第五章 第十一節 怖い少女に出会いました
「どうしたの?」
慌てて振り向いたアルスに、柔らかな声が降りかかった。あまりの意外さに頭がパニックになる彼に、彼女は優しく微笑みかけた。
「こんな所に人が来るなんて。迷ったの?」
「あ、えっと」
来ている服はロイヤルナイツの者だ。大概の者が見れば一目で身分が分かりそうなものだが、彼女にそんな様子は無かった。敵対しているなら微笑みかけては来ないだろうし、信者ならもっと対応は丁寧だ。
「ごめんなさいね。何も無くて」
「いえ……」
ぜひ、と言われアルスは彼女の家に招かれていた。意外にも室内は明るい色で彩られている。パステルカラーが随所に見られたし、外で見たのと似たような花が生けられている。
出されたの冷たい茶色の液体を一気に飲み干すと、彼女はあらあら、といった表情で二杯目を入れた。こんな所に人が住んでいることに感心すると共に、室内が快適な温度に調整されていることにアルスは驚いていた。
「お一人で?」
「いえ、娘と一緒に」
「娘さん?」
ますます不可解な状況だ。こんな所に親子が住んでいる、フェイトからすれば町はすぐなのだろうが、普通の人間なら一日以上はかかる距離だ。どうやって生活しているのかアルスには不思議でしょうがなかった。
「つかぬ事を伺いますけど、あなたは何者なんですか?」
「何に見えます。小さなナイツさん?」
アルスは息を呑んだ。制服を着ている人物にあなたは学生ですか? と聞いて驚く者はいないだろう。ただ、何故か鳥肌がたったのは目の前の冷たい液体だけのせいではないかもしれない。
「娘に、何か用かしら?」
「はい?」
何故そういう話題に出るのか理解不能だった。ロイヤルナイツは表向きフェイニータルの私設団体だ。フェイニータルに関わりのないはずの者が警戒する理由が分からない。
「捕まえに来たの? また」
「また?」
言葉とその視線とは裏腹に口調は相変わらず柔らかだった。そのギャップに負けじと、アルスは彼女の顔を正面から見据えた。
「娘さんに用は無いんです。カノンという人物を知りませんか?」
嘘をつくのは得意で無いことくらいアルス自身承知していた。この人物相手に勝てるとも思えない彼は、正面突破を試みた。
「そうね」
「お母さん!」
答えようとした瞬間、誰かが思い切り良く扉を開けて飛び込んできた。びくっと反応したアルスが振り向くよりも、彼女が杖を突きつけるほうが先だった。
「誰かな?」
殺される、とアルスは感じた事も無い恐怖を感じた。動きたくても動けず、凍りついた彼を救ったのは、やはりその柔らかな声だった。
「ひかり、大丈夫」
「でも! こいつ!」
「ギュエリクス」
「!」
小さく呟いたアルスの言葉にひかりが鋭い反応を見せ、彼を床に叩きつけた。
「ぐっ!」
「少し静かにしようね」
「ひかり」
「お母さん。ちょっと待ってて」
「カノンさんという男の子を探しているそうよ
「だあれ? その子」
「その方が探されているそうよ」
「ええ、ちょっとした知り合いで」
アルスは作り笑顔で誤魔化した。先ほどの動きといい、実力が違いすぎた。一人で相手にできるレベルではない。ようやく開放された彼は椅子に座りなおして、目の前に立つ少女を眺めた。自分の正体など一目見たときから気づいているのだろう。力の発動にはすぐに気づかれる上、単純な力比べでも相手が上ならこうするより他に仕方が無かった。
「もし知ってたら、教えて欲しいなあなんて。あ、あははは」
「ふうん」
未だに杖を構えたまま微動だにしないひかりからの無言のプレッシャーを受け続けながら、乾いた笑いを浮かべながら頭に手をやる二人の姿はある種微笑ましい光景ではあったが、長続きする事は無かった。
「えっと」
今度は静かに扉が開き、フェイトと小さな鳥が入ってきた。青く光るその鳥は、役目を終えアルスの体の中にはいっていく様に消えた。
「その鳥さんの後をついてきたんだけど……」
「能力者?」
「呼ぶんじゃなかった」
馬鹿正直についてこられては作戦の立て用も無かった。フェイトの実力がどれほどかは知らないが、アルスと大差ないと仮定すると勝ち目はほぼゼロに近かった。
「あらあら、今日はお客さんが一杯ね」
にこやかに微笑む彼女もそれに同意するひかりも、さらにこの状況を見て何故か笑みを見せるフェイトも彼にはよく理解できなかった。ルークの言う通り試作品はこの程度なのだろうかと落胆しかけた時、ひかりの杖が砕け散った。
「危ないからしまっておいたほうがいいよ」
「そうだね」
「……」
顔を見合わせ微笑み合う少女に圧倒され何も言え無くなったアルスに、先ほどから黙っていた彼女が席を立った。
「少し、外出てるわね」
「何だお母さんを怒りに来たんだと思って」
「アルス君照れ屋さんだから。思った事、素直に言えないんだよ」
「そうですね」
先ほどとは違いゆっくりとその液体を喉に流し込みながらアルスは渋々、といった様子で頷いた。
「ギアムっていうお茶なんだよ」
ひかり、と名乗った少女は先ほどは打って変わって普通の少女らしい笑みでフェイトにコップを差し出した。
「おいしい。本当は味分からないんだけど」
「そうなの?」
「味覚っていうのかな? そういうの無いから」
「何で?」
「分かんない」
「戦いには必要ないから」
無邪気に言葉をかわす彼女たちの言葉を横目に、アルスがぼそりと呟いた。
「え?」
「何でもない、少し僕には苦いかな。ひかりさんは好きなの?」
ひかりがぽかんとした表情でアルスの方に視線を向け、彼はそれに苦笑を返した。こんな所でする話題ではないと自覚しながらも、先ほどのルークの言葉が彼の脳内をぐるぐると回っていた。
「お母さんのお手製なんだよ」
「お母さん、優しそうな人だね」
「うん! 何かね、暖かいの!」
アルスには親という概念を知識とは得ていても実感としては感じた事は無かった。フェイトのところとは違って、母というよりは教師といった方が近い。彼の知らない感情を共有する二人が、何となくまぶしく見えて彼は黙って視線を彼女たちから逸らした。
「今日は、これからどうするの?」
「あー、えーっと」
ひかりの問いにフェイトがアルスの様子を伺うように視線を向けた。アルスは命じられた内容を頭の中に思い浮かべる。
「本当なら戻って報告なり何なりだけど、期間が曖昧だしなあ」
任務内容はカノンの捜索だが、能力者という事を考慮しても担当範囲は広すぎる。一日では到底これだけの範囲をカバーできないという事を考慮すると。
「もしかしたら野宿だったのか?」
「え……」
半ば冗談めかした口調だったが、彼の言葉にフェイトがあからさまに嫌そうな表情をして、アルスは少しばかり沈んだ。
「だったら!」
「ん?」
「泊まっていけばいいよ!」
アルスの顔が引きつった事に気づく者は、この場にはいなかった。