第四章 第一節 残された時間
「うん……」
「大丈夫ですか?」
目を覚ました彼女の耳にいつもと変わらない声が届いた。少しの安堵と、それを上回る不快感が彼女を襲い、口調が必要以上に冷たくなる。
「一人にしてくれない?」
「はい?」
想定外の言葉にフェイトが目を丸くする。何かを言われる前に、彼女は言葉を畳み掛けた。
「お願い」
「今は」
宮田が彼女を思いやってフェイトを立ち上がらせる。渋々立ち上がったフェイトは、それでも去り際に一声掛けていくのを忘れなかった。
「何か会ったら呼んでくださいね」
「ありがと。ごめんね」
「いえ」
寂しげに発せられた声がドアの向こうに消えるのを確認して、彼女は吸い込んでいた息をゆっくりと吐き出した。さっきまでの会話を聞いて、大体の事情は彼女も把握していた。
「どうすればいいの?」
日も沈見かけている中彼女の視界に、ゆっくりと敷地内に入る車が見えた。
「私は事務室に行ってるから」
「はい。わざわざすみません」
入り口で麻衣と別れたカノンは、すぐにフェイトと見知らぬ一人の若い男性を目にしてそちらの方へ歩み寄っていく。
「戻りました」
「お帰りなさい」
「終わったのかな?」
少し元気の無いフェイトの隣で微笑を見せる利発そうな青年を目にして、カノンは必死に自身の脳内から記憶を穿り返し、やがて諦め申し分けなさそうに身分を尋ねた。
「あなたは?」
「宮田俊一って言います。よろしく」
「僕は――」
「知ってるよ、カノン。君は有名だから」
カノンの言葉を制して彼は手を差し出した。駄目かな? という風にこちらに微笑み掛けてくる彼の手をまじまじと見つめた後、彼はゆっくりとその手を握った。
「沙耶香さんは?」
ただ一人所在を確認できない人物の名前を聞いた途端フェイトが肩を震わせた。
「今は寝てる。僕の部屋に行こうか? まだ白谷さん達は時間掛かりそうだし」
家に帰っても今頃はどうせ監視が入っている事だろう。断る理由はどこにも無かった。
「いつもここから学校に?」
「自転車なら三十分もあれば着くよ」
彼の自室に通されたフェイト達はベッドに向かい合うようにして置かれているソファに腰をおろした。部屋は以外に広く、三人が入ってもまだその広さには余裕があった。ベッドと机に、簡易なキッチンと風呂。典型的な一人暮らしのアパート様な室内は利便性を重視してか、余計な物は一切置かれてはいなかった。
「今日は多分ここに泊まる事になるだろうから」
「学校は?」
フェイトが無造作に机の上に置かれた彼の制服を見て問いかける。
「それは彼に聞かないと」
肩を竦めながらカノンの方を見やる。その質問を予期していたのか、カノンは淀み無く現地での自身の活動を言葉にしていく。
「大して何もしてません。抵抗する人は勿論始末しましたけど」
「心強いね」
皮肉とも賞賛とも取れる言葉を気にする事なく、彼は報告を締めくくった。
「学校自体は存続できますよ。被害は精々二桁でしょうし」
「生徒が中心?」
今度はフェイトが口を開いた。カノンは少しだけ間を置いた後、思い出すように天井を見上げた。
「いえ、それほどでも。どちらかと言うと大人の方々が」
「そう。まあ、子供に武装させるほどあちらも馬鹿じゃないか」
納得したように呟いた宮田に、先ほどの沙耶香の反応を思い出してフェイトが気遣うようにして声をかけた。
「大丈夫? 友達とか」
「いないよ。大体、作る気も無いし」
「……宮田君がいるからこの学校に?」
「そうだろうね。まあ、僕は彼女について何も知らないんだけど」
「私の事も?」
「ごめん、少し」
先ほどの事を思い出して宮田は汗を拭った。人外の物を見るのは初めてだったが、こうして見ると何ら普通の人と変わらないように見えて彼は複雑な思いに駆られる。
