」
手をひらひらさせながらシンは微かに微笑み、静かに扉を閉じた。
「何やってるの? 君」
式根島、今はもう住人の全てが出て行った島の、かつて全てが始まった神社の中に彼らはいた。幸い治療道具の一式はとある建物から仕入れていたし、食べ物もカノンがどこかから持ってきていたため、二人で生活するには充分な生活環境だった。
「……」
「リベンジするって飛び出したのはいいけど。これじゃ逃げ帰ってきたみたい」
「……」
体のあちこちに怪我をして帰ってきたカノンは包帯だらけだった。先ほどからぶすっと、子供のような不機嫌な表情を見せるカノンに、彼女はやれやれと息を吐いた。
「ここも人いないんだ。カノンの秘密基地か何か?」
ここに来てからまだ一週間も経っていなかったが、彼女からしてみれば砂漠の中もここも同じで、何がどう違うのか分からなかった。
「黙ってばかりじゃ分からないんだけど?」
「墓場だよ。あそこは」
「墓場?」
ようやく口を開いたカノンの言葉に、彼女は首を傾げた。何故あんな反応を見せたのか彼女の常識では理解できなかった。
「知らないのもしょうがないけど。何か失態でもしたの? あんな所に君みたいなのがいたら一週間も持たずに錆びて動かなくなって彼らの仲間入りだ」
「それ、駄目なの?」
「死にたいなら邪魔はしない。力もあるのに何もしないのは見ててむかつくから」
「死?」
「悔しくないの? こんな目に合わされて。大体心も与えないなんてどうかしてる。それだけは彼女にも感謝しないと」
「心?」
理解できないならそれまでだ。そうやって次々と死んでいく人物を彼は腐るほど見てきたが、その時何も感じずただ突っ立っていた自分に腹が立ってもいた。最近見る夢が過去のものだと気付くのにそう時間はかからず、彼女たちの微妙な反応にも過去見てきた者達の醜い現実にも彼はできたての感情のままに失望していた。切り捨てたければ切り捨てればいい。ただ黙ってこのまま死ぬつもりは彼には無かったが。
「ああもう! 黙ってて!」
「熱くなると勝てないぞ」
夜の島に彼の声が一際大きく響いた。
「分かってる!!」