第六章 第一節 王の資格
「親父とねえ」
やる気の欠けた表情で腕を思いっきり上に伸ばしたアーバンの顔は、観察するまでも無く眠気で溢れていた。
「レイブンの命令だ」
対照的に隣に立つカインの表情は険しさそのものだ。メイル王国行きの飛行機への搭乗手続き中、アーバンのパスポートを見た受付の女性が口を開けていた。王家の人間がその国に帰るのに一般人に紛れていたのだから無理は無い。が、すぐに表情を元に戻していつも通りの応対を開始する。こういう状況に慣れているのだろう。
「ま。お前との旅行も悪くは無いさ」
受付が終わり、彼らは航空機に乗りこんだ。席はファーストクラスを貸しきっているため、誰かに彼らの会話を聞かれる心配も無い。アーバンの地位とフェイニータルの財力の賜物だった。
「飲むか?」
「謁見の前にか?」
カインはあっさりと手を振ってアーバンの誘いを断った。最も、誘った当人も冗談だったのか、あっさりと表情を真剣なものに変えた。予定されている所定時間は約二時間、ぼやぼやとしていればすぐに到着してしまう。
「で、何で俺たちにこんな任務が降りたんだ?」
「王位継承権を持つ者は何人いるんだ?」
「第一王子、第四王子、第五王子、第六王子、第七王子、で第一皇女、第二皇女、で俺」
「王位継承順?」
「そ。おれ王妃の子供じゃねえし」
「側室か?」
「もっと下、使用人。ま、それで生まれた子供を王家にいれるんだから寛大と言うか何と言うか」
王の血を受け継いでいる限り、基本全ての者に王位継承権は与えられる。先の内戦で死去した第二、第三王子を除く八人の跡継ぎは全員、王を継ぐ資格を有する。
「確か第二王子以外は首都にはいないんじゃなかったか」
人事のようにアーバンが兄弟の現在を思い出す。王位継承が濃厚な第一王子以外は、それぞれが各地に散らばっていた。アーバンの様に他国に渡る者、軍に入る者、議員となる者、経営者へと転身した者。
「皇女はどっちももう結婚してるしな」
一昔前は政略結婚も当たり前のように行われていたが、ただでさえ王制は衰退しこの国の王権も風前の灯だ。わざわざ繋がりを持つメリットも無く、下位の継承者は比較的自由が許されていた。
「どちらもそれなりの地位の人物である事には違いない」
アーバンに聞くまでも無く、それくらいの情報はカインも知り得ていた。子供もカインと同じくらいの年齢となっているはずだ。
「時期首相候補もいればモデルもいればパッとしないのもいれば、まあ種々様々だな」
「お前みたいな変人もいる」
「俺は好きでやってるだけ。国に戻る気も無かったんだけどな」
「あの内戦をきっかけに出たんだろう?」
「そ。そこらへんはお前の方が詳しいだろう?」
勿論当時幼かった彼に責任など有るわけも無かったし、追求する者もいなかった。それでも国外に出る事になったのは一重に彼を心配する者が多かったからに過ぎない。
「収まってから戻っても良かったんだけどな」
アーバンの言葉のように戻っても何ら問題は無いはずだった。ところがそうとはいかなかった原因が、マリアの存在だった。
「初めて会った時、痺れた。一生をかけて守らないといけない、ってそう思わされる」
フェイニータルの養成学校に入る事を決めてから、彼の生活の中心は彼女となった。他の多くの者と彼が決定的に違ったのは、彼がロイヤルナイツに入れる程の実力を持っていた事だ。
「親父はメールを送っても無反応だったな。まあ、他の兄弟も特に俺には関心を示さなかったけど」
アーバンにとってメイル王国で過ごした時間はそう多くは無い。それでもこうしてカインと帯同しているのは王とレイブン双方の希望だった。
「親父は閉じこもったまんまだし。母親はどこにいるのか分かんねえし」
「閉じこもってしまったのは、ある意味仕方の無いことだ」
カインの言葉に、アーバンは冗談めかすように両手をあげた。
「俺には言えないってか?」
「知りたいのか?」
「教えてくれるか?」
意外そうに眉を上げたアーバンに、カインは窓の外に視線を向けたまま小さく呟いた。
「王宮でな」
「メイル、か」
メイルに降り立ったその人物は外に出るなり、辺りを見回して呟いた。九月とはいえこの時期のメイルには既に雪がちらついていた。
「場所は分かった」
その人物の後ろから白い息を吐きながらもう一人の人物が姿を現した。地図を片手にバス乗り場の標識を一つずつ見ていき、やがて目的のバス停を見つけたのか歩き出した。
「どこ? 早いね」
驚いてその後を追う彼女の髪はフードの中に包まれていた。彼女の青い髪は流石にこの国ではひどく目立つ。マリアの出身国ということもありロイヤルナイツに友好的な国ではあるが、油断は禁物だ。
「有名人だからな。アーバンは、この国で」
同じく目立たない灰色のロングコートとフードに身を包んだ少年はその赤い瞳を細くさせる。
「どこ行ったの?」
「そろそろ言語が分かるだろ?」
そう言って彼が指差す標識には、一つの地名が記されていた。
「へえ」
そう言われた人物が不敵に微笑んだ。分かってはいたが、いざ目の前にその状況が現れると燃えずにいられないのが彼女だった。
「遊びじゃないからな」
シンが到着したバスに乗り込み、リースが改めてその標識に目を向けた。
首都から離れた郊外、ウレシチアに存在する歴史ある王宮『イエソス宮殿』。世界的に見れば規模はさほどではない物の、現存する上に今もまだ使われている貴重な建造物の一つとして、その名は有名だった。
「人、いないね」
リースが一番後ろの席に座ってバス全体を見渡す。乗客は彼ら以外一人も乗ってくることは無く、バスは発進します、と一言運転手が告げ定刻どおりに出発した。
「今頃王宮方面に用がある奴なんていない」
同じくリースと反対側の席に腰を下ろしたシンが当然だ、という顔をしてポケットからこの国のガイドブックを開いた。
「なるほど」
この国の人口は約五百万人、そのうち首都の人口は全体の十パーセントを占める。主な産業は農業と家畜。近代化についていく事を止め第一次産業に特化したこの国の風景はただ緑が広がる牧歌的な、それでいて寂寥感を併せ持つ見る者の心に不安な気持ちを持たせる何かを持っていた。
「あいつらが行くならこのルート以外ない。車を借りたかもしれないが、大方迎えが来てるんだろうさ」
「いいねえ、私たちも呼んだら来てくれるかもしれないよ?」
「殺し屋あたりがな」
「丁度いい。いい運動になるよ」
王宮まで辿り着くまでの間、冗談をかわしあう二人の目に見慣れない物が目に入り始めた。機械化の進んでいないこの国では、未だ人力の車が珍しくは無い。
「何かいいかもね。こういうのも」
「ふうん」
リースが初めて見る光景に目を細めた。逆にこういった風景が珍しくも何とも無いシンにとっては彼女の反応の方が不思議で、改めて窓の外に景色を向けた。
「これから変わってくさ。ここも」
「……そうだね」
様々な思いを乗せてバスは進む、目指す目的地はもう目の前だった。