「僕は?」
「同じ位。全部知ってるわけじゃないけどね」
無邪気に手を上げたカノンに答えた瞬間、ノックの音が室内に響いた。
「はい?」
「入っていいか?」
白谷の声だった。どうぞ、と気軽に応えた宮田の声を聞いた後、彼は静かにドアを開けて室内に入ってきた。
「どうなりましたか?」
フェイト達の隣で壁に身を預けた彼に、宮田が急かすように現状を問う。そんな彼のい勢いを受け流すように彼は飄々と答えていく。
「交渉完了。とりあえず学校は行ける」
「沙耶香さんも?」
フェイトの喜々とした声に白谷は当然だと言わんばかりに頷く。
「彼女は無関係だろう。我々とは」
「僕も、ですか?」
信じられないような表情で白谷を見つめる宮田に、彼は優しい口調で過程を説明していく。
「フェイニータルと少し話をしてな。お互い矛を出しそうになったが、一応妥協のすると言う事で落ち着いた」
「妥協?」
「この建物自体は残るし、人員も大体は帰ってくる」
「お咎めなしですか?」
「いや」
破格の好待遇に驚きを見せる彼らに、白谷はここで一段口調を落とした。
「カノンを黙らせろとさ」
「そんな!」
フェイトの非難する声が室内に響き渡った。カノンの瞳に何かが宿るのを見ながら白谷は引き続いて交渉内容を話していく。
「カインは? と聞いたらはあ? という声が返ってきたよ。どうやら末端はあれの正体を知らないらしい」
「どういう事ですか?」
「分からん。とにかく暫くはこの建物内に閉じ篭ってろとさ」
突然出てきたロイヤルナイツの一人の名前に、宮田が疑問を呈するも、彼はその疑問を受け流して最後にこれからの活動内容を示した。
「へえ、ラッキーだ」
カノンがその言葉を聞いて緊張を解いた。詰まるところ謹慎、ということだ。予想以上の軽さに安堵の空気が流れる中、白谷は煙草に火をつけ自分に言い聞かせるように声を発した。
「まあな、人員が帰ってくるのは祭典後だそうだし。それまで気長に過ごすさ」
「どう?」
ぼんやりとしていた沙耶香は、突然の声に驚いてドアの方に視線を向けた。
「大丈夫です」
「明日は、学校どうする?」
小さく掻き消えるかのような声に、舞いは顔を曇らせる。気遣う気持ちを込めて発せられた言葉に、沙耶香は少し驚いて尋ね返す。
「あるんですか?」
「ええ、どうして?」
「……あんな事があったのに」
もうあんな事はたくさんだった。結局、どこに行っても何をしても自分はこういう運命なのだと、半ば諦めの境地に達していた彼女にとって、麻衣の言葉が心に響く事は無かった。
「大丈夫、別にあれ位で」
「人が、また死にました」
目前で繰り広げられた光景と、それを当然の様にして受け止める周囲とのギャップに、最早平然を保てるほど彼女は強くは無かった。
「……そうね」
「必要なんですか? 力って」
下を向いたまま沙耶香は独白しているかのように言葉を絞り出す。
「変えなければ――」
「何を?」
何度と無く聞いた麻衣の言葉に、彼女は初めて噛みついた。
「何って」
彼女の感情の高ぶりを初めて目にした麻衣に、彼女は全ての恨みをぶつける様に爆発した。
「変わらない、何も。いらない、あんな物」
「沙耶香さん」
「言わないで!」
「けれどあの子達は」
「嫌!」
尚も弁解しようとする麻衣の言葉の全てを拒否するように沙耶香は耳を塞いだ。
「いらない、いらない。もう」
何も言えなくなった麻衣の目前で、彼女はすがる様にシーツを握り締めて静かに涙を零し続けた。
「もう嫌、嫌」
赤ん坊の様に無防備な心を曝け出さざるを得ない状況に追い込んだ事を自責しながら、麻衣はただそれを見つめる事しか出来なかった。