第五章 第八節 そして舞台はかつての舞台へ
「やっと起きましたね」
「……何時だ?」
まだ頭がはっきりとしないままカインは立ち上がった。こんな無理なローテを組むあたり、レイブンには既に前回の居眠りの件がばれているのだろう。前回と同じく湧き上がってくる罪悪感はあえて無視して、カインは今の時間を尋ねた。もう日も暮れかけ、ガラス越しに入ってくる光は弱々しかった。
「五時を五回短い針が進んだ位ですね」
「……少し、いいか?」
「お話なら大歓迎です」
「自分が生まれた所、覚えてるか?」
「少しだけですけれど。雪が綺麗で」
遠くを見るような表情でマリアが空を見つめた。そろそろ終業時間だ、外に出ているものもそろそろ帰ってくる頃合だ。
「それから?」
「色々な所に行きました。たくさんの人が笑顔で私を迎え入れてくれて」
「レイブンに会った」
カインの言葉に彼女はただ黙って頷いた。それだけが彼女の人生であって、全てだった。昔の映像が彼の脳内をフラッシュバックし、彼は少し顔を顰めた。心配そうに覗き込んだ彼女を制して、彼は確認するように尋ねた。
「なら、両親の記憶は無いな」
「カインのお父様は?」
つまりは否定だろう。ある種予想通りの質問を返されたカインは、苦笑交じりに呟いた。
「遺伝子的にもいるのかどうか微妙だな」
「人なのに?」
「人なのに、だ」
「今、帰りか?」
「だったら?」
ほんの数日前に交戦したばかりのふ二人は一階のフロアで顔を合わせると、当たり前の様に肩を並べて歩き出した。こんな時間にここを訪れたという事は用は一つだろう。
「見つかったか?」
エレベーターが閉まった途端、カインが口を開いた。カノンの痕跡の第一発見者であるカインを横目に、シンは黙って首を振った。
「今もまだ捜索は続いているのか?」
「指揮はキュラスが取ってる」
「キュラス?」
「いつか会うだろ」
考え込んだカインを置いてシンは開いた扉から出て行く。一人取り残されたカインは慌てて飛び出しその後を追った。
「以上です」
「分かった。わざわざ報告すまないね。今日は泊まってくといい、幸いか部屋は余っててね」
「お気遣い感謝します」
どうやら話は簡単に済んだらしい。カインがレイブンの部屋に足を踏み入れたとき、既に二人の会話は終わっていた。滑らかに口を動かしていたレイブンがカインの存在に気づき、声をかけた。
「聞いたかな?」
「カインとして送り込むのか、それともロイヤルナイツとして送り込むのかどっちだ?」
「勿論、君で無ければ意味が無い」
任務関連と悟ったのか、部屋から出て行こうとしたシンを何故かレイブンが手で制した。
「嫌だ、と言ったら」
「使ってほしいだけだよ。平和の為に、ね」
「勿論、君の所の子にもね」
シンの顔色が変わった。立ち止まったまま、彼の方を振り返ろうともしないままその場に立ち竦むシンに追い討ちをかける様に、レイブンはにやりと気持ちの悪い笑みを見せた。
「平和が欲しいんだろう?」
「何かあったのか?」
「何でも無い」
行きと同じように肩を並べてエレベーターに乗り込んだシンにカインは世間話をするかのように軽く声をかけた。
「同行したいなら、俺は構わない」
先ほどから黙りこくったままのシンの案内役を命じられたカインは、受付でざっと手続きを済ませシンに鍵を手渡した。普段なら特別な者しか泊まれないフロアだったが、祭典の後だという事もあって、今は閑散としていた。
「何も言わないんだな」
「何かあったか?」
部屋が開き、中にある備品の説明を淡々とこなすカインは、シンのその言葉を軽く流した。まだまだ睡眠が足りないのか欠伸を噛み殺すカインに、シンは静かにベッドに腰掛けた。
「メイル王国っていうのは?」
その国の名は当然シンも知っていたが、何故その名前が出るのか彼には分からなかった。歴史はあるが、今では数ある中小国家の一つに過ぎない。
