第五章 第三節 再び現れる運命
「朝か」
窓から零れる日差しに目を細め、彼はゆっくりと布団から起き上がった。どうしても今日は、という彼女の頼みを断りきれないままなし崩しになってしまった為、彼の隣には一人の少女の姿があった。
「綾香起きろ」
「う? おはよう、シン」
「支度しろ。学校だろ?」
「あ」
「沙耶香さんとあいつは起きてるぞ」
慌てて起き上がり彼女自身の部屋へと戻っていく彼女を横目に、シンは今日の予定を頭で反芻する。
「ルーデ」
再調整の為、カノンはルーデに移送される事が決定していた。話しによると丁度いい事にカインもその都市を訪れる事になっていた。付き添いで同行するシンは何かあった時の為の護衛役だ。それは外からの襲撃に備える為でも、いざという時カノンを止める役割も併せ持っていた。
「おはよう。ごめんね」
彼はハムレスの制服に着替え部屋の外に出る。と、丁度鉢合わせした沙耶香が声を掛けてきた。
「はい?」
謝られる意味が分からずきょとんとする彼に、沙耶香は僅かな笑みを見せる。
「綾香、私がこんなだからかな」
「あの、彼とは―」
あれから、彼と姉妹があった形跡は無い。シンが再び会えるか問い合わせても、未だ上からの回答は無かった。
「ごめんね」
シンの言わんとしようとする事を読み取ったのか、会話を切り上げシンに視線を合わせず歩いていく。何も言えず彼女の背中を見送るシンの後ろに宮田が立った。
「お前、何者なんだ?」
「さあな。遅刻するぜ」
そろそろ時間が近い事と、これ以上会話する気分でも無くなったシンは足早にその場を立ち去ろうとするシンの肩を彼が掴む。思いの外強かったのと、その彼の意思に折れた事もあって、彼はため息をついて立ち止まった。
「何だ? まだ何か用か?」
「一体今はどうなってる?」
「知らねえよ」
「な!」
馬鹿にされたと感じたのか、彼の手に力が入る。振り向かせようとした矢先、シンは素早くその手を振りほどき、少しだけ語気を弱めた。
「いいから普通に学校に行け。それからだ、お前は」
何もいい返せず立ちすくんだ彼の目を見ぬままシンは歩き出した。これから専用のチャーター機に乗り白吏にまで向かい、そこからルーデに向かう手筈となっていた。
「やあ、おはよう。眠れたかな?」
「さあな。お前何してたんだ?」
「ルーデまで色々と許可がいるから、僕達は」
地下に降りるエレベーター前のフロアでルークと鉢合わせしたシンは、そのまま彼と地下へ降りて行く。再開してからあの時の事も彼女の事も話題にならぬまま、当たり障りの無い会話をして入る内に、ドアが開く。真っ暗闇の中を、勝手知ったるルークが手探りで電気をつける。
「いい気味だね。死神君」
「出せ」
一つだけ、狭い空間に地下牢が置かれていた。ルークの蔑むような視線を浴びたカノンの四肢は、ある特殊な鎖で繋がれていた。
「力があるのは大したものだけれど、それだけだね。君は」
「ここからどう運ぶんだ?」
ルークの言葉もカノンの反応も気にする事なくシンが周囲を見渡して尋ねた。何の誇張も抜きにして、本当に何も無いところだ。真っ暗な中よく正気を保っていられるとシンは素直に感心していた。
「この牢屋ごと移動だよ」
「俺達は?」
「機内に移動だよ。ここは貨物室に運ばれるだけ」
ルークの説明している間にも、何か外から音がした。
「移動が始まったね」
「本当にここごとなのか」
驚くシンを横目に冷静にルークが時刻を確認した。この施設に秘密裏に併設されている空港まで運び出される予定となっている。
「何かしてあれが外れたら大惨事だしね」
「お前だって、変わらないさ」
「え?」
「何でも、行こうぜ」
聞き返すルークに背を向けて、シンは再びエレベーターの扉を開いた。扉の向こうは案の定、エレベーターではなく機内の貨物室へと繋がっていた。
「そうだね、ここから一旦外へ出よう。段差に気をつけて」
「ああ」
先に飛び降りたルークの後を追おうとしたシンが、ふとその足を止めた。
「シン?」
「いや、今行く」
翼が開かれ、ひらりとシンはゆっくりと着地した。他にも荷物が運び入れられるようで、次々と荷物が入ってくる。彼らが出てきた扉は閉じられ、カノンの姿も見えなくなった事を確認して、彼らは外へ出ていった。
「乗客は二人か?」
「他にいらないし。何かあった時犠牲者は少ないほうがいいよ」
「だろうな」
いかにもな考え方だ。シンは手ごろな席を見つけると、そこに腰を下ろし静かに目を閉じた。眠りに落ちる前に最後に呟いた口調は、離れた位置に座ったルークの耳に届く事は無かった。
「このままじゃ駄目だ」
翌日、アルス達は手筈どおり車に乗りルーデに向かっていた。昨日のように同行者はおらず、車に設置されている無線連絡機に連絡が入る事になっていた。
「はい……はい、分かりました」
「何だって?」
「大丈夫だそうです」
代表して連絡を取り合っていたアルスが受話器を置き、リースが首尾を尋ねるとアルスは笑顔を作った。生憎の曇り空で景色は相変わらずの岩だらけだ。つまらなそうに頬杖をついているカインに長いすを一人で占領して横になっているリース、そして連絡機の前で律儀に待っているそんな光景も、ある所を境に一変した。
「凄い!」
「中々かな」
まずアルスが大声を上げ、次にリースが短く感想を漏らした。カインはそんな二人の反応に少しだけ視線を向けただけで、特に反応も無く再び元の格好に戻った。
「凄いですね」
「アルスの所はこんなんじゃなかったの?」
「田舎でしたから」
一言で言えば超過密都市、という表現が似合うだろう。小さな空間にビルが乱立している光景は、他の都市では見られないものだ。また、ビル間には連絡橋が設置されている為、地上には人の気配も無かった。
「ここみたいです」
急に車が進路を変え、とあるビルの前で停止した。
真っ先にアルスがビルを見上げ感嘆の声を上げるのを横目に、カインとリースは真っ直ぐ中へ入っていった。
「私のお仲間か、カインのお仲間か、はたまたアルスのお仲間か」
「さあな」
並んでビル内に入ると、中にいた数人の視線が彼らに向けられる。予想通りというべきか、一人のスーツを着た男がこちらに近寄って来る。
「今、ここにつれてきます。それまであちらでお待ちを」
「中に入れないね」
「当たり前だ」
「なーんだ」
リースの囁きにカインは当然だという様に頷き、示された椅子に腰を下ろした。向かいにリースが座り、アルスは地図を見たり受付に話しを聞きにいったりと楽しそうにしていた。
「大丈夫かな?」
「危ないなら止められる。放っておいていいんじゃないか?」
「へえ、流石お父さん」
「ここでやるか?」
「冗談です」
会話の内容は過激だが、流れる空気は穏やかそのものだ。このままつれて帰ればそれで一件落着、何の支障も無い旅に、二人の警戒心は薄れていた。
「来ました!」
アルスの声に、両者は声を発した人物の方を見やる。程なくして現れた人物を目の前にして、カインは凍り付いていた。
「へえ、かわいい」
「うわあ」
リースが駆け寄り顔を覗き、アルスがその顔を僅かに紅く染めた。二人の視線を感じたその少女は、少し照れながらも、はっきりとした声で自らの名前を告げた。
「フェイトです」