「恐らくだが、マリアの出身地だろう」
「許可って、誰のだ?」
「……王の」
「あの変人か?」
「そうだ」
メイル王国の王は今年で在位三十年を超える。王制を敷いている国は過去に遡れば数多く存在していたが、近年は減少の一途を辿っていた。
「話が通じるのか?」
シンの危惧は何も知らないものから見れば当たり前の事だった。何より、民主化の波がどの国にも押し寄せる中この国が王制を保っていられるのは、単に王という権威がお飾りと化していることが主な要因だった。本来、その国の政治の頂点に立つはずの王の権力は先の内戦で失墜し、国民からの批判を受けた王はその身を首都から離れた身に隠した。
王党派が引き起こしたとはいえ、それからの王の対応や地位、国民からの人気も考慮され斬首は免れたものの、最早政治という面に関しては誰からも相手にされていないのが原状だった。
「必要なんだ。俺にも」
ベッドに倒れこんだシンは、会話は終わりと言わんばかりに目を閉じた。明日にも出発しなければならないカインは、扉を開けるのを一旦思いとどまりシンに一つ尋ねた。
「あの子って、誰だ?」
「そのマリアと似たような感じ、なのかな」
一瞬の逡巡の後返ってきた言葉を聞いた彼は、静かに部屋から出て行った。
「それで明日また?」
部屋の前にリースの姿を見つけたカインは、黙って彼女を部屋に招きいれて、とりあえずの予定を話した。追い出したら拳が一発飛んできそうで、眠気を抑えるためにカインはコーヒーを一杯ぐいと飲んだ。
「久しぶりに会うな」
「それでアルスとフェイトは? 今はそろって寝てるけど」
「通常業務に当たらせる。指導係はお前だ、喜べ」
「一人?」
「いや、一人案内役を」
ロイヤルナイツにメイル王国出身者は一人、案の定彼女の頭にもその名は入っていた。
「アーバンだっけ?」
「王妃の子ではないが、あれでも王位継承の資格はある」
もう彼の耳にもその予定は入っているはずだった。明日の朝には彼らは既に機上の人だ。
「カノンの情報は未だ無し」
「聞いたのか?」
「一応責任者の一人だからね」
カノンの捜索は未だ続いていた。シンもカインもとうにその任務からは降りていたが、その捜索範囲を全土に拡大して、未だ捜索は続けられていた。
「シンが探しても無理だったんだ。他の世界に逃げたんだろう」
「気になるよね。どうやって逃げたんだろ?」
「というより、誰が捕獲したんだ?」
カインが抱いていた疑問を口にした。カノンの力を上回る者がいる事など、彼にはにわかには信じられない。
「シンじゃないの?」
「だったら本人が言うだろ? お前のお仲間じゃないのか?」
「それが連絡取れなくて。この世界にいれば分かるはずだし、私抜きでどうにかなる相手かなあ?」
聞けばリースはあの中でも優秀な部類に入っていたらしい。それがカインに簡単に一蹴されているようでは、カノンの捕獲など困難を極めるだろう。
「また誰か来たのか?」
「知らない。正式な情報ではないはずなんだけど」
「アルスもフェイトもお前は知ってたのか?」
「アルスは知ってたけど、彼女は初めて、っていうか」
「シリーズとしては何体目だ?」
カインにとって馴染み深い固体は、彼にとっては三体目に当たる。もっとも、彼女とそれ以外では雰囲気は全くの別物だったが。
「分からない。何だか今までのとは雰囲気が違うしね、あの子」
リース達と限りなく近い存在ではあるが、彼女もその全てを把握しているわけではなかった。それに最近では明らかに定期連絡の頻度が減っているのも、密かな彼女の悩みの種でもあった。
「動いてるな、何かが」
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